Vtuber(配信者)への推し活は承認欲求の一言だけで片づけられない
始めに
VtuberとはそのVtuber一人が中心となってできる一つのコミュニティだと思います。女性ののVtuberであれば、奴隷のような距離感から恋人のような距離感まで多種多様なコミュニティの在り方を作られていると思います。
コミュニティがたくさん出来上がれば当然問題がたくさんコミュニティごとに出てくると思います。ここ数年で企業個人問わず、様々なVtuberさんが誕生しそして活動終了、転生、卒業、引退、方針転換など行われてきました。その数は一万人以上いるといわれております。
今回その中で比較的多いと思われるVtuberとそのリスナーの関係性についていくつか自分の視点でふと思ったことを書き綴っていこうと思います。また、この記事に配信者を非難する意図は一切ないです。
この記事を書こうと思った経緯
先日、とあるVtuberさんの1周年記念に描いたファンアートに反応をもらえず傷ついてしまったというマシュマロが届いていました。長期間の製作期間を経て一生懸命に描いたファンアートだったようですが、他のファンとのやり取りにいい根をする傍ら、自分のファンアートに反応をもらえなかったことに対してひどく傷心された様子です。本人はそれを承認欲求が満たされなかった逆切れであるとそのマシュマロに書いてありました。
リプライには、
・Vtuberさんは悪くない
・承認欲求で絡んでこないでほしい
・愛は無償のものであって見返りは求めないでほしい
といったものがありました。
ぶしつけにこういうマシュマロをいきなり送り付けてくるのですから、手放しでマロ主に対して同情的になれないというのは一般的だと思います。しかし、マロ主さんの気持ちが間違っているとは思えなかったので、個人的に主語をデカくして勝手に語っていこうと思います。
Vtuberさんへの推し活は承認欲求ではない!?
Vtuberさんや配信者さんの活動はいくつかの明確なセオリーがあり、リスナーはそのセオリーに則って推し活をしていると思います。
・ファンマーク
・エゴサワード(ハッシュタグ)
・配信へのコメント、ツイートへのリプライ
・グッズの購入
・ファンアートや切り抜きなどのクリエイティブな活動
皆さんの推し活は上記の何かを行ったことがあると仮定します。Vtuberさんたちの視点から見れば、どの推し活も基本的にうれしいものとおっしゃっていることが多いです。その中で皆さんも推し活をしたことがあると仮定します。
・エゴサなどでトラブルが起きる原因
ファンマークが一番の被害の元といえるかもしれません。私は先ほど、推し活は承認欲求ではないといいました。訂正いたします。推し活は承認欲求の側面を含む社会的欲求である。と主張いたします。
簡単に説明をいたしますと、マズローの欲求5段階説に基づいてのものになります。2分で描いたものがこちらになります。
社会的欲求とは簡単に言うとコミュニティや集団への所属することへの欲求を差します。愛がほしいなども実はこの社会的欲求に含まれます。承認欲求との大きな違いは実はそんなにありません。コミュニティに属することや愛が欲しいという感情は外的欲求であり尊敬されたいという欲求が内発的欲求です。個人的に違いを上げるとするのであれば、愛の欲求は組織や集団に求めるもの。承認欲求は数多の個人に求めるもの。という風に考えています。
そう考えるとファンマークやファンネームなどは、配信者の方がリスナーを見分けるための指標であると同時に、リスナーが自身の所属や立場を表明する場でもあります。そのほかの配信者のエゴサワードでつぶやくことや、コメントを残すことなども自身がそのコミュニティに属していることをアピールする場でもあります。
その中にはクリエイティブな手段を用いてその社会的欲求、愛の欲求を満たそうとする人もいます。その手段は間違っていないと思っています。自身がその集団にいると示す手段の一つですから。
ただTwitterの仕様上、何らかの形でシャドウバンを食らうと推しや自身のコミュニティにその熱意が届かないことがあると思います。するとせっかくの作品が誰にも評価されず、本人は社会的欲求を満たす機会が失われてしまいます。すると間違った方法で社会的欲求ないし承認欲求を満たそうとしてしまう人がいます。これがお気持ちリプライや、マシュマロへのお気持ち投下です。
自分がその集団に所属できているか不安だから、そのような行動をとってしまうという事態が起こってしまうのであります。「ファンネームや、ファンマークだけでも立派に推し活だよ!」という人もいます。これは本人がその推し活、その集団に何を求めていて、どのような方法で自己開示を行うかということだと思います。
どの様な方法で解決をしたらいいのか
自分の感情の落ち着けるのは難しいと思います。このような問題が起こるたびに「推しへの愛は無償だろ。見返りを求めるな」という人もいます。もちろん、その言葉も一理あるのと同時に無理解で無意識にその人を傷つける刃でもあります。先ほども申し上げたように、推し活は自身の所属の欲求を満たすための行為でもあります。同じ配信者を推していると思っている人間からこのようなことを言われるほどつらいことはないでしょう。
反応できなかった配信者が悪いのかというとそうではないです。自分がそのハッシュタグでエゴサすると公言する以上、ある程度そのエゴサの中で反応することは必要(義務ではない)であると思います。が、配信で拾うチャットを取捨選択するように、反応するエゴサも取捨選択する権利は配信者にあります。そして誰も管理しないコミュニティは廃れていくと思います。
・クリエイティブな推し活をする人に
反応がなかったら辛い。ですが、それを推しに押し付けてはいけない。(戒め)反応をもらったらちゃんと喜び、あなたが推しを推す方法は決してファンアートや切り抜きだけではないよと、意識してください。
・配信者さんに
反応できなかったことでお気持ちが飛んでくるのであれば、一回だけ謝って事情を話してそれ以降は今まで通りでいいです。それでも何度もお気持ちしてくるのであれば仕方ないです。ミュートしたりブロックしたり、距離を取りましょう。
・同じ配信者を推す人に
少しだけ、ファンアートや切り抜きを作る人に寄り添ってあげてください。共感を得るだけで救われる心があります。ファンアートを描く人たちも推しに喜んでほしいと思っています。ただ、反応がもらえないというのは所属すら許されない(孤独感)と考える人たちもいます。
わかりにくい例えではありますが、なんとなくエゴサワードでつぶやく配信の感想より、推しに喜んでもらおうと推敲を重ねた直筆のファンレターや感想のほうがエネルギーを使うと思います。ファンアートを描く人たちの気持ちはこれに近いものだと思ってほしいです。相手が喜ぶのは前提としてより喜んでもらおうという姿勢の違いもあるかもしれません。
そして、同じ配信者を推すリスナーが嘆いていたらそっとそのファンアートにいいねを押してあげてください。無償の愛というものは無意識に見返りが得られているからそう感じるのかもしれないと考えてほしいです。
結論
だいたいTwitterが悪い。
それぞれ自分の立場に当てはめて感情コントロールをしようね!