新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻プロローグ
魔神将たちに送りこまれたどこぞと知れぬ迷宮を、リクドウたちはその奥へと向かって突き進んでいた。
幸い獣や魔物の類には遭遇しなかったが、そのことが嫌な予感を強めていく。
一体どういう目論見で魔神たちはリクドウたちをこんな迷宮に送りこんだのか。
ただの時間稼ぎにしては手が込みすぎている。
魔王討伐の時の意趣返しにしては殺意がなさ過ぎる。
リクドウたちを殺したいだけなら、活火山の火口にでも転送すればよかったのだ。
そんな疑問を何度も脳裏に巡らせながら、リクドウはふと壁に刻まれた紋様に目をとめた。
そのいくつかは、レイアーナの言ったとおり魔神を示すシンボルだ。
だが、そのシンボルも含めて、リクドウはそれらが形作るパターンにどこか見覚えがあるのを感じていた。
「あ、それか……」
その感覚がここに来てようやく一致し、腑に落ちる。
「リクドウ、なにかあった?」
リクドウの様子に気がついたルナルラーサが、その顔を覗き込んだ。
「いや待て、気のせいかも知れない。だが、そうだとすると……う~ん……」
「なんなのよ。一人で考えてないで言ってみなさいよ」
「そうそう。言いたいときに言わないと、何年も言えないままになっちゃうことだって世の中にはあるんだよ?」
レイアーナも追随してきたが、その言葉はルナルラーサのお気に召さなかったようでキッと睨みつけられていた。
「この壁に刻まれた紋様がなにかに似てると思ってたんだよ。そのなにかにようやく思い当たった」
ルナルラーサもレイアーナも、しかけていた口げんかをやめてリクドウに目を向ける。
「これらは『神代文字』と呼ばれる古代スメラ文字に似ているんだ。壁の意匠としてなのか、時代性によるものなのか、俺の知ってる神代文字とはだいぶ形が違っていたから中々思い当たらなかったが、共通するパターンから類似の言語であることは確かだと思う」
「古代スメラの……? それで、なにが書いてあるのよ?」
「すまん。わからん」
ルナルラーサはがっくりとこうべを垂れた。
「アンタね……」
「仕方がないだろ。俺は賢者でも魔法使いでもないんだ。たまたま前に読んだことのある本に神代文字の解説があったんだ。それを覚えていてな……」
「よくそんな本読んでたわね」
「あんまり出歩くとエリナが脚のことで心配するんだよ。家の中での暇潰しはもっぱら読書だったんだ。それでさ」
「ふぅん……」
つまらなそうに口を尖らせるルナルラーサ。
だがレイアーナの方は、珍しく真剣な顔s付きをしていた。
「でも、そういうことならやっぱりこの迷宮、だいぶヤバいよね?」
「ああ。俺もそう思う」
「なにがよ? なにが書いてあるかはわからなかったんでしょ? わかるのはせいぜい、ここがその神代文字とやらが使われていた辺りの…………」
そこまで自分で言ってから、ルナルラーサはハッとしてリクドウとレイアーナの顔をそれぞれ見直す。
「古代スメラの文字が普通に使われてるんだから、スメラにある古い迷宮って考えるのが妥当なところだよね。そんでもってスメラは――」
リクドウはうなずき、言葉を継いだ。
「俺の故国であるスメラは、魔王の強大な魔力によって海中に没した。ここがスメラにある迷宮だとするなら、その外は海中である可能性が高い」
さすがの『月輪の戦乙女』もその顔を一瞬青ざめさせる。
「……迷宮の外より奥を目指して正解だったってわけね」
「そうなるな」
一同がうなずき合うと、馬車を引く牝馬のフレイムもカッカッと短く蹄を鳴らしてから、ゆっくりと歩を進めはじめた。
「そうするとさ、なんでアイツらはアタシたちをこんなところに転送したわけ? 簡単には出てきてほしくないってことはわかるけど、どう考えてもそれだけじゃないわよね?」
