4/28
朝起きる、時刻は6時52分。なぜか今日は早く起きてしまった。
野球観戦をし、ウーバーのプロモを使ってマックを頼みまくり、健康を無視していたのが今日だった。
野球自体は思ったより面白く、行って良かったと思えるほどのものではあった。
一本目のHRを買い物のせいで見逃し、気分が落ち込んできた延長12回
そろそろ帰りたいなと友達と話をしていると左耳に快音が流れてきて、そのままボールはスタンドイン。
センターのグラブが中を舞うのを横目に僕らは喜んだ。
サヨナラツーランホームラン、僕が生で見た中では1番劇的な終わりを迎えた野球の試合だったと思う。
しかしそれが終わってしまえば、ありえないほど暑い車で寮まで帰り、そのあとはマクドナルドを頼みまくって暴飲暴食。本当に寿命が一年は縮んだ気がする。
そのあとは共有スペースで明日のディベートについての会議をおこなって大体の概要をまとめる。
結局勉強はせず、野球観戦だけをした少し無駄と言われてもしょうがない1日の過ごし方を僕は実行していた。
ふとそんな僕の横目に本が入ってきた。
暇だし読んでみるか
なんて思いながら栞がついているページを開く。中原中也詩集の一ページを開いた僕の目に写ったのは「春日狂想」という詩のタイトル。
僕が1番衝撃を受け、1番好きな詩のタイトルだった。
「愛する人が死んだときには自殺せなけありません」
そんな文章から始まる文章は僕を惹きつける。何度読もうが僕はこの詩に惹きつけられる。
なんてったって、こんなことを言っておいて結局はそれでも業が深ければ奉仕の気持ちになりテンポ正しく握手をしましょうなんていう終わり方をする詩だからだ。
だけれどこの詩は僕に多大な影響を与えている。
数年前、僕が一度だけ何もかも投げ出して小樽に行った際、僕のカバンの中にはこれとは違う中原中也の詩集が入っていた。
丁度親友の弟に浮気された頃で、何もかもがどうでも良くなっていた僕は小樽に逃げた。
よく分からない山を1人で登り、よく分からない優しいお婆さんに写真のスポットを教えてもらい、写真を撮ったりしていた。
少しこの詩に影響されていたのもあったとは思う。
特にいくあても無く、僕は小6の修学旅行で歩いた道を歩いていた。
オルゴール屋を目にして、中にはいる。
適当に選んだオルゴールから流れてきた曲がベートーベンの交響曲第3番英雄だったのをよく覚えている。
結局は何も買わずに店から出たものの僕は店に入る前とは違う気持ちになっていた。
幼い頃からピアノを弾く母の音を聞いていた僕にとって耳に流れてきた久しぶりのクラッシックは僕を原点へと帰らせる。
多分その時が僕が自主的に本を捨てた唯一の時だったと思う。
捨てたとは言っても、僕は近くの銅像の台の上にその本を寝かせて、忘れたことにした
今思えば正しい行いではないのは承知しているし、誇れることでは全くないけれど、多分あのままあの詩集を持っていれば僕の人生は変わっていたと思う。
じゃあなぜこの詩集が今僕の手にあるのか。
答えは簡単で今年、学校に来る前に妙にこの詩が懐かしくなった僕は必死に珍しいこの詩が入った詩集を探し、やっとの思いで見つけ出し読み直した。
愛するものが死んだ時は自殺しなければ
という文章には続きがあって、それは握手に関することだった。
何でかは分からないけれど僕はまたこの詩に惹かれ、今でもこの詩集をこの詩を読むためだけに持ってきている。
もちろん他の詩も読むが特に読むのが“春日狂想“だ。
毎回読むたびにあの小樽の日を思い出し、その日に感じた生への執着心を思いだす。
さて僕は何こんな長ながと話しているのだろうが。
野球観戦を無視すればよっぽど暇だったというのが見てわかるだろう。
シャンプー切れのせいでいち髪の匂いがする僕の頭をよこめに
それでは
と言いたいところだが流石に話が脱線しすぎている。
明日からはしっかりと話すので許してください。
これは正真正銘
それでは