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子供の時はまた学校で会えたけど、大人になったらそうはいかない。

仲良しでいたい。

だけど、相手にとっては適切な距離を保ってほしい。
言葉で言われていないけど、そのムーブを大人になってなおさら感じる。

私も聞き方が悪かったのかもしれない。私は相手を思いやることができていたのか。
本当の思いやりって、本音を話すことではないのかな。

正解を探してしまうけど、どうにもならないこともある。

大人になってから「気になること」を発言する機会も減り、
心の中にしまう回数が増えてきた。

相手の顔色を伺いたくはないけど、伺う癖は抜けない。

だけど、自分の捉え方次第で前向きに考えていきたい。

「自分の伝えたいことは遠慮しない」
これに尽きる。

どんなに心にしまっていても、自分の意見を言わないのは自分にストレスをかけることになる。

私自身、最近友人に気になったことを追求したけど、間違いじゃない。

だって気になってしまったのだから。ただ、追求がよくなかったことに気づいた時には遅かった。すれ違いというやつだ。

自然と相手に合わせることが身についていただけど、すれ違いの中に大きな発見があった。

遠慮するのは自分に対しても失礼な気がしてきた。

ある程度のマナーは必要だが、気を使ったコミュニケーションの取り方よりかは今まで通りでいたい。

子供の時は、喧嘩しても次の日にまた学校で会うから、仲直りはすぐできた。

だけど大人になると、当たり前に会えるものじゃない。

それを実感して、言葉に表しずらいモヤモヤが残る。

だけど、前には進みたいと思う。また、会える日が来たときは笑顔でいたい。

面と向かって思っていたことを話したい。

大人と言える年齢になったけど「気にする」ことは減らず、むしろ増えてきた。

言葉選びを気にするようになったのは、相手の顔色を伺っているからかな。

「いや、それは気にしすぎ」

なんてことないセリフだけど、気にしすぎる性格の人の心に刺さる。

刺さった言葉は心に残ったまま、自分の体をむしばんでいく。

自分の言葉でも人を傷つけてしまうこともある。向き合うってことはそういうことだ。

それでも一緒に進んでくれるのなら、ありったけの感謝と笑顔であふれる時間を過ごしたい。

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あすきの
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