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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 3巻第1章 これじゃ世界中が大混乱です!?③
晴れ渡っていた空がにわかに暗くなりはじめた。
どこからともなくどんよりとした黒い雲が現れ、蒼い空を塗りつぶしていく。
日射しが遮られ、気温が急激に下がっていったが、人々の背筋を震わせたのはなにも気温のせいだけではなかった。
「これは……あの日と同じ……」
アリエノール・ド・ロレーヌは大陸でも有数の歴史を誇る神殿にいた。
神殿の上部に彫られた意匠から、水が属の神殿であることは見てとれる。
この神殿は十二年前に滅んだ聖王国が建国した頃よりも古くからあるとされ、聖王国と聖王アンリ八世が没した今、水が属の主神アレキューネの信徒は元より、水が属に属する全ての神々の信徒の拠り所となる建造物だった。
アレクェフォンス。
古代神聖語で『水源』を意味する言葉で呼ばれているそこで、アリエノール・ド・ロレーヌは聖職者としての身分を捨てる心づもりでいた。
聖王アンリ八世の后である聖后アリエノールが還俗するというのは、普通の聖職者がその身分を捨てるのとは訳が違う。
その上、アリエノールは自らが聖職者としての身分を捨てたことを、アレキューネの信徒たちに広く知らしめる目的があった。
それは当然、神聖復興騎士団のように聖王国サントレーヌの復興を目論む者たちにそれを諦めさせるためにである。
アリエノールが以前ノクトベルに立ち寄ったのは、自らの意志が確かなものであると保証する念書をロミリアに依頼するという理由だったのだ。
だが、今その天候と共に状況は変わりつつあった。
そして、十二年前のそれを知るすべての者が恐怖する声が、大陸全土の人々の脳裏に鳴り響いた。
『空を見よ』
皆が顔を青ざめさせながら、恐る恐る暗い空を見あげる。
十二年前のあの時には、いくつもの星が落ち、聖王国サントレーヌが滅びるに至った。
星が落ちたサントレーヌの地は、十二年が経過した今でも人が住める状態にはなっていないのだという。
だが、今回は星は落ちなかった。
立ちこめた暗雲の中に、黒い鎧に身を包んだ騎士の姿が浮かびあがる。
幻影の類であることは誰の目にも明らかだったが、幻影であるにも拘わらずその騎士の姿に誰しもが恐怖を覚え膝を震えさせた。
『俺が魔王だ』
その声に、大陸全土の半数にも及ぶ人々が恐怖のあまり気を失い、ある者は失禁し、ある者は泣き出し、またある者は平伏して額を地に擦りつけた。
『人間たちよ。俺はこの大陸を支配し、魔物たちの楽園とすることをここに宣言する』
それは簡潔な宣戦布告だった。
十二年前の魔王にはなかったことだったが、こうはっきりと宣言されるのもそれはそれで恐ろしいことだ。
さらに、この新たな魔王の配下と思われる魔神たちの姿が上空の幻影に映し出される。
『魔界大元帥』スールト。
『妖艶なる獄吏』ヘルマイネ。
『死なずの王』アタナシア。
『激流公』ハイアーキス。
それに加え、新たな女性型の魔神が二柱、魔王の両脇に控えていた。
十二年前の時点では『八柱の魔神将』の長はスールトであったはずだが、立ち位置からして、その新たな二柱の方が上位であるように見える。
『戦の準備をせよ。俺は貴様らの無駄な努力を踏みにじることを至上の喜びと考える。せいぜい抗ってみせるのだ。抗えなければ凄惨な死が待つだけだと知るがよい』
そして新たな魔王は身を翻す。
『以上だ』
その声を最後に、魔王や魔神たちの幻影は消え薄れていき、同時に立ちこめていた雲もゆっくりと散り散りになって消え、眩しいほどの晴れ間が戻ってくる。
悪い夢を見ていた。
そんな感想を抱く者も多くいたが、新たなる魔王による宣戦布告は、紛れもない事実だった。
アリエノールは目を閉じ、首を横に振る。
「まだ、その時ではない。そうおっしゃるのですね……アレキューネよ」
「聖后殿下、それでは……」
還俗の儀を執りおこなう予定だった司教は恐る恐る尋ねた。
「状況が変わりました。どうしてわたくし一人が逃げ隠れできるというのでしょう」
「承知いたしました。して、聖后殿下はこれからいったい……?」
