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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻第3章 新たな魔神もタイヘンなんです!③
エリナとロミリアがプレツィター商会に向かった頃、ランドバルド邸は微妙な空気に包まれていた。
エリナがいないランドバルド邸は、フランにとっても、カナーンにとっても、どこか他人の家のように感じられた。
先ほどまでは、何の疑問もなく我が家のように振る舞っていたというのに。
「え、えっと……リエーヌさん! 私、なにかお手伝いします!」
「あ」
唐突にリエーヌの方に駆けよっていったフランをカナーンは目を見開いて見送った。
先を越された――。
だが、二人の胸中など知らないとばかりにリエーヌは応える。
「いえ、特にフラン様のお手を煩わせるようなことはありませんが」
(私がっ、手持ちぶさたなんですっ)
あまり見せないフランの必死な様子に、リエーヌはじっと視線を返した。
「なるほど。お客様が暇を持てあましているというのもよくはありませんね……。承知しました。それではフラン様、こちらについていらしてください」
「はいっ」
仕事にありつけてホッとしたフランは、そこでようやく捨てられた子犬のような目をしているカナーンに気がつく。
「あ、リエーヌさん、よかったらカナちゃんも――」
フランがそう言いかけた時。
「カナーン・ファレス。少しいいか?」
ラティシアがカナーンの名を呼んだ。
「は、はい! ラティシア……閣下」
「ラティシアでいい。よければ君の剣技を見せてほしい。なに、余計なことを言うつもりはない。ルナルラーサにキャンキャン怒られるのは私としても避けたいところだからな」
「そ、それでは剣を持ってまいります!」
「ああ、手数をかけてすまない。それでは私は先に裏庭に出ていよう」
フランが口にしかけたことも耳に入っていたのだろう。
カナーンはフランと視線を合わせて、軽くうなずくと、そそくさとエリナの寝室の方へ向かっていった。
「それではフラン様だけで?」
「はい、よろしくお願いしますっ」
フランは勢いよく頭を下げてから、リエーヌの後ろをついていく。
すると、その向かった行き先はラティシアに割り当てられた客間だった。
昨夜のことが脳裏に浮かんで、フランは小さく息を呑む。
この部屋でロミリア先生とラティシアさんが……。
いくら想像しようにも想像しきれない大人の世界のあれこれにフランは思わず首を横に振った。
そうしている間にも、リエーヌはドアノブに手をかけ、その扉を開いていく。
えええ? いいの? 私はまだ見ちゃいけないものなんじゃないの?
そんな風に思いつつも、フランは薄目でそろりとその部屋の中を目にしてしまった。
「え……? これって……」
「今、特別に片づけないといけないとすればこの部屋になります。フラン様も昨夜ロミリア様がこの部屋に入るのをご覧になったと思いますが……これがその名残ということですね。ふぅ……」
リエーヌはため息をつき、首を横に振る。
そして、足元に転がってきた瓶を手に取って持ちあげた。
「それではフラン様、この部屋に大量に転がっている酒瓶を馬屋の方に運んでいただけますでしょうか? 落としたりしたら危険ですので、二本ずつなどで結構です。お時間があるとのことでしたので、お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします」
「お……」
「……お?」
「大人の世界ってそういうこと!?」
「はて? ……ああ、確かに昨夜、そう申しあげましたね。地位あるあのお二方の醜態を、フラン様のお目にかけるわけにもまいりませんでしたので」
「は、はははは……あはは……」
フランとて酒で醜態をさらす大人を見たことがないわけではない。
だが、フランの両親も、身近な大人であるリクドウも、そして当のロミリアも、そんな姿をフランに見せたことなど一度もなかったのだ。
「つかぬことをお伺いしますがフラン様、『大人の世界』と聞いていったいどんなことをお考えになったのでしょうか?」
その直球な質問に思わず吹き出してしまうフラン。
すぐには落ち着かず、少しの間ケホケホとむせてしまっていた。
「大丈夫ですか?」
