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何者にもなれない私の話[母の再婚、性虐待]


episode 2 「ヤングケアラー」

こんばんは。前回に引き続き、何者にもなれなかった私の話。紐付ける方法がわからなかったのでタイトルで変化出しました。ネタバレですね。

前回は軽く幼少期と私と母と実父の話をしました。
少し自我も芽生えた頃、私の記憶もハッキリし出したのは高校の頃からでした。それから私の人生はさらに狂っていくのですがそれはまた後ほどお話しします。

産んでもらった(産みやがった?笑)親にこんな言葉は使いたくないけれど、"毒親"あるあるだと思うのだが、子連れだとパチンコって入れないから、父との面会の時はよくメダルゲームに連れてかれてたなあ、なんて思い出してました。
父がひたすらメダルゲームしてメダルがなくなってあーってなってるところ、私、周りで落ちてるメダル集めてきてポッケから出して「まだありまーす」ってやるのがいつものノリで、その時だけ父に認知されるんですよね。その後、いつも飲み会に連れてかれるんですけど、いてもいなくてもいいっていうか、本当にただ自分の行くところに連れてかれて。嫌だったなって今なら思えるけど、あの時は嫌って感情が嫌って事にすら気づかなかったから子供って不憫だなって思う。私が鈍感なだけだったのかな。

そんな父と会わなくなったのは、義理の父親、私の2人の妹の父親と母が出会い、定期的に家に義理父が来るようになってから。SMAPの中居くん似の、ちょっとチビだけどイケメンで優しい一郎、もとい「いっちゃん」に甘やかされ、タジタジながらも少し心を開いていた私はこの後の展開に徐々に心身ともに壊されていくことになる。

まず、私といっちゃんの初めての出会いは小2のクリスマスだった。と、思っていた。が、それ以前にも母に男の影はあり、当時早く寝なさいと8時台に寝かされていた私は眠れなくて寂しく母に泣きつきにリビングに行った時、男の人の声が聞こえた。私は咄嗟に声を潜めた。
そっとガラスの扉から覗くと、リビングのソファでは母の上に男の人が覆い被さり、母の脇を舐めているというまだ幼い私には「???」な光景に私はそのままベッドに戻り声を顰めたまま泣きじゃくった。なぜかはわからないが涙が止まらなかった。
みてはいけないものを見た、そんな気がした。
母は女の顔をして笑っていた。
多分あの時が本当のいっちゃんとの初対面だったのだろう。その後、母の実家が大きな家を建て、家族を招集するというので、母が泣きそうな顔で私に「なあ、あんたはどうしたい?お婆ちゃんと、叔母と暮らしたい?それとも、いっちゃんと暮らしたい?」と聞いてきた。
私の答えは決まっていた。おかあさんの答えてほしい答えだった。

そうしていっちゃんと再婚して、いっちゃんは新しいお父さんになった。
初めは良かった。いっちゃんも上場企業に勤めていたし、母も身内の会社でそこそこ稼いでいた。
しかし私とすると、ちょくちょく嫌なことが増えていた。いっちゃんはおふろあがり、全裸で上がってきてなかなか服を着てくれない。
思春期というにはまだ幼いと言えど、女の子である。
見たくないものは見たくない。
何となく目を逸らしていると、「何やお前、ちんこ恥ずかしいんけ」と笑われる。逆になぜ恥ずかしくないのか?と正気を疑っていた。
「恥ずかしくない」と言うと、「じゃあ触ってみるけ」と言われ無理矢理触らされたりした。
母は「もー、やめーや」と笑いながらそれを寝そべってテレビを見ている。私は助けて欲しかった。
それ以外にも、お風呂に入る時に「間違えた」とドアを開けてきたり、痛いくらい乳首を摘まれたりした。
正直、何だか変だな、と、幼心に感じてはいた。

余談だがその頃いっちゃんが落としたAVのパッケージはM女24時間レイプ祭り緊縛系のハードコアAVモノで、私はそれがえっちなものだとギリギリ認識できるレベルの年齢だった。なんならグロいやつかと思ったくらいであった。でもしっかりおかずにしていた。もう言い訳できない、しっかりメスガキである。
なんなら朝早く目覚めた時、寝室のドアが空いていて、「ちょっとやめて、あくび起きてるかもしれへんから…」「お前が声出さへんかったらええやんけ」というやりとりが聞こえてきたのでお母さんいじめられてる!?とおもったら思いっきりバックでセックスしてた時は流石に覗き見した。今でもあれはおかずにできる。
私は何処かおかしいのかもしれない。

