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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻第2章 美形の皇子様がタイヘンなんです!①
その日の朝、目を覚ましたマリウス・マクシミリアン・アルビレオは、自分が妙にすっきりした気分でいることに驚いた。
自らが師と仰ぐラティシアに、ノクトベルに置いていくと告げられ、計り知れないショックを負った翌日のことだ。
今日は、自分が同行するに相応しい技量を持っていることを証明するために、ラティシアと立ち合うことになっている。
煩悶と緊張で眠れない可能性だってあったのに、睡眠もしっかり取れた実感があった。
疲れがすっかり取れたわけではなかったが、むしろ、多少残ったその疲れが、いつでも臨戦態勢に移れる準備をしてくれているようでもあった。
「最高のコンディションだ」
マリウスは呟き、トクンと一つ鼓動を弾ませる。
今の実力をラティシアに知ってもらうのに、これ以上の状態はない。
それは逆に、なんの言い訳もできない状態とも言える。
ラティシアに認められなかったらどうするのか。
いや、ラティシアに認めてもらうだけの実力が自分になかったらどうするのか。
「どうもこうもない。僕はただ、今の僕自身を先生に見てもらえればいいだけだ」
掛け値なしにそう思えるのは、きっと――
コンコン。
ノックの音に顔をあげる。
「どうぞ」
マリウスが応えるなり、扉が開いた。
「おはよう、マリちゃん! 気分はどう? よく眠れた?」
金髪の少女がお日様のような明るく温かな笑顔で声をかけてくる。
その後ろには黒髪の少女と栗色の髪の少女もいた。
この三人の少女のおかげだ。
「おはようございます。レディ――いえ、エリちゃん、カナちゃん、フランちゃん。はい、おじゃげさまでぐっすりと。とても清々しい目覚めを迎えることができました」
マリウスは自然と笑みが浮かぶ自分に気がついた。
“皇子”となるべく躾けられた外向き用のものではない、本物の笑顔。
そこに喜びを感じる反面、例えここに置き去りにされたとしても、彼女たちと一緒に居られるのならとの思いもよぎる。
マリウスはその自らの思いにかぶりを振った。
そんな半端な思いを抱いて『凱旋将軍』たるラティア・ラティシアーナ・フォン・ホーエスシュロスに立ち向かえるものか。
そんな半端な挑戦は、昨日激しい訓練に付き合ってくれた彼女たちだって望むものではない。
「どうしたの? やっぱり緊張してる?」
「ご心配ありがとうございます、エリちゃん。緊張というわけではないのですが、やはりいろいろと考えてしまいますね。でも、不思議と気分は落ち着いているみたいなので、力を出すことはできると思います」
「よかったぁ! わたしたち応援してるから、絶対ラティシアさんに認めてもらおうねっ」
「はい。ありがとうございます。必ずやエリちゃんたちのご声援に応えてみせます!」
エリナは笑ってうなずく。
「でも、マリちゃんの本当の目的は絶対に忘れないでね」
「もちろんです。必ず先生に僕の実力を認めさせてみせます」
「ううん、それじゃなくて」
「え?」
「それも大事だと思うんだけど……マリちゃんの本当の目的は、ラティシアさんと一緒に旅を続けること、でしょ?」
「あ……」
ラティシアに自分の実力を認めさせることばかり考えていたマリウスは、エリナの指摘に目を覚まされる思いだった。
ラティシアとの立ち合いにおいて、自分がどの程度強いかさえ見せればよいと考えていたのだ。
実力を認めてもらうと言っても、それはどういった実力なのか。
例えば、一対一の真剣勝負でいくら強くても、多対一、野盗に囲まれるような状況で役に立たなければ、旅の共とするには心許ない。
「りっくんが昔言ってたんだけどね、どうしても戦わなくちゃいけないときは、なんのために戦うのかを忘れないようにするんだって。それで、その理由は絶対に変えちゃいけないって。戦いをやめるとき以外は」
エリナのいう「りっくん」とは、彼女の養父リクドウ・ランドバルドのことだ。
かの魔王を討伐せしめた『名も無き勇者』。
マリウスはまだリクドウに会ったことはなかったが、彼とともに魔王討伐を果たしたラティシアから、何度もその逸話は聞いていた。
時折、「礼儀礼節をまるで知らない」だの、「騎士の誇りをなんだと思っているのか」だのの苦言が挟みこまれていたが、それも含めて、ラティシアから聞かされる人物評としては最高位であり、最も彼女の好感を得ている人物であるとマリウスは判断している。
