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教育研修レポート【Learn by Creation~「創る」から「学ぶ」世界は無限大の可能性を切り開く~新しい学びを知り、共に考える祭典】 第3回

 【Learn by Creation】第3回目のレポートです。

今回は、

すべての子どもが共に過ごしともに学ぶには?~インクルーシブ教育の現場からの提案~》

というテーマのパネルディスカッションの様子をご紹介します。登壇されたのは、世田谷区立桜丘中学校校長の西郷孝彦氏、LITALICO研究所所長野口晃菜氏、そして軽井沢風越学園設立準備財団副理事長の岩瀬直樹氏です。

以下、野口氏によるプレゼンテーションです。

リタリコは障害のある方の支援、社員2000人、1万人の方に直接支援、サービスの開発、共同研究、公教育との共同研究を行っている会社です。

インクルーシブ教育とは何か!?

  • 教育からの排除をなくすこと

  • 共に過ごす ひとりひとりの学びへのアクセスを 両方を実現すること

  • 多様性を前提として、文化や構造を変えるプロセスが大事

1、教育からの排除とは

例:読み書きに障害がある小学2年生のAさんは授業中に外に飛び出す。校長先生から保護者に「来ないで」と連絡が入る。

発達障害の子供たち8000人がリタリコに通っているが、上記のような例はざらにある。

すべての子供が等しく教育を受ける権利がある。が、それが条件付きの権利であってはならない。どんな条件にもかかわらず、障害があってもなくても教育を受ける権利がある。インクルージョンの反対のエクスクルージョンには、学校からの物理的な排除と教育を受ける権利が保障されていない排除(枠の中に入れる子にとっては良い教育だけど)のふたつがある。

日本における教育からの排除をなくすための施策・・・教育基本法(外国から来た人、生涯ある人も等しく教育を受ける権利があるというもの)がある。

インクルーシブ教育は新しい概念ではない。教育基本法をちゃんと実践するために「インクルーシブ教育」という言葉を使っている。つまり、土台には人権の考え方。すべての人の人権を保障するもの。逆に、障害のある子どものためだけの教育であってもだめ。例えば、インクルーシブ教育を推進する中で、「先生の人権ってどうなってますか」という話も入ってくる。

2、共に過ごす、必要な学びへのアクセスする、その両方推進していくとは

例:支援学級に通いながら、おとなしく触りながら消しゴムいじりをしているBくん。支援学校にいきましょうと言われ支援学校に通っている。運動会の時だけ地域の学校に行き、応援して帰ってくる。

これも私は問題だと思う。共に過ごすことを重視しすぎて、必要な学びにアクセスにできていない。逆に支援学級だけで必要な学びにアクセスしているが、一緒に過ごすことはできていなかったりという例もある。文科省も平成24年の通知でインクルーシブ教育をうたっている。共生社会の形成、共に学ぶことを最大限に追及、個々の違いを大事にしていく。個々の発達を促していく、学びを追求していくという両方が必要だと言われている。

3、多様性を前提とし、文化や構造を変えるプロセス

エクスクルージョンとインクルージョンの違い。エクスクルージョンは、人を青と赤に分類して制度の枠に入れる子、既存のシステム構造に入れる子を分ける。インクルージョンは、そもそも明確に二つに分類したりしない。グラデーション。多様な子供たちすべてのニーズにこたえられるようにシステムを変え、枠組みを広げていくこと。

例:運動会。そもそも、運動会の目的は?一人一人が学ぶべきことは何ですか?それを全員が達成するためにどんな工夫ができますか?どんな子供も参加できるために制度、仕組み、文化を変えていくことが大事。

日本の構造上の課題

・行政が縦割り(特別支援教育だけが分かれている)

・特別支援学校(都道府県)と通常学校(市区町村)の管轄が異なる、連携しづらい

・制度の意図が伝わっていない。個々のニーズに個別、共同学習をやっていこうといわれているが、浸透していない負担感につながり結果形骸化

・教育課程上の問題、知的教育課程が異なる

・ICTや校務支援システムなどの環境

・教師:子どもの比率

・「力のある先生」ならできる構造

・先生一人でどうにかしなきゃならない構造

~野口的インクルーシブな文化とは~

・自分の権利を知っている

・お互いの権利を尊重する

・安心・安全な関係性が築けている

・構成員が多様な「ちがい」を歓迎している

・苦手やしんどいが言いやすい

・お互いのことを知っている、理解しようとしている

・対等な関係性

・ちがいによる困りごと

インクルーシブ教育はゴールであり、プロセス。オランダ、フィンランドに視察に行ったが、きれいにインクルーシブ教育を行っている。だけど、新しく仕組みを作ったら、そこからこぼれる子は必ずいる。だから、プロセスなんです。