まあ余談はそれくらいにして、そんな日々を過ごしていた時、当たり前ながら母が妊娠した。いっちゃんは、とても喜んでいた。私は、何だか複雑な気持ちだった。妹が弟ができるの?嬉しい!なんて、何処かの本で読んだ子供らしいセリフを必死に吐いて、内心涙が溢れそうだった。
お母さんが私のお母さんじゃなくなる気がした。
そこからいっちゃんの態度が一変した。

なにがあったのか、それまで勤めていた企業で問題を起こし、クビになりトラックの運転手になり、私は"お父さん"と呼んでいたのを「気持ち悪いから一郎さんって呼べ」と訂正され、私自身も「デブ」や「ブス」など名前で呼ばれる事はなくなった。
スーパーで買い物をしている時、多動の私はいつもウロウロと何処かにいくのだが、「おいデブ〜!」と呼ばれ皆んながえ?と視線を浴びせる中ドタドタと私が「はーい!」と走ってくるのである。異常だ。それすら私は気づいてなかった。

そして暴力。この少し前に、レオンという、名前も出すのも辛いが、水頭症のチワワを飼っていたのであるが、このレオンと私が一郎の暴力の格好の餌食になっていた。それまで酒は嗜む程度にしていた一郎だが、運ちゃんになってから酒の量が一晩一升などになり、泥酔するようになった。そして「お前がおらんかったら幸せや何なんでお前おんねん、死ね、死ね!」と言われてもしょうのない怨みつらみを重ねながら胸ぐらを掴まれ殴る蹴るを繰り返された。学校が終わればすぐに走って帰らなければ守れない門限に遅れれば、マンションのベランダから逆さまに吊るされて「死ぬか?なあ?ほんまに落としたろうか?」と脅され、服を脱がされ濡れたタオルをムチのようにして数え切れないほど叩かれたときはもう叫び声も出なかった。先生も隣のおばちゃんも深く関わろうとはしなかった、そういう地域なのである。ただ、泣いても叫んでも長引くだけだと、ひたすらごめんなさいと繰り返しながら耐えるしかなかった。叫び声を上げなくなった私に飽きが来るのかその矛先は先ほど挙げたレオンに向き、目の前で小さなレオンがティッシュ箱で何度も何度も何度も何度も殴られてギャイン、ギャイン、と泣いて小さな檻の中を逃げ惑っている姿は心が痛かった。でも私にはどうしようもできなかったし、母は何もしてくれなかった。

そして虐待は暴力だけに留まらず、まだ母が玄関やベランダや部屋にご飯を運んでくれたり、お風呂に入らせてもらえるだけ良かったのだが、お風呂は5分、夏でも冬でも5分立つと電気もガスも止められ、真っ暗な中真水でことを済ますことになる。
その風呂の前にあるのが地獄の成長観察だ。
服を脱ぐように命令され、脇や乳首、お尻などをいろんな体制で見たり触ったりされた後、洗面台でM字開脚させられ、容赦なく指を突っ込まれクリをめくられ小陰唇をこねくり回された。
「お前〇〇やんけ。(笑)〇〇○が〇〇○なってる奴は大体パンコやねん」
と、ショックのあまりか幼少のあまりか思い出せないがあの時言われた言葉が頭にこびりついて今も離れないでいる。

そして妹が生まれた。
2人目の妹が生まれた時に、私は処女を失った。
私の上で黒い影がゆらめいていた。
私はぼんやりその光景を部屋の斜め上から眺めていた。
相手は妹の父親で、母の夫で、私の義理父だった。
母は2人目の妹を産むまでにストレスで2回流産したと、流産した証拠を一緒に見ろと、ちゃんと見ろと血塗れのトイレ内に頭を突っ込まされた。
そして夫婦喧嘩の際「流産してたよね!?なあ、あくび、見たよね!?」と言われ、見た、血がいっぱい出てた…と言うと、やっぱり「お前は口出すな」って蹴られて頭を椅子で打ちつけた。
そんなことはお構いなしにお母さんは頭を掻きむしって泣き喚いてた。
私は妹が泣いていたので、作りかけのミルクを温め直してミルクをあげた。
私は家族の中でただただ妹達のことだけは今でも娘のように愛おしく思う。

episode 3 へ つづく


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