魔王を倒したという事実を除いたとしても、マリウスとしては畏敬を抱かざるを得ない人物が、リクドウ・ランドバルドだった。
「戦いの時は、怒ったり、興奮したりするから、目的を忘れがち――見失いがちって言ってたかな?――だし、誰々のため、何々のためって、他の理由もくっつけちゃいがちなんだけど、元々の目的だけは絶対に忘れちゃいけなくて、後からくっつけた理由を戦う目的にしちゃダメだって」
自分よりも二つ下の少女の言葉に真摯に耳を傾け、噛みしめるようにうなずくマリウス。
エリナの言葉は、リクドウの言葉をただなぞっているだけではない重みが感じられた。
『魔王の娘』。
そんなレッテルが常につきまとう彼女が、こんなにも真っ直ぐに育ったのは、彼女自身の清廉な心持ちの為せる業か、それとも『名も無き勇者』リクドウ・ランドバルドの教育の賜物か。
「含蓄のあるお言葉に、目からうろこが落ちました。『なんのために戦うのか』。我々騎士は決着をつけたがるものですが、確かにそれを考えれば、目的を達した時点で戦いをやめるという選択肢もあり得るわけですね……なるほど」
すぐにその言葉を受け入れてくれたマリウスに、エリナはニコニコと微笑む。
「朝食の用意できてるから、しっかり食べて英気を養ってね、マリちゃん」
「ありがとうございます、エリちゃん。僕もすぐに食堂に向かいます」
「うんっ」
そうして、エリナたちはマリウスに宛がわれた客室を出ていった。
◇ ◇ ◇
「フフフ」
「どうしたの、カナちゃん。なにかおかしかった?」
マリウスの客室を出た直後、思わず笑みを零してしまったカナーンにエリナが首を傾げる。
「おかしかったわけじゃないわ。ただ、さっきのエリナの言葉で、ジントロルと戦ったときのことを思い出してしまって」
「ジントロル?」
エリナはきょとんとして目蓋をしばたたかせた。
「まさか覚えてないなんてことはないでしょうね?」
「そりゃジントロルと戦ったときのことは覚えてるけど、なんか今の話と関係あったっけ?」
今度はカナーンがきょとんとする番だった。
その様子にフランが笑い出す。
「ぷっ、ふふふふっ。エリナってああいうとき、本当になにも考えてないから。それこそ、『なんのために戦うのか』以外のことはなにも、ね。それがリクドウさんの教えだったってことにも頭が回ってないんだと思う」
「ちょっ、ひどいよフラン! わたしだってちゃんといろいろ考えてたって! どうやってペトラを助けようとか、助けた後どうやって逃げるかとか……それから、そう……えーと、なんか、もうちょっと考えてた気がするけどっ」
カナーンはまた笑った。
「それでいいのよ、エリナ。マリちゃんに言ったとおり、あなたは『ペトラを助ける』って目的だけを考えて、あの場から離れた。あのときのあなたの強さは普通じゃなかったもの。ジントロルを倒すことだって考えられたはずなのに、エリナはそんなことおくびにも出さなかった」
――私がこの女たらしさんに決定的に「たらされて」しまったのは、きっとあのときね。
と、カナーンは心の中でつけ足す。
「ん~、でも、あのときはそれしか考えつかなかったしなぁ……」
「だから、それでよかったんだよ、エリナ。エリナ自身がマリちゃんにそういうアドバイスしたんじゃない」
「それはそうなんだけど、なんか、わたしがなにもものを考えてないって言われてるような……」
「「ぷふっ」」
カナーンとフラン揃って吹き出した。
「あーっ、ほらっ、二人とも笑ってるー!」
「違うのよ、エリナ。今のはべつに馬鹿にしたわけじゃないわ」
「ふふふふっ、そうそう。私もカナちゃんも、そんなエリナが大好きだなって思って笑っただけ」
「そっ――そうよ」
フランのストレートな物言いにカナーンは一瞬声を詰まらせる。
「……カナちゃん、なんか気まずそうだけど?」
「これはいつもの照れカナちゃん。かわいいよね」
「なるほど。確かにかわいい照れカナちゃん」
一瞬訝しげだったエリナだが、フランの言葉にあっさりと納得してしまった。
「あ、あなたたちね……」
カナーンは唇を尖らせてジト目を二人に向ける。
だが、ふと思い直したように、フランを指さした。
「というか、フラン、ずるいわよ! あなただけ標的になってないわ!」
「ええっ!? べつにずるくはな――きゃっ」
「だよねー。さすがカナちゃん、いいこと言う」