「大陸の人々を護るためにこの身を捧げましょう。どうやら、わたくしでもなにかの旗印になることくらいはできるようですから」
「おお、では」
「まずは今は亡き聖王国の名の下に魔王軍と戦うための義勇兵を募ります。アレクェフォンスには名のある僧兵も多くいると聞きます。力をお借りできますでしょうか」
「もちろんですとも。さっそく呼びかけてみましょう」
司教はアリエノールに一礼すると、その場を辞した。
ここアレクェフォンスと言えど、今の事態に混乱が巻き起こっているのが、飛び交う怒号を聞くまでもなくよくわかった。
この大陸全土で、同じような恐慌が起こっているだろう。
アリエノールは両手を組んで安寧を祈った。
大陸の人々の、そして、あの純真な少女たちの――。
◇ ◇ ◇
「嘘、でしょ……」
エリナはこの事態に茫然自失とした表情をしていた。
恐怖に震えているわけではない。
ただ信じられないものを見た、そのことに。
「魔神将たちの動きは、新たな魔王を擁立することにあったとは……。しかし、あれは……」
ラティシアすらそれ以上の言葉を紡ぐことができずにいる。
あの空に映し出された幻影、黒い鎧に身を包んだ騎士姿の魔王は、その声や仕草があまりにも見覚えのあるものだったのだ。
顔を見ずともわかる。
それくらい慣れ親しんだ者の……。
「あれ……りっくんだった! 魔王だって名乗ったの、りっくんだったよ! なんでそんなことになってんの!? ヨーク・エルナに向かったんじゃなかったの!?」
「エリナ、落ち着いて――」
「落ち着けるわけないよ! りっくんが魔王だって! 大陸を支配して魔物たちの楽園にするとか言ってたんだよ!? わけがわかんないよ!」
落ち着かせようとしたフランの両肩を掴み、激しく揺さぶるエリナ。
だが、そのエリナの両肩を掴み、フランから無理矢理引き剥がしてカナーンが言った。
「落ち着きなさい、エリナ!」
「だって!」
「私だって、魔王の隣にいたのがルナだって思ったのよ! 魔神の姿をしていた! ルナが魔神になっちゃったの!? どうなってるのよ!」
今度はカナーンがエリナの両肩を掴んで激しく揺さぶる。
「か、カナちゃん、落ち着いて――」
「落ち着くのはあなただって言ってるのよ、エリナ!」
「はい! わたしも落ち着くから、カナちゃんも落ち着いて!」
「はぁっはぁっはぁっはぁっ…………ふぅぅぅぅ…………」
カナーンはエリナの両肩を掴んだまま、長く息をつき……そして、うな垂れた。
「本当に……なによこれ……なんなのよ……」
「エリナ……カナちゃん……」
フランがエリナとカナーンの二人を包み込むように抱きしめる。
三人はお互いの温もりを感じて、ようやく落ち着くことができた。
「エリナ、ようやく落ち着いたようね」
「ごめん、ロミリア……わたしびっくりしちゃって……。ロミリアはアレ、どう思う?」
「……残念だけれど、私もリクドウだと思ったわ。両脇にいたのもルナルラーサとレイアーナでしょうね」
ロミリアの言葉に、ラティシアも重くうなずく。
「まさかこのような事態になるとはの。わしもこの展開は予想しておらなんだ」
それを言ったのは『大賢者』と呼ばれるモロウ。
八歳程度のまだ幼い少女に見えるが、小人族であるヴァイオラのアーシェラという少女を媒介にして話しているのだという。
「だが、ギリギリ間に合ったというところか。先ほど説明してやったこともある。彼奴ら、必ずやエリナを狙ってくるぞ?」
「もしや、リクドウが魔王などと名乗っているのもエリナのことが関係しているのでしょうか」
ラティシアの言にモロウは首を傾げる。
「それはわしにもわからん……が、充分にあり得る話じゃろうな。子を護るために鬼になった母の伝承もある。子を護るために魔王となる勇者がいてもおかしくはあるまい。……それよりもロミリアよ。街の方が騒がしいようだが、いかんでよいのか?」
「あ、ありがとうございます、大賢者様! ラティシア、リエーヌ! エリナたちと大賢者様のことは頼んだわよ」
「ああ、任せておけ」
「元より承知しております」
ロミリアは街の混乱を治めるために走っていった。
「はぁ、そっかぁ……」
「エリナ? 大丈夫……?」
放心したように言うエリナの顔を、フランが心配そうに覗き込む。
「わたし……本当に『魔王の娘』になっちゃったみたい……」