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世界観は私にはまだ早い?

情報よ有益であれ?

私は日常や気になった出来事を話していますが、有益でなければいけないのでしょうか。

最終的な形としては、気になる日常を通したイラストや、文章を書く仕事がしたいと思っています。

この状態にもっていくためには、今の私には世界観なんて必要ないのかもしれません。

最近読んだ本に、世界観は最初はあまり興味を持たれないようなニュアンスの話がありました。

そこで私は一方的に世界観を伝えているだけなのでは思い、今はミニストップでエックスフライドポテトを買って、家で食べながら書いています。

これが世界観ということでしょうか?

今の脱線したポテトを食べている話はいらなかったということですね。

でも、日常ってこういう何気ない時間や、その人特有の生活に面白みがあるように思います。

これを見ている人は何をしながら見てるのかな?と想像することも楽しい。。。

このようなその人特有のものが私は大好きです。

だから、そんな人のエッセイや話がたくさん読みたいし、話してみたいからこそ今の私が活動できていると思うのはたしかです。

この思いと相手のほしいものを切り分ける必要があるのか、そのまま突き進むべきかが少し悩みの種になっています。

私の気持ちとしては、
相手がほしいものを提供するというよりは、日々の日常の楽しさを共有して、笑顔が増えることに関心があります。

どんなに仕事が後ろ向きでも、
誰かの一言で頑張れたり、踏ん張れたりする中で笑顔がすごいポイントになっていると感じます。

笑顔は、
その人自身の話や、その人の感じたことなど、
その人独特の間などが面白くてできるものです。

あまり強い言葉を使うのはためらいますが、
自分のなりたい世の中のために、前に進めるような気がします。

誰かが言ったからじゃなくて、自分が思ったからそうしたい。

今までもこれからも発信を続けていきたいと思います。

間違っていたら止めてください。
私はまだ軌道修正可能です笑

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あすきの
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