なぜ実況動画を作るのか2
アクエリです。
あの終わりで続きものです。
前回の記事で実況動画を作る理由は自己満足だと書きました。
じゃあ自己満足の手段がなぜ実況なのかを今回は書いていきます。
アクエリのネット人生を紐解く必要があるので、人によってはかなり、ものすごく、懐かしい話になるかもしれません。
全ての始まりは
う ご く メ モ 帳
通称うごメモ、私の人生はここから狂いました。
フォロワーさんのなかにも同じ想いの人が必ずいます。
うごメモを一言で簡潔に説明します。
イラストやパラパラ漫画をネットに公開できる。
今は亡きDSi,3DSで利用できたサービスで、作品に音をつけることもできました。
今でいう"いいね"をつけることで作品を評価でき、再生数やDL数も出るし、コメントもできる。
これ書いてて思ったけどうごメモってめっちゃ先駆けじゃない?
さてそこでの自分の主な活動ですが。
チャットでした。
作品のコメント欄を利用したチャットです。
そこで様々な人と出会い、話し、仲を深めていました。
けれど恥ずかしい話、自分には絵を描くセンスが本当に皆無で、たまに描くにしても一生懸命題材を見ながら。
何も見ないで描いたら大変なことになるし、今でもそう。絵しりとりとかやらせたらマジで詰みます。
チャットで出会う人は皆さんとても絵がお上手で、ろくな作品を出せない自分が少し嫌でした。
そこで目をつけたのが今でいう"歌ってみた"です。
なんというか、チャットの人と少しでも繋がりたくて、あの歌の作品みたよと言ってもらいたくて、苦肉の策でした。
そうしてしばらく、ラジオ(笑)を作るようになります。
音が入るのは1分まで。
限られた時間で近況を喋ったり、質問に答えたり…
もう完全に黒歴史の話をしていますが、何を言いたいかというと
何の才もない自分に唯一できたのが声を使うことだったわけです。
正直このときの経験があったから、面白かったと言ってもらえたから、今の活動に繋がっている部分があると思っています。
アクエリの名もこのときからのものです。
あらゆる意味でネット人生のスタートがうごメモでした。
しかしそんなうごメモもなんやかんやでサービスが終了。
かつてのチャット仲間がTwitterに移住していたこともあり、追うように開設。
ここからはツイキャスやnanaで声を使って自己満足するようになります。
それからまた年月が経ち、自分のPCも実況動画を作れるのでは?と気づいてから、動画投稿に手を出しました。
実況動画の良いところは作品に触れながら自分の感性をダイレクトに表現できるところだと思います。
もちろん全ての創作において作者の気持ちやメッセージを込めることはできます。
ただそれは例えばキャラクターを通してされるものだったり、明記されず読者が感じ取るものだったりで、作者本人が直接出てくるわけじゃない。
作者がこのキャラには自己投影していると公言でもしていれば別ですが
作者本人の口から説明されることって作品内ではまずないじゃないですか。
でもそれが実況動画ではできる。
既に完成された作品を自分の言葉ひとつで自分の作品にできる、というと少し大げさかもしれませんがとにかく、アクエリという人間を純度100%で表現できる。
作品が提示する話題にああでもないこうでもないと答えながら、ときどきナレーション()を入れることもできる。
自己満足の手段として実況動画に辿り着くのは当然の帰結だったと言えるかもしれません。
自分の反応や言葉選び、感想に面白いと言ってくれる人が一人でもいるから、あの頃やりたくてもできなかった作品作りを時間をみつけては次々としてしまうのです。
この辺りの気持ちはフリーゲームについて書く記事でまた扱うつもりです。
自分の言葉ひとつで自分の作品にしてしまうなら、"変えられてしまう作品"にどう接するべきか書いていきます。