悔しいけど楽しい?何度も心が折れる社会人生活
久しぶりに仕事の中でお叱りを受けました。
もちろん、私の中で担当したものができていなかった、ダメだったなと納得しています。
ただ、悔しい気持ちも出てきます。
なぜかこの感覚が久しぶりで、小さな熱意のようなものが生まれた気がしました。
今回はこの感情を少し追いかけたいと思います。
悔しかった思い出は何だろう?
パッと出てきたのは、ソフトテニスの部活をやっていた時を思い出します。
大事な試合で負けてしまった。一生懸命やっていたものが思うようにいかなかった。。
振り返ると自分が汗をかいて、目標に立ち向かう自分がいました。
がむしゃらで、他のことが気にならないくらい夢中で取り組んでいました。
一緒に団体戦をした仲間が、普段見せない涙を最後に流した瞬間や、
前を向いて一緒に戦う仲間の姿や応援の姿が今でも焼き付いています。
それも自分が夢中でできていたから、巡り合えたのでしょう。
悔しかった思い出は楽しかった思い出になりました。
気持ちが何度も折れる社会人生活
熱意というのは不思議なもので、気づいたら小さくなっているものです。
社会人生活の中で、自分のできないことが出てきたときに、無力感を感じます。それに追加して、責められた時には、もう心の中で叫ぶしかありません。
忙しいときに、人間の本性が出るというのは本当な気がします。
ただこの本性をどうぞ存分に出してくださいとも思えてきます。
在宅ワークになり、コミュニケーションを取るのは朝のほんの5分、それが半年になりました。
だからこそ、最近お叱りを受けたとき、自分の中の立ち向かいたいような小さな熱意が生まれたのだと思います。
注意されたことで何かのスイッチが押されたようです。
本来は、自分で自ら押すべきかと思いますが、。
ただ少し見えた本性のような温度のある言葉が、嬉しかったのです。
言葉の温度というのは直接聞くことで感じ取ることができます。
そして今立ち向かいたいものがある。
それだけで今やっているエンジニアという仕事の楽しさを見つけてしまったのかもしれません。