狂気の街、正気の街
クトゥルフ神話TRPGシナリオ『正気の街』は、チェッカー卓でも人気のシナリオだと思われる。チェッカーにかかるとアリスをベースにした狂気シナリオも、スーパーロボット大戦に大変身してしまうのでそこら辺はあれだけれど、本日のニュースをみていたらふとこの話のことを思い出した。
青いくらさんのシナリオ!
一言でいうと、正気であることを絶対のルールとする街を舞台にした話だ。つまり「正気」を極めると「狂気」になってしまうことを示した作品だった。
シナリオでは、正気であり続けることでどんどん上層にいけるシステムを利用して、どんどん上へと向かっていくのだけれど、その一番上層部には「マッド・アリス」とよばれる「狂える特異点・極致の探索者」がいる。それはPLがロストしたプレイヤーキャラであるかもしれず、クトゥルフ神話世界を探索しきった最後の探索者の世界かもしれない。
このシナリオはプレイヤーが最も正気である行動「街の外に出る」を選択しないように誘導するところに肝がある。
狂気は正気の兄弟なのである。
このシナリオでは永久的狂気におちいったアリスはプレイヤーと同じメタ発言が可能ということになっている。プレイヤーの欲望(行動)を先んじて理解できるアリスはGM(KP)がしたいようにできるのだけれど、狂っているので自分を守ることができない。「プレイヤーが殺しに来たら自ら進んで殺されるし、プレイヤーが正気を証明したら殺しにいく」となっている。
生のショゴスを喰ったらこうなってしまうのだろうか……。
テレビを見てたら、追悼番組なのにお笑いにしか見えない番組が放映されていて、一方で国民全員に60億円を払ってマスクを届ける政策が決定されていた。これはまさに狂気の兄弟の話だ。
狂っていたら、追悼番組はお笑いにしようとしてそうなってしまう。殺そうと思っているからこそマスクを配って命を守ろうと考えるだろう。みんな正気だ。正気を証明しようとして、お笑いになっているのだ。
2019年は『ジョーカー』が大ヒットしたおかげで映画の存在感もけっこうなものになっている。でも『ジョーカー』はしっかりと正気だからこそ邪悪なのだ。
初期ジョーカー、それから60年代は道化師というかコミカルな存在だったジョーカーは2000年代に入って突如として凶悪化する。凶悪化というより、正気になっていったのだと思う。ジョーカーがバットマンの正体を明かそうと口を開いたロビンを殺すシーンでは、ロビンがジョーカーに籠絡され狂気に犯されたから殺したのだ。
この凶悪さは「狂える特異点・極致の探索者」の正気と等しい……。『正気の街』では、PLの要求があがっても、アリスも同じように過酷な要求ができてしまうという仕組みになっている。いいかえればPLの、つまりこの社会の過剰な要求と正気の証明が、ジョーカーという狂気の正当を担保しているのだ。
だから『ジョーカー』では絶対ウソの作り話を延々話したあとで、犯罪王として〈目覚める〉ストーリーが採用されている。過酷な社会の要求は、すべての水準で社会に跳ね返るのだった。
狂気を証明せよ。