初心者が天理教の修養科に行ってみる。94日目

ここ3ヶ月、最も注目されてきたあの修養科生のラスト日記です。最終回なので長めです。

5時起き
昨晩酷い頭痛の末就寝
明日こそは元気な状態で、起きれますようにと願いつつ、体調不良のまま起きた。
ずっと具合悪いし、修養科最後にやりたいと思っていたことも出来なかったし、珍事件起きるし、悪夢のような一週間だった。私は一体何を見せられていたんだ…?
激しい目眩する中で思った以上に進まない荷造り、苦痛。
最後の詰所朝勤
そういえば本部朝勤はいつだったんだ?ずっと体調不良で休んでいたから最後と意識する前に終わってしまっていた。本部夕勤も三週間くらい行かなかった気がする。

詰所神殿からの景色

身バレするのでは?と言われそうだけどとっくに詰所バレしてるからもう載せる。
この3ヶ月でちゃんぽんもすりがねも太鼓も出来るようになった。え、これが最後?
最後の詰所の朝食

豪華

詰所で食べる最後の食事。辛すぎて一期講師の先生に「修了式に行きたくないです」と吐露したところ「修了出来るかわからないのに?」と言われた。修了出来るか修了式に行かないとわからないものなの?大学とか成績発表のときに「卒業要件を満たしました」的な文言出てくるじゃん?
ところで、皆さんは修養科は自宅通学出来ることを知っていましたか?私は知りませんでした。でも詰所で集団生活をすることが修養科の醍醐味でしょう。ぶっちゃけ私は詰所生活が好きではなかった。学校みたいに好きな人たち同士で連んでいれば良いわけじゃない。一緒に生活する人たちを選ぶことはできない、自分が産まれる家、親を選べないように。なのに一緒に生活すると癖性分がどうしても見える。椎名林檎の「愛妻家の食卓」という歌に「貴方はきっと外では違う顔なのでしょう?」という歌詞がある。私もそう、家と外では全く違う顔、詰所と学校では全く違う顔だったと思う。そして修養科は一日一日今日は何があったとか話せる家族になるには時間が足りなかったと思うよ。
8時25分に四棟前集合になっているので、8時に詰所を出て教養の先生(6月の)に送ってもらった。最後までありがとうございます。
四棟前でクラスの友達が一人一人に手紙を書いてくれて、しかも一人じゃなくて、沢山手紙もらっちゃった!私なにも用意してないのに…。一番仲良くしてくれていた外食組の友達からちいかわのケースまで貰ってしまった。私なにも用意してないのに!!!!本当はさ!!!!!元気だったら私も書く予定だったんだよ!!!!なんで具合悪くなってんの!!!!!
その後全員で五講堂に移動。2期生や1期生の組係さんかな?お出迎えしてくれた。このノート読んでくれている子も出迎えてくれた。まじサンキュウ。
修了式は出席番号順で座る。私の出席番号は最後尾。式前のトイレ休憩の時間にひのきしん係のお世話になった先生に暗黒の一週間の近況報告。「ブログのネタになるね!」と言われたけど内容はとてもこちらに書けたもんじゃない。暗黒の一週間何があったか興味を持ってくださった方、私に会った時に聞いてください。聞いて欲しいです。
はじめに修養報告、今期修了出来なかった人が男女6人ずついたらしい。累計の修養科修了人数は679,000人(端数聞き逃した)とのこと。すごいね。
修了証授与 各クラスの総代が人数分授与。馬鹿正直なので自分が修了出来たかどうか不安に思っていたけどクラス人数分呼ばれたので一安心。
内統領先生の祝辞
修養科主任挨拶
修了生答辞
よろづよ八首まなび
遥拝
閉会
閉会後に各クラス担任副担任の先生から修了証の授与があった。注意で「先生は人数分配られるので挨拶は一言程度に留めてください!」と言われた。そうか、ありがとうございましたくらいしか言えないなーと思っていたらうちのクラスの先生方は一人一人に二言以上お話をして下さったので、どのクラスよりも最も遅く、ついでに私は出席番号が最後だったので、五講堂で最後に修了証を頂いた。先生が私の3ヶ月の振り返りをしてくれていた話の途中で五講堂を追い出された。どういうことなの…。
実は我がクラスは担任副担任の先生方へメッセージの色紙を用意していた。組係様この企画立ててくださり本当にありがとうございました。とにかくこの日は時間がないので式が終わって神殿に参拝に行く間の少しの時間にしか渡せないと事前に打ち合わせをしていたにも関わらず、とにかく授与に時間がかかったため皆がもう無理じゃん…と諦めモードになっていたのだ。
でもなんとか四棟吹き抜けで先生方へ渡すことが出来た。
そしてこの3ヶ月組係を頑張ってくださった3人へ、クラスからそれぞれミニアルバムを贈呈。泣いてた。ニッコリ。こちらの企画立ててくださったクラスの皆さん方本当にありがとうございました。
修養科生全員で東礼拝場に行き、お礼勤。私はとある事情から一人でいれなくなっており、友達や先生に着いてきてもらいトイレに行った。
修了式は予定では10時40分には解散になっていたけれどお礼勤をした段階で10時40分、これから教祖殿に参拝。まあ260人が一斉に移動すると時間かかるよね。
教祖殿で教祖に報告。
これで994期の修養科の課程が終了。
なんだか、これで終わりだなんて信じられなくて、「え?これで終わったの?」ってなってしまった。まだこの後も、明日も明後日も来週もずっと続くように思えて信じられなかった。
その後東礼拝場前で2期生の子達が待っていてくれて、修了をお祝いしてくれた!
クラスでもう一度写真を撮っていたら、教会長先生が迎えにきてくれた。
2期生の子が「誰か一緒に写真撮りたい推しの人はいますか?」と聞いてくれたけど、撮れなかった。残念。またいつか会えるといいな。
この後、私には大変に大変な予定が迫っており、先生方やらクラスの皆にちゃんとご挨拶も出来ないまま帰ることになった。それだけが心残り。
さてこの後、修養科修了記念に、