「だよねー。わたしたちを殺すことを厭うような連中じゃないし。リクドウはこれにもなんか心当たりがあるんじゃないのかなー?」
ルナルラーサに同意してレイアーナが値踏みするような目をリクドウに向ける。
「なんでそう思った?」
「さっきの神代文字の話だね。暇潰しで本を読むのはいいよ? でも、いくら故国と関係があるからってその古代の文字を扱うような本、どうやって手に入れたのさ。しかもスメラからは遠く離れたブレナリアで? なにかの目的があって調べてた。そう考えるしかないでしょ」
リクドウは苦笑して後ろ頭を掻いた。
お手上げ、という意味だ。
「……魔王のことを調べていたんだ。『魔王』という存在が何者で、どこの誰だったのかを。俺たちが魔王と直接相対したのはあの対決の時だけだ。だから正直に言ってなんの確証もない、ただの直感だったんだが……俺は魔王の正体は、スメラの貴族だったんじゃないかと思っている」
「スメラの貴族……?」
二人の仲間は神妙な顔つきでリクドウの話しに耳を傾けた。
相対した魔王は確かに人の姿をしていたが、同時に悪魔的、魔神的でもあったのだ。
「立ち居振る舞いにスメラ貴族の作法や流儀があるように感じたんだ。もっとも、あの頃の俺はそんなこと気にも止めていなかった。エリナのことがあって、万が一の時のために魔王のことをもっと知っておいた方がいいと思い直してからだな」
「それで、古代のスメラ?」
レイアーナが疑問を挟む。
「そこは偶々手に入った本がそうだったって話だな。それと、スメラの皇族は古代から強力な召喚術士の一族だったらしいんだ。そこに魔王そのものの由来や、魔神たちを召喚して従える方法があったんじゃないかとは思った」
「なるほどね……」
ルナルラーサは納得して視線を落とした。
「スメラの貴族って言うけど、リクドウ的にはその貴族の誰かって予想はついてんの?」
「候補はいくつか。だけど、こういうのって下手すると昔の魔法使いが蘇って――みたいのまであったりするからなぁ」
「リクドウの考えでいいからさ。こいつが一番怪しいってのを教えてよ」
「……やけに食いつくじゃないか。レイアーナはレイアーナでなにか知ってるのか?」
「まあ、わたしが知ってる情報の答え合わせみたいな感じ」
なにか知ってるなら素直に教えてくれればいいのに……。などとリクドウはぼやきつつ、それでもその答えを口にする。
「さっきも言ったように強力な召喚術を使う者に限定するならスメラ貴族の中でもやはり皇族、皇位継承権を持つ者になるだろう。俺はその中では、スメラミコ――つまり、次の皇位を約束されていた皇子、ゼクウ殿下が魔王だった可能性を考えている。殿下は幼少期から天才的な魔導の素質を持つと喜ばれていたが、魔王が世に現れる十年も前から公に姿を見せていなかったらしい。死んだという話は出ていないが、他国では期待が大きすぎて暗殺されたんじゃないかとまで言われていたみたいだな」
「……『らしい』とか『みたい』とか、アンタの国の王子様の話でしょうが」
「後から調べた話なんだって。庶民の出だから皇族のことなんか知らなかったんだよ」
とルナルラーサに言い返したリクドウだったが、若かったとは言え自分の国を治めている人たちのことくらいもう少し知っておいてもよかったなとも思った。
「いやいや、やっぱり直接相対したってのは大きいんだろうね。それに同じスメラの人間だったってのも」
「『答え合わせ』は上手くいったのか? どういうことなのか、教えてくれよ」
レイアーナの言いようにリクドウは疑問の声をあげる。
「リクドウじゃなくたって魔王がなんだったのかは各国で研究してる人たちはいっぱいいるって話。徒に人心を惑わすことはないってことで、その内容の公表は控えられてるけど、おそらくそうだろうっていう予想は聞いてる」
「本当か!?」