~インクルーシブ教育の定義~

排除、差別のない社会のために、ちがいによるニーズのある子供も含めたすべての子供が地域の学校で学びにアクセスするためのシステム(学校、カリキュラム、制度など)を作るプロセス

以下、西郷氏によるプレゼンテーションです。

校則がないのは、インクルーシブ教育を実践するために必要なこと。職員室前の勉強机はテスト前になると、「ここが落ち着く」と土日に生徒がきて勉強する。廊下の机に愛着がある。授業中に廊下で勉強している子もいる。小学校の時はほぼ不登校で、桜丘中でも教室に入れる授業は少ないがここなら勉強できる子らが沢山いる。スイフトっていうアプリでゲームを作っていたり、廊下で寝ているある子は、IQが130以上あったりする。ギフティッドの子ら、IQ130以上の子らが3人くらいいるけど、みんな教室に入らない。そのうち一人の女の子はショートフィルム撮ってフランスで賞を取って来た。もう一人はコンアーティストというのか、詐欺師じゃないんだけど、完璧な嘘をつく女の子。練習で「こういう設定の嘘をついていいよ」というと完璧な物語を作る。周りの大人たちがなんとかボロを出させようと質問をするが、完璧に負けちゃう。

ゲームクラブではスマホOK。適当に集まってきた学年クラスもバラバラの子らが何となく趣味があると、集まっている。廊下で麻雀をしたり。「家に麻雀パイがあって朝持ってきた」という子。「持って来たらやらせなきゃいけない」と先生が考える。校長の僕は丸い机二つ合わせた。保健室の先生が毛布をかけた。あとはメンバーをなんとなく集めてきて「やってよ」と。本を読みながら、タブレット見ながら、なんとなく始まっている。

こどもらがやりたいって言ったら、なんとかやらせちゃうっていう校風

校長室はやたら人がいたり、やたら親密な二人が歌をうたっていたりする。

ギター部では有名なギタリスト来て講義。茶髪OK(野球部のマネは中体連の大会の時だけ黒髪に染める)。

文化祭では各部活が模擬店を出す。1000人くらい来るので10万円稼ぐところもある。韓国系のダンスの発表したりしている。

バレー部は都大会行くくらい強いが、終わったらギター部に練習に来る。

部活だけやってればいいんだってわけではなく、いろんなことやりましょうって言っている。

高校のバンド大会ではうちが大体一倍うまい。作曲講座でアプリにのせるのは面白くないから全部AとGだけで通そうとか。ライブ感覚で。

ダンス部はポカリのなんとかダンスでも準優勝している。

他、料理教室や夜の子供食堂やっている。

要は、こどもの居場所を作っている。

学校は授業とせめて部活くらいしかないけど、いろんな個性ややりたいことがある子がどこか選んで居られるように。

運動会って30%の生徒は嫌い。しょうがないから、玉入れをやる。「小学生みたいで何やってるんだー!」て文句言う親もいるけど、玉入れの朝練やっているクラスもあったりする。運動の嫌いな子も一緒に楽しめるように。部活の仮装行列などもある。

うちは積極的に携帯OK。美術でインスタの撮り方講座。柵のない屋上でインスタ映えする写真を撮る。そういう危険なとこじゃないと映えない。

浴衣の日には浴衣で授業を受ける。

授業の風景は無茶苦茶。前向いてない子もいるし、化粧している女の子もいる。

英語。アメリカ大使館からゲストティーチャーが来ている。オバマさんと友達の方が来る。自慢になるけど、3年生になると英語のアレルギーがなくなって、片言ですけど、英語で話しかければ英語で戻ってくる。日本語でもそうだけど、うちの子は屈託がない。

~桜丘中のインクルーシブ教育の定義~

桜丘中学校ですべての子供たちが3年間を楽しく過ごす

これがうちのインクルーシブ。いろんな子がとにかく楽しく過ごせばよい。そのためにどうしたら良いかをいろいろやってきた。

校則やめる、学力向上、マンガ読んでてもいい、寝ててもいい、髪の毛も自由、ユニバーサルデザインの授業やったり。

インクルーシブ教育をやるといったとき、学力が落ちるといわれたが、最先端の授業をやってやれと思った。最近は、才能開発教育。個性的な子は何か持ってる。それを探し出して見つけてあげようとみんな思っている。例:ファーストレゴリーグ。日本で4位になるとロサンゼルスに行ける。