フランの背中をさするリエーヌに、フランは恨みがましい目線を送る。
だが、話題を戻されても困るので、とりあえず違う話題への移行を試みた。
「そ、それにしても、すごい量ですね。酒瓶、何本あるんだろ……。これを二人だけで飲んじゃったんですか?」
「そうなりますね……。ああ、これはリクドウ様が隠して少しずつ飲んでいたスメラのお酒ではありませんか。足りなくて、勝手に持っていったのですね。ロミリア様ともあろう御方が……」
「リクドウさんもお酒飲むんだ……」
今まで知ることのなかったリクドウの一面に驚きを感じつつ、フランは話題の移行に成功したことにホッと胸を撫でおろす。
「嗜む程度に多少、といったところでしょうか。リクドウ様が泥酔なされるところは、私もまだ見たことはございません」
「ロミリア先生は……?」
「私も今回はじめて目にいたしましたので、普段がどのようなものかは存じあげませんが……」
フランは気になってリエーヌを見つめてその続きを促した。
「そうですね……なかなか凄まじいものがございました」
「す、凄まじい……?」
「詳しくは申せませんので、ご想像にお任せいたします」
「想像に……」
「フラン様はお得意かと」
「え!?」
「フラン様もお年頃ですので、そういった想像も致し方ないことかと存じます。思慮深いフラン様でしたら、ご自身のそういったご想像をエリナ様のお耳に入れたりはしませんでしょうし」
「ななななんのことですか!」
話題のすり替えが微妙に失敗していたことに気がつき、声をうわずらせてしまうフランである。
「まあ、そういったこともあったりなかったりいたしまして」
「あったんですか!?」
「フラン様のたくましいご想像にお任せいたします」
「ああああああああっ」
リエーヌに完全に弄ばれてフランは自らの頭を抱えた。
「ですが、それもラティシア様がひた隠しにされていた心の膿みをすべて出させるための荒療治だったのだと理解しております」
「あ、そっか、ラティシアさんの……」
そう言えば、先ほどのラティシアも照れくさそうにはしていたが、幾分すっきりとした顔をしていた気がする。
気の置けない相手だからこそできる心のケアだったということなのだろう。
「ラティシア様の心の膿を出させるために、どんなことがこの部屋で行われたのか……。フラン様のご想像がどのようなものになっているのかに、大変興味がございますね」
「お酒! 二人で一晩中、浴びるほどお酒を飲んで飲んだくれてたってことですよね!?」
顔を真っ赤にして言うフランにリエーヌは無表情のまま小さく小首を傾げるのみ。
「……いくら無表情にしても、私にだってもうわかります。今、笑いを堪えてますよね?」
フランが少しむくれたように言うと、リエーヌはそこではじめて小さく笑った。
その笑みに、リエーヌとの繋がりができたような気がして、フランも小さな笑いを返す。
今までは『ランドバルド家のメイド』というエリナを通じての関係でしかなかったのかもしれない。
これからはきっと、それだけではない直接の関係を築いていくことになるんだろう。
フランはそう納得すると改めて部屋の中を見渡した。
「……それにしてもお酒の瓶、二人で飲んだにしてはちょっと多すぎるような?」
「恐ろしい限りです」
リエーヌはゆっくりとかぶりを振った。
しばらくすると、エリナとロミリアがランドバルド邸に帰ってきた。
一同は再び食堂に集合する。
「よもや魔神の情報が向こうから飛び込んでくるとはな。それは信頼のおける話なのだろうな?」
ペトラとプルムから聞き出した情報をロミリアが説明すると、ラティシアは真剣な様子でそれを問いただした。
その問いにエリナが答える。
「ペトラたちは、嘘もつくし、人を陥れるようなこともするけど、絶対に自分の弱ってるところを見せたりなんかしないと思う。それに……自分で言うのもなんだけど……わたしにすがりつくみたいなこと、たとえわたしを騙して笑いものにするためだったとしても、ぜぇーったいにやらないよ。ペトラもパニーラもプライドだけはどんな山よりも高いもん」
エリナは心の中で「プルムだけはちょっと違うけど」とつけ足した。
だが、ラティシアにはそれで充分だったようで、彼女は静かに首肯した。
リエーヌに用意してもらったノクトベル近隣の地図を指さしながら、ロミリアは詳細な説明を続けていく。