申し開きも許さず、エリナはそう言いながらフランの腕を捕まえる。
「ま、待って、エリナ。なにをするつもりなの……?」
「フランだけ笑いものになってないのはずるいってわたしも思ったけど……カナちゃん、せっかくだからフランにはもっと笑ってもらおうよ」
「エリナ、それは素敵なアイデアね」
その言葉にニッコリと微笑んでカナーンが両手をフランに差し向けてわきわきと十本の指を蠢かした。
「私、普段こういうことやられっぱなしだから、一度思いっきりやり返してみたかったのよね……」
「カナちゃん!? ごめんなさいっ! 謝るから、謝るから、だからっ!」
「フランも覚悟はできてると思う。カナちゃん、やっちゃって」
「できてないからー!」
「フラン、覚悟っ!」
カナーンがフランに飛びかかろうとする、その時だった。
「エリナ様、フラン様、カナーン様」
決して大きくはないが非常に鋭いその声に、三人は口をつぐみ、その背筋をピンと伸ばす。
「お客様もおられますのでお静かに。早く食堂に行き、席にお着きください」
「り、リエーヌ……」
「わかりましたね?」
「「「はいっ」」」
そのあまりの迫力にエリナたちは飛びあがって、そそくさと食堂に向かった。
§ § §
マリウスもラティシアもいるする朝食の席。
エリナたちはここでも一波乱あるかもしれないと思っていたが、拍子抜けするほどなにもなかった。
ラティシアはもちろん、マリウスも落ちついたもので、数時間後には立ち合う二人とは思えない様子で、ちょっとした談笑まで飛び出していた。
そんなマリウスを見て、大人だなぁとエリナは思う。
マリウスはエリナの二つ上の年頃だ。
かと言って、あと二年経てばこれと同じ状況で、マリウスのように落ち着いていられるかと言われれば、エリナ自身、無理と断言せざるを得ない。
いや、エリナの知るノクトベルの大人たちでも、これができるのは何人いるか。
近いところでは、リエーヌなどはできるだろうとエリナは思う。
大人たちの中では、リクドウやロミリア、レイアーナなども、そういう場になればしれっとやってみせるだろうと想像がついた。
まだよくわからないけど、きっとルナルラーサも。
すなわち、大人かどうかではなく、「すごい人」はこういった落ち着きを持つのではないか。
昨日はカナーンと共に、エリナも訓練と称してマリウスと対峙し、その凄さを思い知った。
マリウスは充分に「すごい人」だ。
そんな風にマリウスの方に目を向けていると、ふと目が合った。
目を細めて微笑むマリウスに、エリナもまた照れ笑いを返した。
(あなたたちのおかげで、僕はこんなにも落ち着いていられます。感謝いたします)
その微笑みにそんな感謝が込められていることなど、エリナは気がつくこともできなかった。
正午。
マリウスとラティシアの立ち合いは、ランドバルド邸と山の間にある開けた草地で行われることになった。
先日、エリナたちが『炎を纏う者』プロシオンと戦った場所とも程近い。
もはや、ノクトベルの街の外と言っていい場所だ。
日射しが天頂から降り注ぐ中、二人の騎士が対峙する。
お互い金属の全身鎧に剣と盾。
それらは意匠が凝らされており、一目で身分の高い者だと判別できた。
特に盾にはお互いの家系を表す紋章が刻まれており、その知識を持つものならば、それだけで家系ばかりか個人の特定まで可能だ。
もっとも、ラティシアの家系は一度没落しており、ホーエスシュロス家を表す城を模った意匠は、現在はラティシアただ一人が使うことを許されたものである。
一方、塔の上に輝く二つ星を模った意匠はマリウスのアルビレオ家のものだ。
二つ星はアルビレオの名を冠する二連星を示すとともに、ヒュペルミリアス建国の伝説に現れる双子の姉弟を表している。
「この立ち合いは私、ロミリア・ユグ・テア・バージが見届け人を務めさせていただきます」
ロミリアが片手を掲げてそう宣言すると、マリウスとラティシアはその承諾の印に剣を掲げてうなずいた。
「二人とも準備はいいわね? 私がいる限り、ちょっとやそっとのことでは死にはしないから、思う存分におやりなさい!」
ロミリアのその言葉にフランはぎょっとする。
神聖魔法の使い手としてのロミリアの力を考えれば、べつに間違ったことは何一つ言っていない。
だがそれは、不要な戦いを戒める、慈愛と癒やしの神リデルアムウァの教えに反するものだ。
「はじめ!」
ロミリアが掛け声をあげるなり、二人は勇ましい叫び声をあげて突進した。
ギャインッ!
