Nepomniachtchiの難読性
Nepomniachtchi という名前が読みづらい理由として、以下の3点が考えられる。
①表記と実際の発音が異なる文字が多く含まれていること
②ラテン文字への転写がフランス語式であること
③ロシア語の姓として珍しい形をしていること
このうち①に関しては前回の記事で取り上げた。
② Nepomniachtchi というラテン文字の文字列は、元の Непомнящий をフランス語に転写したものである。フランス語とわかれば幾分か「読みやすく」なるのだが、国際チェス連盟(FIDE)の登録名にこの転写法を採用しているロシア選手は比較的少数であり、読み方が分からなくなる一因となっている。英語風に Nepomnyashchy と表記されていれば読めるという人が多いのではないだろうか。
ロシア語からフランス語への転写で注意すべき文字対応は以下の3点である。
я → ia
※英語への転写なら ya となるところ。「イア」ではなく「ヤ」を表していることに注意。彼の個人名 Ian は Ян「ヤン」である。
щ → chtch
※1文字分を5文字で表している。英語なら shch, ドイツ語なら schtsch(7文字!)となる。
語末の ий → i
※ й には通常 ï が対応するが、語末が -ий の場合省略する。
③Nepomniachtchi はロシア語とフランス語がわかれば読みやすい名前なのかといえば、そういうわけでもない。なぜならおよそ人名とは思えない姿をしているからだ。
ロシア人の姓には形容詞のような語尾が付いているものが多い。とりわけ -ов, -ев -ин(-ov, -ev, -in)で終わる所有形容詞の形をとるものが非常に多く、-ский, -ой (-skij, -oj) など普通の形容詞の形をしたものもある。例えば、Чехов(チェーホフ)、Пушкин(プーシキン)、Достоевский(ドストエフスキー)、Толстой(トルストイ)など。
一方 Непомнящий は -ящий (-jaščij) という能動形動詞現在の形をとる珍しい姓である。能動形動詞とは英語の現在分詞のようなもので、動詞が派生して形容詞の働きをするようになったものである。この場合は помнить「覚えている」という動詞が元になっていて、能動形動詞現在の помнящий は例えば "человек, помнящий меня"「私のことを覚えている人」のように使われる。これに否定の не を付けたものこそが「覚えていない」を意味する奇妙な姓 Непомнящий なのである。
さて、Nepomniachtchi は一体何を覚えていないのだろうか?
つづく