「ペトラたちが遭遇したのが『魔神マリア』なら、潜伏している範囲はずいぶん絞り込めるわ。そして、その範囲でもっとも身を隠すのに適した場所はただ一つ――」
ロミリアが指さした先を見て、カナーンが息を呑んだ。
「そこって……ルナたちが探索していたっていう迷宮……」
そこにエリナが別の情報を加える。
「それにね、ペトラが言うには、マリちゃんはどこか苦しんでたみたいだったんだって。それで神様の名前を呟いて悪態をついてたって」
その言葉にフランが聞き返した。
「神様の名前?」
「呻きながらね、『ジェノウァめ』って言ってたんだって」
「ジェノウァ…………あっ!」
ハッとした様子でフランはロミリアの方を仰ぎ見る。
ロミリアもそのことには気がついていた様子で小さくうなずいた。
「そうよ。マリウス殿下はジェノウァ神の信徒。それも神聖魔法を扱えるほどのね。魔神マリアが苦しんでいる原因は、マリウス殿下が魔神に取り込まれてからも、ジェノウァ神が殿下にご加護をお与えになっているからだと私は考えているわ」
「ジェノウァ様が……」
フランの表情が明るくなると、エリナがその勢いを受けたように溌剌と言う。
「つまり、マリちゃんは救い出せる!」
「端折りすぎよ、エリナ」
「でも、そういうことなんでしょ?」
苦笑して小さく肩をすくめるロミリア。
だが、エリナの言葉を否定することはなかった。
そう単純な話ではないことは確かだが、この意気を挫くのはもっと無意味なことだろうと思う。
それに、殿下の救出にはエリナの存在が大きなポイントになるとロミリアは考えていた。
エリナを別室に追いやった上でペトラとプルムから事情を聴取したところ、二人はどちらも過去最も恐ろしい目にあった時のことを思い出させられたのだと吐露した。
そして、その恐怖にすべてが塗りつぶされそうになった時、それを払いのけたのが『エリナが助けに来てくれた』という記憶だったのだという。
魔神マリアが二人を気絶させただけでそこから立ち去ったのは、そこに原因がある。
魔王討伐の英雄の一人であるロミリアの直感が、そう告げていた。
もしかすると、魔王が側近である魔神たちにも隠してエリナを手元に置いていた事情も、そこに繋がっていくのかも知れない。
(……いえ、それは考えすぎというものね。エリナはリクドウの元で天真爛漫に育てられたからこそ、自らを危険に晒してでもペトラやプルムを助けるような子になった。それが彼女たちの恐怖を打ち払うことになったんだわ。魔王の娘であることとエリナの勇気は関係ない)
「どうしたの? ロミリア」
自分の顔を覗き込んでいたエリナにロミリアは笑顔を向ける。
「作戦を考えていたのよ。場所がわかったところで、さてどうしたものかしらってね」
「どうしたもこうしたもないだろう。殿下の居場所がわかったんだ。可及的速やかにその場所に赴くしかあるまい」
その言葉を聞いて、ラティシアが威勢よく言った。
「また『おバカ』とでも言われたいわけ? 無策のまま殿下と出くわしても、魔神と殿下を引き離すことはできないわ」
「ロミリアの言いたいこともわかるが、かの魔神とて、いつまでも一所に留まっているわけでもあるまい。それに、新たな魔神をさらに産み増やすとも言っていた。悠長に作戦を立てている時間があるようにも思えんがな」
またケンカか!? とエリナたちは身構えたが、ロミリアはどっと息を吐き出して言った。
「ふぅ……まったくその通りだわ。でも、魔神と殿下を引き離す方法を考えなくちゃいけないのも事実。いいわ。みんな、魔神と戦闘になるつもりで身支度を調えてちょうだい。揃い次第、出立するわ」
「作戦はどうするの?」
そう尋ねたエリナの頭をロミリアは優しく撫でる。
「現地に到着するまでにはなにか考えておくわ」
「うわ、出たとこ勝負ってヤツだ」
「そうならないようにちゃんと考えつくようにするわよ。リエーヌ、あなたにも手伝ってもらいたいのだけれど、構わないかしら?」
後ろに控えていたリエーヌが恭しくこうべを垂れた。
「マリウス殿下はランドバルド家の大切なお客様。お客様の大事となれば、このリエーヌ・ユーエル・グリーヌ、微力を尽くさせていただくことに否はありません」
その言葉にロミリアはうなずく。
「じゃあみんな、身支度をしてからまたここに集まって。集まり次第出発するわ」
一同はうなずき、それぞれ食堂を出ていった。
エリナもフランとカナーンと共に自室へと向かう。
「マリちゃん、なんとか助け出せそうでよかったよね」