金属と金属がぶつかり合う高音が耳をつんざく。
が、次の瞬間には、お互いに飛び退り、五メルトほどの距離を取っていた。
「ロミリアの言葉、ありがたく頂戴しよう! 殿下! お覚悟なさいませ!」
ラティシアは剣の切っ先をマリウスに向けて打突の構えをとると、そのまま踏み込んだ。
「シュトルムボーク!」
「きゃぁっ」
その凄まじい踏み込みで砂塵が巻き上がり、フランは小さな悲鳴をあげて、自らの顔を袖で覆い隠す。
再び顔をあげたときには、マリウスの五メルト前にいたはずのラティシアはそこにはいなかった。
ヒュンッと剣が風を切る音が聞こえてそちらを向くと、まだ消えぬ砂塵の向こう側でラティシアが剣を鞘に収めるところが見える。
「な、なにがどうなったの……?」
なにが起きたのか、フランには皆目見当も付かない。
「ラティシアさんがすごい突きを出したの……。いきなりあんなすごいの出してくるなんて……」
エリナが呆然と言うが、漠然としすぎた説明にフランは眉根を寄せる。
「一息で七メルトは突き進んだかしら。盾も使って身体全体で飛び込むような、そんな猛然とした突きだったわ……。けど」
カナーンの説明でも少々難解だったが、巻き上がった砂塵が消える中、盾を構えたままのマリウスの姿が見えたので、フランはホッと胸を撫でおろした。
「ほう。破城槌と呼ばれた我が一撃、耐え凌ぎましたか、殿下」
「……幸い、拝見したことのある技だったので。ですが、見ると受けるとではまるで違いますね。ドラゴンに体当たりでもされたのかと思いました」
ラティシアの言葉にマリウスが応える。
だが、その位置は、先ほどまで立っていた位置から十メルト近く離れていた。
「マリちゃん、いつの間にあんなところまで……」
「違うわ。ラティシアさんの技で跳ね飛ばされたのよ。凄い威力ね……」
「でもマリちゃん、ちゃんとそれを盾で受けてたよ! 跳ね飛ばされちゃったけど、ちゃんと着地もできてた!」
二人はなんでちゃんと見えてるんだろう?
速さを追えてることもそうだけど、あんなに砂埃が舞ってるのに……。
フランは一瞬そう思ったが、こういうことはやっぱり自分の管轄外だとこうべを垂れた。
「驚いたわね。ラティシアがいきなりあんな技を出したこともそうだけど、マリウス殿下もそれをきっちり受けきるなんて……」
「ロミリア先生」
その声に顔をあげるフラン。
「あなたのことも驚かせてしまったかもしれないわね、フラン。さっきのちょっと乱暴な言葉はね、ラティシアに頼まれて言ったものなの」
「ラティシアさんに頼まれて……ですか?」
「根が優しいマリウス殿下が自分に対して本気を出せるように、ですって。そうしたら、いきなりあんな技を出すんですもの。私、ラティシアに騙されてしまったのかしら」
ロミリアはそう言って苦笑したが、その苦笑に騙されたなどというニュアンスはまるで感じられなかった。
「ラティシアさんは、マリちゃんなら受けきれるって信じていたってことですよね」
「そうは思うのだけれど……」
フランの解釈に同意しつつもロミリアは口元に手を当てる。
「『破城槌と呼ばれた』なんて言ってたけど、実際、あの技で城壁を破壊して、そこから城に攻め入ったこともあったのよね……」
「……城壁って人一人の力で破壊できるものなんですか?」