ばん


ばばーん

お節会のときにお世話になって、私に「よふぼく」という単語を教えてくれて、かつこのノートを読んでくださっている方に鰻を食べさせて頂いた!
たぶんあのまま神殿にいたら泣いて昼食どころじゃなかったから連れて行ってもらえて良かった。御守護があった。
ここで「おさづけ」について考えさせられることがあった。
私は修養科に来て、沢山の人からおさづけを取り次いでもらった。それをみて素直に憧れを持ち、子どもが親の真似をするように皆の真似をして、おさづけの理を拝戴してから沢山のおさづけをしてきた。でも人によっては「おさづけ」に対する想いが違っていて、気軽におさづけを取り次げない人がいる事を知った。そういう方々にとって息をするようにおさづけを取次ぐ私が励みになると言ってもらえた。私は基本的に自己肯定感低めなので、自分がやってることが誰かの役に立っているってあんまり信じていなくて。でもこのノートを書き続けて色んな人に参考になってるって言ってもらえて今回深く心に沁みたように思う。

おさづけ、
はらだち、よく、こうまん を三日間積まなかったらきくらしいと聞きました。感情優先で生きてるわたしには中々ハードルが高い。

そこから急いで詰所に戻ったら、クラスメイトの詰所の方で、こちらのノートに何度もコメント下さっていた先生が会いにきてくださっていた。時間がない中来てくださって本当にありがとうございました。差し入れもありがとうございました。

13時から門出式、もちろん主役は私。
挨拶、全然考えていなくて、気が利いた事言えず申し訳なかった…。
6月の教養の先生、2期生、1期生皆さんからあたたかい言葉を頂いた。2期生も1期生も、初めは仲良くなれなかったとかあまさん嫌で冷たくあしらっていたことがあるとかグサリとくるメッセージだったの、もうやめて!私のLPは0よ、もう勝負はついたのよ!
確かにわたし、3期生のくせに全然みんなのこと引っ張っていこうとかサポートしようとか一切思ってなくて好き勝手やっていた。そんな私だったけど皆助けてくれて、体調不良のとき特にお世話になりっぱなしだった。仲が拗れてしまった人との間を取り持ってくれたり、私が具合悪い時掃除たくさん受け持ってくれたり、荷物まとめるの手伝ってくださったり感謝してもしつくしきれない。ありがとうございました。本当はもっとお別れの時手紙とか書くつもりやったのに、もっと話したかったのに…。悔いばかり残る。
最後によろづよ八首学び。修養科中よろづよくらい、うたもおてふりもおぼえようって思っていたのについに憶えられなかった。
詰所の皆さん、本当にお世話になりました。
みんないつまでも元気でいてくれー。

教会長先生が迎えにきてくれて詰所にバイバイしたあと、先生とさかい珈琲に行って三ヶ月のお話しやこれからのお話をした。
JTBに切符を買いに行く時、本通りを歩いていたんだけど、もうハッピ着てないし、自分はもう修養科生じゃないし、修養科生を見かけても同期はいないんだなと思うと寂しくなった。おぢばで、修養科生じゃなかったら自分て何なんだろうなって思った。修養科生じゃなくなった自分の定義を見つけていかないといけないなって思った。
教会長先生に天理駅まで送ってもらって、ここから一人で福岡まで帰る。