「それはそうだけど、ロミリア先生もまだ作戦を考えてるところなんだよ、エリナ」
「わかってるけどさ、昨日までは作戦を考えるって話にもなってなかったわけだし……。ね、カナちゃん」
「え? え、ええ……そうね」
「? どうかしたの?」
カナーンの様子にエリナはその表情を覗き込む。
「そう言えば、さっきラティシアさんに剣技を見せてくれって言われてたけど……なにか言われちゃったりした?」
とフラン。
カナーンは二人の顔を交互に見てから大きく息を吸いこみ、静かに吐き出した。
※ ※ ※
エリナとロミリアがプレツィター商会に赴いている間、カナーンはラティシアに請われて渾身の剣技を見せることになった。
相手は魔王討伐の英雄の一人、『ヒュペルミリアスの凱旋将軍』と呼ばれるラティシアだ。
カナーンの養母にして師匠でもあるルナルラーサとも同格とみていい。
ルナルラーサ本人の口からも一対一での戦いなら、最も切り崩すのが難しい相手として聞かされたことがある。
そんな人物に剣技を見てもらうのだ。
稚拙なものを見せればルナルラーサの顔にも泥を塗ることになってしまうだろう。
様々な思いがよぎって、カナーンは自分でもわかるほどに緊張していたのだが、いざ魔剣アリアンロッドを握ってみると、不思議なほどスッと心が研ぎ澄まされていくのが感じられた。
そして、魔剣を振るう勢いを借りて上空に飛びあがり、なにもない地面へと剣を振り下ろす。
大剣の刃は地面と触れあうすれすれで止められ、流れるような動きで次の構えへと移行した。
――いい感じだ。
魔神プロシオンの腕を斬り落とした時からまだ数日も経っていなかったが、カナーンはその時の記憶を何度も何度も反芻していた。
エリナはまだ魔神たちに狙われている。
魔神を斬ることができるのは自分しかいない。
渾身のアルグルース・セレネーを放ったのはあの時以来だったが、自分でも驚くほどすんなりと反芻していた通りの一撃が放てた気がしていた。
これならば、エリナを護れる。
カナーンがその確信を得たその時、ラティシアがうなずき納得の声をあげた。
「ふむ、やはりな」
きょとんとしてラティシアの方にカナーンは顔を向ける。
先ほどまでラティシアに見てもらうということで緊張していたのに、剣を構えた瞬間からそれがすっかりと念頭から消えていたのだ。
「見ていればわかる。私に見られているということすら忘れてしまうほど、剣に集中していたのだろう?」
「も、申し訳ありません!」
まったくその通りのことを指摘されてカナーンは慌てて頭を下げる。
「なにを謝る必要があるんだ、カナーン・ファレス。君は私が頼んだとおりに渾身の剣技を見せてくれた。実に見事なものだったぞ。十二年前……いや、十三年になるか。私が出会った頃のルナルラーサの剣技を、君はすでに凌駕している」
「は……? え? ルナ、の……?」
「なにを驚いている。君は魔神の腕を斬り落としたんだろう? しかも相手はプロシオン。魔神の中でも特に強力な『八柱の魔神将』の一柱であり、その中でも特に好戦的な魔神の腕をだ。それは魔神討伐の英雄と呼ばれる我々でも――今現在の我々でも、だ――決して容易いことではない。それが十二歳の少女だというのなら、なおさらな」
カナーンは、なにを言われているのかしばらくの間理解できず、ただ目をパチクリとさせていた。
「ルナルラーサ・ファレスは剣に愛された天才だ。それ故に、人を育てることはできないのではないかと訝しんでいたのだが、それは愚考に過ぎなかったようだ。ルナルラーサは剣の師匠としても天才だったようだな」
自分への賞賛には理解が追いつかないカナーンだったが、それがルナルラーサへのものとなれば、即座に理解できる。
「はい! ルナは……ルナルラーサ・ファレスは私にとって最高の師匠です!」
ラティシアはそんなカナーンを見て、小さく鼻で笑った。
一瞬、子供らしい反応をしてしまったかと恥ずかしくなってしまったカナーンだったが、なんとなくその笑いが自分に向けられたものではないことを感じとって、ラティシアの表情をうかがった。
ラティシアは一度目を閉じ、そして、カナーンを見据える。
そこにはもう一欠片の笑みもなかった。
「カナーン・ファレス。魔神を斬ることができる者、私と同じステージにいる剣士として、君の覚悟を問いたい」
剣士としての覚悟なら、ルナルラーサに散々叩きこまれてきたつもりだ。