思わず素で聞いてしまったフランに、ロミリアはただ小さく肩をすくめる。
とは言え、ラティシアも大陸全土を恐怖に陥れた魔王を討伐したうちの一人。
それくらい人間離れした力を持っていても不思議はない、ということなのだろう。
「それでも、マリちゃんはそんなとんでもない技を受けきった……」
「そうね……。普通ならそれだけでも認められて充分だとは思うのだけど……」
「まだ足りないんですか? マリちゃんあんなにがんばってるのに」
ロミリアと話している最中にも、剣と盾が奏でる金属音が周囲に響き渡っていた。
「騎士としてのプライドが高いから、余裕ぶって見せているけど……正直に言って、ラティシアもいっぱいいっぱいなのよ。マリウス殿下は皇国の未来を担うお方。でも、今の皇国に置いておいても政治利用された挙げ句に捨てられてしまう可能性が大いにある。そこに加えて性別のこと……。殿下を連れて皇国を逃げ出したのもやむにやまれぬ苦肉の策だったはずよ」
「マリちゃんはそんなラティシアさんを信じてここまでついてきたんです。一緒に連れていってあげた方がいいって私なら……」
思わずロミリアに反論してしまったことに気がついて、フランは言葉を途切れさせる。
「いいのよ、フラン。なんでも言ってちょうだい。それでもね、マリウス殿下は皇国にとっては国の存亡にも関わるほどの重要な存在なの。そしてヒュペルミリアス皇国は大陸一の強国でもある。つまり、マリウス殿下になにかあったときは、大陸全土になにかが起こってしまう可能性があるのよ」
大陸全土に起こるなにかとは戦争のことに他ならない。
大陸一の強国であるヒュペルミリアス皇国が近隣の国に戦争を仕掛けるような事態になれば、その凶行を止めるため、被害国以外の国々も結束して事態に当たることになるだろう。
ヒュペルミリアス皇国側につく国だって当然出てくるに違いない。
大陸全土を巻き込んだ大戦争。
それは、魔王軍との戦いよりも、よほど恐ろしい地獄絵図のようにフランには思われた。
この大陸をそんな地獄にしないためにラティシアとマリウスは皇国を出てきたわけだが、そのマリウスの存在そのものがリスクにもなってしまっているのが現在の最大の問題点だった。
「どうしてこんなことに……」
フランの呟きをロミリアは正確に解釈した。
「魔王討伐から十二年……。みんな、平和な世の中に慣れてしまったのかもしれないわね……」
ロミリアはそう苦笑したが、フランが見たその横顔は深い悲しみを帯びているようだった。
なんのために魔王を倒しに行ったのだろう。
魔王を倒して得たものは、たった十二年ぽっちの平和だったというのだろうか。
ロミリアの横顔からはそんな思いが溢れ出ているように見えた。
キンッ! という音が耳をつんざいて、フランは意識を慌ててマリウスたちの方に戻す。
その音は、マリウスの剣をラティシアが盾で思いきり撥ねあげた音だった。
堪らず上体を反らしたマリウスに対して、ラティシアは打突の構えをとる。
「マリちゃん、危ないっ!」
それがなにを示しているのか誰よりも早く察知したエリナが、大きな声で叫んだ。
「シュトルムボーク!」
至近距離から、しかもすでに上体を反らしてしまっている体勢への『破城槌』。
それは必中であり、盾で防ぐことも不可能かと思われた。
が――
「シャイン!」
その瞬間、マリウスから眩い閃光が迸る!