「信憑性はわたしにはわかんないよ? スメラは沈んじゃってるし、それを知るはずの人は一人残らず死んじゃってる。そうだと言い切れる人はいないし、そうだと結論づけられる証拠もない」
「レイアーナ」
焦れたようにリクドウは言った。
「アタリだよ、リクドウ。魔王は、次のスメラミカドになるはずだったゼクウじゃないかって、研究者たちの間では言われてるみたい」
「…………そうか」
短い言葉ながら重く受けとめるリクドウ。
その意識の揺らぎにルナルラーサは鋭く気がつく。
「待って。魔王の正体、あの頃に――十二年前のアタシたちが魔王を討伐した頃に、すでに気がついていたヤツがいるんじゃないの?」
「…………」
リクドウは口をつぐんだ。
その沈黙で今度はルナルラーサの『答え合わせ』が完了する。
「アンタ言ったわよね? 『俺は賢者でも魔法使いでもないんだ』って。いるわよね? その魔法使い。あの頃から古代スメラに関する知識があってもおかしくなくて、魔王と直接相対してて、スメラ特有の立ち居振る舞いにも気がついて当然のヤツが。そしてソイツは、その時ですら魔王の正体について仲間であるアタシたちに一言も話してない!」
「落ち着いて、ルナ。それでもあいつがなにかしたっていう話はまだなにもない」
「でもおかしいじゃない! ――そうよ、エリナ! リクドウがあの子を拾ったときだって、アイツはそんなことおくびにも出さなかった! あの子が魔王の娘であろうがなかろうが、その命を奪おうって話をしている時にすらよ!?」
「ルナ、やめなさいって」
「なんでよ!? アイツがなにか画策してるのは火を見るより明らかじゃない!」
「それでも」
レイアーナはルナルラーサを宥めるようにゆっくりと言った。
「それでもそれは、憶測に過ぎないからよ。疑うなと言ってるわけじゃない。その可能性を考えておくことまではわたしは止めない。でもねルナ。憶測の段階で断定するのはダメだと思う。特に今回のは仲間を疑うって話だからね。慎重にならないと」
「そ……それは、そうだけど、でも……。もしそうだとしたら、アイツの方が裏切ってるってことになるのよ? 仲間であるはずのアタシたちだけじゃない。幼なじみのリクドウのことをよ」
「ルナ……」
レイアーナに優しい瞳で見つめられて、ルナルラーサは顔を背ける。
そこでようやく、リクドウがこれまでつぐんでいた口を開いた。
「ありがとう、ルナルラーサ。ありがとう、レイアーナも」
「な、なにがよ」
「だってサイオウが俺を裏切ってるんじゃないかってことで怒ってくれてたんだろ?」
「ばっ――ち、違うわよ! アタシはアイツが嫌いなだけ! フンだ!」
ルナルラーサはスタスタと足を速めて迷宮の奥に行ってしまう。
「おい! 一人で行くのはさすがに危ないぞ!」
「うっさい! アタシに敵う相手がこの大陸に何人いるって言うのよ!」
取りつく島もなくルナルラーサの背中は暗がりの向こうに消えてしまった。
「ったく、現に俺たちが三人揃ってても、為す術なくこんなところに送られたってのに……。なあ、レイアーナ」
リクドウが振り返るとレイアーナは自分自身を抱きしめるようにして身体を震わせていた。
「か、か……」
「おい、レイアーナ? どうした?」
「かわいすぎる! ルナちゃん、かわいすぎるでしょ、もぉっ!」
「……は?」
「なんであの子十二年も傭兵稼業なんてしてて未だにあんなにピュアっピュアなの!? 乙女過ぎるでしょ!? あぁん、しゅきしゅきっ、ルナちゃんかわいすぎてキッスの雨ちゅっちゅって降らせたい~っ」
クネクネと身をよじらせるレイアーナを見て、リクドウは大きなため息をつく。
「レイアーナがそんな風に子供扱いするから、あいつにいつもピリピリした態度取られるんだぞ? わかってるのか?」
「え~? わたし子供扱いなんてしてないよぉ? 子供のああいう態度もかわいいけど、ルナはそれがこの歳まで変わらずに成長してきちゃってるのがまたかわいいんじゃ~ん。リクドウはわかってないにゃ~。だからいつまでも結婚できないんだにゃ~」