カナーンは、ラティシアの鋭い視線を真正面から受けとめ、うなずく。
「覚悟なら、すでに決まっています」
「……マリウス殿下を斬ることになったとしても?」
「――!」
カナーンにも、その考えがなかったわけではない。
だが、なるべく考えないようにしていたことは否めない。
なにより、それがラティシアの口から出てくるとは思ってもみなかった。
「ロミリアにずいぶんと叱られてしまったからな。私自身がそのことについて、下手なことを言うわけにはいかないのだが……それでもだ。マリウス殿下を斬らなければならない。そういう事態になってしまう可能性は、厳然として大きい」
「それは……」
それ以上は続けられなくなってしまうカナーン。
ラティシアは意外にも、そんなカナーンを見て優しげに微笑んだ。
「安心してくれ。覚悟を問いたかったのは確かだが、君に殿下を斬るという業を背負わせたいわけではない。本当にそういう事態になった時は責任を持って、私が殿下を斬る。だが、君の二人の友人はそれを止めるだろう。その時は君に二人を諭してほしい。そう思っている」
「…………」
「厄介ごとを押しつけてしまって申し訳ない。私やロミリアが言ったのでは納得はしてもらえないだろう。これは、エリナとフランソワーズの親友であり、剣士としての覚悟がある君にしか頼めないことなんだ」
とても十二歳の少女に背負わせるようなことではない。
それはラティシア本人も重々承知していることだった。
それでも尚、やらなければならないことがある。
魔神を産み増やす魔神など、放置しておいていい理由はないのだ。
「……わかりました」
「引き受けてくれるか」
「その時が来れば、必ずそうするとお約束いたします。――ですが」
カナーンは一呼吸入れてから、その続きを口にした。
※ ※ ※
「カナちゃん?」
心配そうに自分の顔を覗き込んでくるエリナとフランに、カナーンは微笑みかける。
「別に悪いことを言われたわけじゃないわ。むしろ、私の剣技を褒めてもらえて、くすぐったかったくらいよ」
「わ、さっすがカナちゃん!」
「ホントにすごいよ、カナちゃん! 将軍閣下のお墨付きね!」
「や、やめてよ、二人とも……。でも、それを教えたルナのことも褒めてもらえたから、悪い気はしなかったわね」
カナーンがそう言うと、エリナとフランはきょとんとした様子で視線を合わせた。
「さっすがカナちゃん」
「ふふふ、さすがだよね」
「ちょっと! どういう意味よ!」
カナーンはエリナを捕まえようとしたがスルリと逃げられてしまい、また二人に笑われてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
ロミリアが推測した通り、魔神マリアはサビオ連山にある地下迷宮を見つけ出して、そこに身を潜めていた。
苦痛に低い呻き声を漏らしつつ、岩壁に身をもたれて休息をとる。
この苦痛は、自らの核となっている人間がもたらしているもの。
否、その人間に加護を与える神、天が属の主神ジェノウァによってもたらされているものだ。いくら身体を休めたところで、苦痛が消え去るわけでも、消耗した体力が回復するわけでもない。
だが、マリアの魔神としての本能が、ある種の予感を告げていた。
その予感に従って、この山間に隠された地下迷宮まで辿り着いたのだ。
それは結果的に、ロミリアの結界を避けることにつながり、しばしの猶予期間を作り出すこととなっていた。
マリアは、ふと地下迷宮の奥、深淵の暗闇に目を向ける。
なにも見えず、なにも聞こえないその暗闇を見据えて、マリアは声をかけた。
「なるほど。私の中に渦巻いていた予感はこの邂逅か。私は魔神マリア。『母なる者』マリアだ。貴公も魔神とお見受けする。姿を現すといい」
そんなマリアの声も吸いこんでしまいそうな暗闇から、少しの間を置いて返答があった。
「おやおや。思いのほかバレてしまうのが早かったようです。もう少しあなたの様子を観察しているつもりだったのですが」
どこか嘲笑めいたニュアンスを持つその言葉と共に、小柄な人影が暗闇に浮かび上がる。
白い面にどぎつい赤の唇。
だぼっとした衣服も生地のベースは白だったが、要所要所のパーツは赤青黄といった原色が派手に配置されていた。
「はじめまして、『母なる者』マリア。私は魔神ガビーロール。『人形使い』などと呼ばれております」