しかし、ドンッ! というなにかがぶつかった音がして、フランの目には眩い光の中を跳ね飛ばされた人影が見えたような気がした。
「『閃光』の神聖魔法! マリウス殿下は神聖魔法の使い手だったの!?」
「光ったのはマリちゃんの魔法だったの!? でも結局跳ね飛ばされちゃったよ!?」
「落ち着いてエリナ! マリちゃんが立ちあがるわ!」
ロミリアが、エリナが、カナーンが叫ぶ中、フランはただ驚いて声も出せずにいた。
だが、マリウスがよろよろと立ちあがるのは確かに見えた。
そして、自らの胸の前に剣を掲げてマリウスは唱える。
「遍く天を統べるジェノウァよ。光の聖霊フォトスよ。忠実なるしもべに癒やしの力を顕したまえ」
それは癒やしの神聖魔法だった。
「神聖魔法とは驚かされましたよ、殿下。おかげでシュトルムボークの狙いがほんの少しずれてしまった。いったい、いつから神聖魔法にお目覚めで?」
「一年ほど前です。ですが、先生の教えにも、本当の切り札は先生にも秘しておくようにというものがありましたので」
「だが、殿下はこうして今、それを使ってしまった」
「はい。先生と一緒に旅を続ける。その目的のためには、ここで使うべきだと判断いたしました」
マリウスはそう言ってラティシアをじっと見つめた。
ラティシアもまた、その強い視線を受けとめる。
「フッ…………ハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
そして、突如として笑いはじめた。
「私の負けです、殿下。シュトルムボークを受けとめるだけの力に加え、神聖魔法も使えるとあっては、旅を共にする相手として不足だとはとても言えません」
「先生、それでは……」
「共に行きましょう、ヨーク・エルナへ」
ラティシアが手を差しのべ、マリウスがその手を取る。
「先生……これからもよろしくお願いいたしま――」
「マリちゃん、やったああああ! すごい! すごい! すごーい!」
「わわっ、エリちゃんっ」
そこにエリナが飛びついてきて、マリウスはさすがに慌てた。
「マリちゃん、おめでとう。本当にすごかったわ」
「私からもおめでとう。神聖魔法を使えるって知ってたら、私もなにかアドバイスできたかもしれなかったのに」
カナーンとフランもマリウスに駆けよって祝辞を告げる。
「ありがとうございます、カナちゃん。フランちゃんもありがとうございます。フランちゃんの存在も僕にはとても大切なものでした。エリちゃんたち三人が僕の心を支え、慌てずに対処できる心構えをくれました。よかったら、これからもずっと、僕の大切な友達でいてください」
「そんなの当たり前だよ! ね? フラン、カナちゃん」
「フフ、そうね、エリナ」
「私たちの方こそ『よかったら』という感じだけど……」
「それこそいいに決まっています! 心の底から感謝いたします! 僕の三人の女神たち!」
その物言いにエリナたち三人は目を合わせて爆笑した。
「本当の本気で女神だと思っていますよ!? そんなに笑わないでください!」
「にゃはははは。だってー、ねぇ?」
などと言っていると、マリウスの隣にラティシアが立っていた。
「殿下、一つ言っておかなければならないことがあります」
その言葉にマリウスも、エリナたちも笑いを収める。
「私は殿下の実力を認めました。その事実に変わりはありません。ですが実のところ、私が殿下に対して懸念している部分は、今回の立ち合いでも払拭することはできませんでした」
「え……そ、それは僕のどういったところなのでしょうか」
ラティシアは一度目を閉じ、もう一度マリウスを見つめ直した。
「殿下の剣には殺気がまるでない」
「――――」
「今回の立ち合いでも、殿下は私を傷つけようとはしていなかった。否――」
マリウスの両肩にラティシアのそれぞれの手が置かれる。
「殿下は、私を傷つけることを怖れていた」
「……っ」
「私が殿下に危惧を抱いていたのはその点です。ここから先の旅路は一筋縄でいくものではないでしょう。他人の命をなんとも思っていない輩を相手にすることも必ずあると踏んでいます。そのとき、殿下のその優しさは命取りになる。私はそう考えています」
「それは相手が先生だったからです!」
「殿下もロミリアの宣言を聞いたはずです。ロミリアがいる限り、どんな負傷でも治してもらえる。そんな状態でも、ですか?」
「そんなことで、先生に対する態度を変えられるわけは――」
「私はシュトルムボークを本気で放ちましたよ? その結果、殿下が死んでしまっても構わない。そういう気持ちで放ちました」
「な――――」
目を見開き顔を青ざめさせるマリウス。
「安心してください。騎士に二言はありません。殿下を旅には連れていきます。ですが、今のことはじっくり考えてみてください。殿下のその剣が、なんのためにあるのかを」
「はい……」
ラティシアはその返事にうなずくと、一人ランドバルド邸の方に戻っていく。
「う~、ラティシアさん厳しすぎない? 自分で負けを認めたんだからお説教しなくてもねぇ」
エリナが不満げにそう言うとマリウスは少しうつむき加減で笑った。
「いいんです。先生のおっしゃるとおりだと思いますから。確かに僕は人を傷つけるのを怖がっています。ですが、先生の言うとおり怖いなんて言っていられなくなる日がすぐに来てしまうのでしょう。そのときのための心構えはしっかりしておこうと思います」