~インクルーシブ教育の基盤~

子供たちに個性があって、個性の上にいろんなものを乗せようとする。ユニバーサルデザイン、学力をつけよう、と乗せようとする。でも、みんなうまくいかない。何が足りないかというとOS。オペレーションシステム。コンピューターの機械がそれぞれちがう間で、同じアプリを動かそうとすると、それを平均化するソフトをOSという。OSがないといろんな取り組みをしてもうまくいかない。これまで話したことが全部OS。

~OSってなにか~

・愛情もって生徒に接すること

・ひとりひとりを大事にする

・子どもとともに「生きる」

教員も生徒も同じ3年を過ごすのではなく、教員の人生と子供の人生が重なる、一緒に生きる3年間。

テストは積み重ねテスト。特性のある子、ADHDの子なんかは100点満点の準備はできない。気が散っちゃって。10点満点、20点満点に細かくわける。単元終わったらすぐテストをする。20点の満点。10点ぐらいなら前日ちょっとやってすぐとれる。納得いかなかったらチャレンジテストやりたければする。結果、みんな成績上がりました。

以下、岩瀬氏によるプレゼンテーションです。

小学校担任22年、東京学芸大学准教授。小学校の担任時代に何を大事にしていたか、風越でなにをやろうとしているのかを話します。

ひとりひとりの「手持ち能力の全面的開花」

やれないことをやれるようにしようという教育ではなく、いま持っている力をどう出せるか、やりたいと思っていることをどう出せるかを学校環境の中に作りたい。

1、豊かな学びを支えるもの→豊かで多様な関係性 

お互い困った、助けてほしいと言える、声を出したら助けてもらえるんだという信頼の関係性

2、ゆるやかな共同に支えられた個の学び 

一斉に!じゃだめ。そのとき必要なことを学べること。

3、学びやすい、居心地のよい学習環境を一緒につくる 

先生が一生懸命設定するのではなく、そこに集まった人が一緒に作っていく。

4、当事者性

授業、学級、学校の作り手が30人いれば30人の物語。多様な人が一緒にいること。気になる子だけがサポートを受けるのではなく、それぞれが特別で、それぞれ違う。

ひとりひとりの物語が紡げるような学級学校を作りたい。

「安心・安全・居心地が良いこと」と「一人一人が学び成長すること」を両立させたい。

今、本人がやりたいことやできることに注目し、そこを大事にしていく。

教室ってつらい。座ってなくてはいけないつらさ、前の人の後頭部を見続けなければいけない。僕は「後頭部凝視型授業」と呼んでいる。

教室リフォームプロジェクトでは、先生が良い環境を作るのではなく、子供たち自身が「一緒にリフォームしよう!」というもの。将棋が好きな子は将棋があれば教室にいられる。将棋って休み時間の度に片づけなければいけない。が、自分だけの将棋コーナーを作った。利用者二名。その後、リビングみたいな感じになった。「もっとしてみたい!」が増えてくる。いろんなコーナーができると自分の学びやすいコーナーを選べる。自分の学ぶ場所を選べるっていうのが、教室、学校にあるっていうのが大事。廊下でも、静かな教室でも選べる。こう学ばなきゃいけないってことでつらくなっていることがある。選べるということ。

【自由であることと、自由の相互承認】 by哲学者・苫野さん。

学習環境を作ることによって、私の居心地と、あなたの居心地はちがうんだよなぁということに気づく。それぞれの居心地を大事にする試行錯誤を何回も経験することを通して、それぞれを大事にする感度を育まれる 

作る、助ける関係性ができたら、ただ居心地が良いだけじゃ、学びへのアクセスができなくなる

一斉授業は限界。「前時までのことが全員に備わっていて、本時があって、次の時間がある。」というフィクション。本当は、もっと手前から止まっている人もいるし、とっくにわかっている子もいる。公教育はこのフィクションを手放さない。

「ゆるやかな協同の個の学び」の風景。一人ひとりが一週間学習計画を立てて、必要な学びをやっている。漢字やっている子、ポスター作っている子、プレゼン大会の準備をしている子、算数わからない子が算数が美しいと思う男の子に質問している。

テストも自分のタイミングで受ける。わかったらオッケー。間違えたらもう一回学びなおそう。ゆるやかな協同性があれば、ちょっと交換して修正して学び合おうとする。だから、学習計画表は、一人ひとりやっていることが全然違う。ある男の子は数学が得意すぎて高校の問題を解いている。数学が分からない子が、気楽に「ちょっとわからないけど、教えて」っていえる関係性がある。教材研究までしてくる。「分からないあの子にもっと分かってもらうには」とさらに勉強してくる。「こういう学び方は岩瀬さんだからできるんでしょ?」ってよく言われるけど、ひとりひとり学びたい欲求、自分の手元で決めたい欲求があるから、その環境さえあれば学べるはず!