「にゃ~じゃねぇ。おまえだって独身だろうが」
「にゅふふ、じゃあせっかくだし、このレイアーナお姉ちゃんと結婚しちゃう?」
「ノーサンキュー」
間髪を入れずに拒否を示したリクドウにレイアーナが文句をつけようとしたとき、緊張した空気が流れて二人は前方に目を向けた。
「ルナルラーサ、どうした!?」
リクドウが鞭を入れて馬車を走らせると、すぐにルナルラーサの背中が見える。
「とうとうお出ましよ。あの奥から魔神の気配があるわ」
「あらま、ホントだ。ルナの怒りに触れてとうとう本気で殺されるのかと思っちゃった」
「レイアーナのことならいつでも本気で殺そうかって思ってるわよ」
相変わらずの二人に苦笑しつつ、リクドウも馬車から降りた。
「向こうもこちらの気配に気がついてるはずだけど……」
「急ぐ様子もなし、逃げる様子もなし。それに気配を隠す様子も……」
「ゆっくりこちらに向かって歩いている……?」
それぞれ伏兵の可能性も考えていたが、その気配はまったく感じられなかった。
その代わり、正面からは強烈な魔神の気配と共に、金属鎧を着た者が歩いてくる音が聞こえてきている。
やがて暗闇の中から黒く巨大な鎧姿が現れはじめた。
黒い鎧に黒い大剣。そして黒いマント。
リクドウがその名を呟いた。
「魔界大元帥スールト……」
八柱の魔神将の中でも魔王軍全軍を束ねる総司令としての地位にいた魔神だ。
スールトは身構えるリクドウたちを前にして歩を止め、その壁の様な幅広の大剣を迷宮の床に突き刺した。
そして、その柄頭に両手を添え、高らかに言った。
「謝罪する!」
「……え?」
リクドウたちは自らの耳を疑い、目蓋をしばたたかせた。
今、なんて?
「まずは二つ! 一つはあまりにも乱暴な招待をしてしまったこと! もう一つはこんな招待をしておいて出迎えが遅れてしまったこと! 大変無礼かつ非礼かつ失礼な行いであったことを認め、これを深く謝罪する!」
まるで宣戦布告かと思うほど威風堂々とした謝罪だった。
実際、その言葉が理解できなかったら、誰もが宣戦布告だと思ったことだろう。
だが、スールトの言葉は、言葉の精霊による翻訳魔法によって明確にリクドウたちに伝わっていた。
「な、なんなのよ、一体!」
ルナルラーサは当然の叫びを放つ。
「話し合いがしたい!」
「な――」
絶句するルナルラーサ。
スールトの言葉は力強かったが、それは脅迫ではなく、あくまでも要望だった。
「スールトの名において約束する! 話し合いの内容、それに対する双方の態度に拘わらず、お互いが再び敵として別れる時まで、決して害は為さぬと!」
「そんなこと信じられるわけ――」
ルナルラーサの腕にレイアーナがそっと触れる。
「……信じられるみたい。これは、『正式な宣誓』――召喚時の契約と同等以上の拘束力があるはずだから」
「じゃあ、なによ、これ!」
リクドウもルナルラーサの肩にポンと手を置いた。
「ここまで言われて話し合いに応じないわけにはいかないだろ」
「でも、こんなのガビーロールの策略じゃないの!?」
「証言する! ガビーロールとは袂を別っている!」
「な――」
ルナルラーサはまたしても絶句することになった。
「状況の説明はしてもらえるんだろうな?」
「約束する」
全身鎧のスールトの顔は見えなかったが、その言葉に嘘はないように感じられた。
リクドウは二人の仲間を見てから言った。
「話し合いに応じよう」
「感謝する! そして、ようこそ! 『失われし時の迷宮』へ! 打ち明ける。貴公らとの話し合いにはこの場所がどうしても必要であった」
「それは、どういう……?」
「説明はする。だが、まずは案内する。茶の用意もある。着いてきてほしい」
いくつもの疑問符が頭の中に湧きあがったが、リクドウたちはその黒い鎧の魔神にただ着いていくしかなかった。