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【雑日記】将来の夢、変遷

雑記みたいな日記。雑日記。
好きに書くので好きに読んでください。


私が通っていた幼稚園では、誕生日にボードブックみたいに分厚くて硬い記念本を貰っていました。そこに手形をつけたり、好きなものを書いたり、大きくなったら何になりたいかを書いたりするのです。私が年少さんの頃の記念本には「おおきくなったら」の欄に「ぞう」と書いていました。

なにわろてんねん豚こら

当時から様々な可能性に思いを馳せる人間だったのでしょうか。というのは半分冗談で、物心がついているかどうかも怪しい段階だったはずなので「おおきくなったら」が指す意味も分かっていなかったかもしれないし、「ぞう」が何者かも理解できていなかったかもしれません。

ちなみに今のところ「ぞう」になったことはありません。


小学校に入ってサッカーを習うようになってからは、他に言うこともなかったので「サッカー選手」を将来の夢とするようになりました。サッカーよりTVゲームが楽しいと思うことも多かったけど、当時プロゲーマーを将来の夢として挙げていた子ってどれくらいおったんやろ。結局は様々な可能性に思いを馳せる人間ではなかったようで、無難な答えを口にしていました。

中学一年生の最初の自己紹介では、たしか名前と部活と将来の夢を言わなければならなかったのです。出席番号一番の私は「将来の夢はサッカー選手です」と言いました。でも、出席番号四番と五番の子が「将来の夢はプロサッカー選手です」と言ってしまったばっかりに、私はアマチュアでもいい感じになってしまいました。

結局サッカーを習っていたのは中学までで、それ以降は遊び程度で嗜んでいます。


中学二、三年生の頃に、友だちに勉強を教えるのが楽しくて「学校の先生」になりたいと思うようになりました。高校生になってからは、先生の中でもレベルの高い先生を目指したいと思い「大学教授」が将来の夢になりました。この辺りは、思い返すとすごく現実味があります。現実味というのは、可能性によるものではなく、なりたいという強い気持ちによるもの。

実際、私は大人になって家庭教師もしたし、専門学校でシナオリ指導もしました。これはちょっと叶ってるかも。





で、なんやかんやあって(すごくなんやかんやあった)、結局は芸術に心惹かれるようになり、今では「芸術家」として生きていくことが夢です。「芸術家」というと広い括りになりますが、まさに広い括りで目指しています。文芸、絵、映画、音楽。たくさんの芸術が好きです。広く深く好きです。現実味は、やっぱりあります。なりたいという気持ちは、とてつもなく大きいので。




「芸術家」か。「ぞう」と変わらないな。冷静になって考えると「ぞう」になるのが一番幸せな気がする。決めた。私の将来の夢は「芸術家」か「ぞう」です。私が「芸術家」か「ぞう」になったら、おめでとうと言ってやってください。ありがとうか、ぱおーんと返します。




なにわろてんねん豚こら

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