東京のある小学校の映像。個の学びが保障されていると、何を学ぶかを自分で決めると、ぐっと学んでいく。作文書いている子の前でクッション作っている子、横ではパソコンでうどんの作り方を調べている子、本読んでいる子、 社会のテストに向けてレクチャーしている子もいます。だれでもどこでもできる。授業ってこういうものだって僕らが勝手に思い込んでいる。その子に合う学びをその子に提供できるかどうかが鍵になる。

手持ち能力の全面開花

本人がやりたいこと、できることに注目してそこを大事にしていくというアプローチ。「何々したい!」から始まると学びのモチベーションはぐっと上がる。

例:ロボットが好きすぎて、トイレットペーパーの芯と工作用紙だけで作った子。頭は紙コップ、すべての関節が曲がる巨大ロボットを作った。

例:ピンセットでビーズをたまにした迷路。

例:角虫の勉強のとき、百角虫作ろうとした子。1週間後悲しそうに持ってきた、「円柱になっちゃいました…」と。

自分がやってみたい!という気持ちを教室で保障されている

こういうことを繰り返していると、「・・せねばならぬ」こともちょっとやってみるか、というモチベーションが沸いてくる。

例:カッとなったらボカンとなって、手が出るA君。自分でも自分に困っている。彼は黙々と作業をするのが好き。手を止めたくないのに、チャイムで区切られるとボカン。自由進度の学びで、「今日家庭科やってようか」というと、安心して集中できる。「自分は今日すごい集中して学べた。」という達成感。ある日、僕のグッピー会社の友人から、グッピーが病気になったと連絡があった。A君はパソコンが得意で、検索が得意だから彼に委ねてみた。瞬時に病気を特定して「こういう薬買ってくるといいよ」と。ほかの子が「A君のああいうところってすげーな」ってなる。ボカンにも付き合えるようになる。A君はなぜかCさんと組むと落ち着く。なぜかCさんに怒られても「はい」と素直になる。そういう関係性って必ずだれにでもある。この二人だとうまくいかないけど、このふたりだとうまくいく。その試行錯誤が学校でできるかどうか。

関わり合いだけでなく、本人の中で成長実感があること。

2か月後のA君へのインタビューの様子です。「怒りメーターがあって、できれば怒りたくない。頭の中で消えてほしい。」と言っている。本人が困っている。でもそれを本人自身がわかっている。A君は異年齢になると雰囲気が変わる。めっちゃお兄ちゃんになる。絶対に怒らない。人とか、場所、関係をちゃんと選んでいる。「人のモチベーションは関係性の中にあるなぁ」って思う。

一人の一人への徹底した関心からスタート

教員はまとまりで考えがち。だが、「この子はいま何が大事なのだろう」、「何をやりたいのだろう。」という視点。先生が一生懸命がんばるのではなく、その場をともに作っていく。これが学校づくり、学級づくりでは核になる。お互い関心を持つ、「何をサポートできるだろう」、「何ができるだろう」、と。そして、緩やかな構造を作ったら終わりではなく、作ったらうまくいくのではなく、とにかく試行錯誤するしかない。

やってみてうまくいったら残していく、うまくいかなかったら変えていく。

軽井沢で風越学園を作っています。3歳から15歳が同じ建屋で過ごす学校。樹を残した。校舎も結構変わっていて、でっかい図書館があって自分で学びたい環境を選べる。今までの学校学級は学習進度、学級、進み方、学び方、教材が同じことによって、効率的に進めようとしてきたが限界が来ている。手放してみる。手持ち能力の全面開花させるために、

・異年齢の中で起きることに期待。

・学びを個に合わせてみる

・これやってみたいなから始まる探求の学び。

学校のありようは20年後の社会のありよう。今の学校が残念だと20年後の社会も残念。20年後のこうありたい社会を学校で実現していく。

以上3回目のレポートでした。今回の新型コロナ肺炎による休校措置として、加賀市でも家庭学習支援のために、オンラインでの個別の学習フォローの体制が取り入れられました。今後も地域において、どの子も取り残されず、それぞれの子(個)が持つ能力を全面的に開花させてあげられるような教育環境が整うよう、願わずにはいられません。 (飯貝真美子)

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