セブンもお世話になった

途中で泣いて帰れなくなったらどーしよって思ったけど、ずっと友達がメッセージやりとりしてくれていたから自我を保てた。今日修養科修了の人の中で何人か今日から教人講習に行っているらしい。修了式出れなかったってことだよね!?ちょっと可哀想。修養科から続けて講習ってキツそうだな。2ヶ月開けてから行くのとどっちが大変ですか?
いつもは大阪回りで帰るんだけど、体調悪いし乗り換え多いとキツイから今回は京都回りで帰ることに。今年は光る君へとかあってるし、宇治行きたいなって車窓から眺めていた。
私はもう家に帰るけど、何人かは修養科終わったらその足で大教会に行くって言ってたね。まだ勉強が続いている人もいる、勇め。
クラスメイトが思い出ムービーを作ってくれていたけど100%泣くから外じゃ絶対観れない。家で観るしかない。
久しぶりに京都から新幹線に乗るけど、新大阪に比べて人が少なくて快適だった。梅雨の平日だったからかな。そういえば994期生の皆さん、梅雨真っ只中で修了式の日も雨予報で、たしかに雨ちょこっと降ったけど外で写真撮れるくらいの天気で良かったよね!

手紙もたくさんもらったので京都からの新幹線の中で読んでたら号泣。そしてハンカチもティッシュも修了式のときのバッグに入れててキャリーケースの中。今手元のバッグに入ってなくて涙だらけ鼻水だらけで拭くこともできず、前の席の人が不審がってた。ごめんなさい。
最近修養科が終わるのが嫌すぎたし、最後の方暗黒の関係でそのまま解決せずに修了してさようならになってしまった人達もいて、こんな気持ちになるくらいなら修養科に来なければ良かったとか思ってしまう時もあったんだけど、やっぱり修養科に来て良かった。友達たくさん出来たし、たくさん勉強なったし、当初からのめまいとかほぼ解消した。不眠も大分改善されて眠れるようになった。
新幹線の中でまさかの、声優の松野太紀さんの訃報を聞いた。ファンだったのでこちらも辛かった。出直しも御守護だと言いますが、悲しいものは悲しい。
色んな意味で泣きながら無事に博多に着いた。

家に着くまでがおぢばがえり


もし修養科行くか悩んでる人がいるなら、行ったほうがいいと思います。嫌になったら途中で辞退すれば良いと思う。クラスに一人くらい辞める人いるから。これまでの生活をしていたら絶対会えない人たちに会うことができる。友達や教会の方とも話していたけど「修養科にわざわざ3ヶ月悪い人達が来るわけない」と思うし、修養科にわざわざ3ヶ月来るなんて絶対何か身上事情がある人達だから、悩みを共有できたりお互い支え合うことができる人達だと思う。そして教会、学校の先生、詰所の方々、何か起きたときに心配してくれる人が沢山いる。人生で行き詰まっている人、孤独を感じてる人は行ったほうが良いと思う。ある人は「修養科生は皆病気」って言ってた。これは極論だと思うけど言わんとしてることはわかる気がする。何ともなさそうな顔をしていてコミュ力おばけだなって思っている人も実は内側には沢山の悩みを抱えていた。

逆に修養科おすすめしない人を挙げるとすれば
・団体生活にストレスを感じる人
・一人でいる方が心を休める人
・他宗教を信仰していて、修養科生をお道から引き抜こうとしてる人
かな。修養科生活していても案外近くにカルトが潜んでいたりするそうなのでそこは気をつけた方がよろしいかと。

私はこれから休職していた職場に戻る。またほこりを積む日々が始まるんだろうなと思っているけど、ほこりを積んだときに、自分がほこりを詰んだと気づけておつとめで払えるのとそうでないのでは心の在り方が全然違うと思う。きっとこれからの生活で活かせると思う。

7月には、はじめて教会の月次祭に行って、こどもおぢばがえり期間にもおちばに少しお邪魔をするので、見かけたら声をかけてください(私、近眼なので遠くからだと人がわからないことが多くあります…嫌っているわけではないです)

3月25日から95日間毎日記事を書くことが出来たのは読んで下さった皆さんのおかげでした。一人で手元の日記につけるくらいだったら多分2日目で辞めていたと思います。ちょっと今日きついし書くのやめようかなってなってるとすぐ心配して連絡して下さった皆さん、おかげさまで毎日書けました。本当にありがとうございました。
また何か思うことがあればノート書きたいと思います。
お付き合い頂きありがとうございました。
それではおやすみなさい。


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