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花の下には風吹くばかり
家の前の桜も満開。また一年生き延びたなと、感慨に浸る季節。「花の下には風吹くばかり」という坂口安吾の言葉が浮かびますが、最初に目にしたのはどの本だったかと本棚を探したらありました。角川文庫『別れの言葉辞典』(1986年初版)。
人生における様々な別れの言葉を集めたこの本。芸能人の記者会見やスポーツ選手の引退といったリアルなものから、小説や映画といったフィクションまで、男女の別れから、人の死まで多岐にわたります。安吾の言葉は「弔鐘」の項にありました。石川淳の「安吾のいる風景」からの引用。
安吾が消えてなくなったあとには、もし気休めが必要ならば、まあ竹の棒の一本立てておけばよい。幸い、当人が書き捨てた反故の中に、ちょうどまぐれ当たりに、墓碑銘、いや、竹の棒にでも刻むに適した文句がある“花の下には風吹くばかり”。
群馬県の桐生川畔には坂口安吾の文学碑「花の下には風吹くばかり」があるらしいですから、竹の棒ではなかったようです(笑)。解釈は色々でしょうが、自分という存在が消滅しても、また季節が巡って桜は咲き続ける、そんなイメージでしょうか。
せっかく引っ張り出してきた本なので、いくつか「臨終」に関する別れの言葉を挙げておきます。
「さよなら。僕は神の手に、あるいは悪魔の手に打ち倒されました。ありがとう」(田中英光)
「悪魔がそこにいる」(萩原朔太郎)
「何か食いたい」(夏目漱石)
「幕を引け。茶番劇は終わったのだ」(ラブレー)
「益荒男がたばさむたちの太刀の鞘鳴りに 幾年耐えて今日の初霜 散るをいう世にも人にも先駆けて 散るこそ花と吹く小夜嵐」(三島由紀夫)
「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」(イエス・キリスト)
「どうかいつも次の言葉を思い出して欲しい。全て生まれた者は滅びるということを。そして解脱するために休みなく努力して欲しい」(仏陀)