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第16回 早馬神社の由来 笠山はかつて牧場だった

こんにちは、阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
前回、桐野地区にある早馬神社に触れたので今回はその早馬神社にまつわる歴史を掘り下げてみようと思います。

時は藩政時代。現在の笠山に瀬崎野牧場という藩内で最も優秀な馬を産したと言われる牧場がありました。この牧場で「春駒捕り」という二歳駒(二歳の馬)を捕らえて軍馬に補充する行事が毎年春に行われていたそうです。

笠山にある溜め池はもとは牧場内の馬の飲用池として利用された


行事の前夜、桐野・笠山付近に集合し一斉に法螺貝を吹くとこの音を聞いた周辺の郷士がまた法螺貝を吹き次々に各郷地に知れ渡り、郷士たちが瀬崎野牧場に向けて夜道を歩き始めます。

駒捕りの資料がないため想像図です

数百頭の馬が駆け巡るなか馬に乗って二歳駒を追い込みその馬に乗り移ることは容易ではなく危険がつきものだったので、それに先立って駒捕りが怪我なく無事に行えるように、そして立派な駒が育ったことへの感謝と今後も良駒に恵まれるようにと祈りを捧げる祭典が厳粛に行われていました。

この祭典は最初は瀬崎野の高台で行われていましたが、のちに現在の高尾野町に移り馬頭観音を祭るようになります。それから天保末期(1840年頃?)に馬頭観音を桐野に移した際に「早馬神社」と命名されました。

木造瓦葺のお社は歴史を感じる佇まい

その後、馬の安産や悪癖治療の守り神として百姓たちも参拝するようになり明治維新を迎え瀬崎野牧場が廃止となったあとは農耕馬の守護神として親しまれ、明治11年(1878年)に現在地に移されました。

早馬大明神と書かれた鳥居とその横にいるたのかんさぁ

鳥居の右側にひっそりと佇むたのかんさぁは明治45年5月12日に建立され、近くの納骨堂入口にあるたのかんさぁも同じ日に建てられたようです。

鳥居横のたのかんさぁ
納骨堂入口にいるたのかんさぁ

また桐野地区の名前はかつて「霧野」となっていて笠山を境に寒気と暖気が交わり年間を通じて北薩一帯では最も霧の発生の多いところだったそうです。
この辺りはとてものどかな景色なので神社にお参りがてらドライブするのも気持ちが良いですよ(^^)

☝️早馬神社の詳細地図はこちら
次回は【庚申塔】をフシギ発見🕵️

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