「見えない何か」を考える
このnoteは最近はじめたコラム形式です。
むちゃくちゃ推敲してるわけではないのであしからず。
illustration: ninoP
「見えない何か」の研究をはじめたい
「見えない何か」。これは、ここ最近というか、もうずっと自分が強く惹かれてるテーマで、このテーマについてじっくり考えていくために、いわば知的好奇心を満たすべく、仕事をしてるところが最近ある。
ブランド
IP(Intellectual Property)
世界観
コンセプト(概念)
空気、気分
イメージ
虚構
無形資産
色んな言葉の表現ができるものだけど、特に自分はこういう実体のない「見えない何か」を創ることが仕事につながるところもあり、もう少しそのことについて考えていきたいなと。そんな気持ちから「研究」をはじめようと思ってる。
見えない何かの力と怖さ
人間とか社会の歴史をみていくと、この「見えない何か」がものすごく力をもってる。
たとえば国や宗教という概念。資本主義、社会主義という考え方。これらの不思議なところは実体がないこと。例えば日本という言葉を聞いて思い浮かべる絵やイメージっておそらく人それぞれで全然違うんじゃないかなと思う。(京都のお寺、お正月の風景、平安時代、戦国時代などの歴史、アニメ、ポップカルチャー、自分が住んでる街の風景、白い四角に赤い丸、ロボットレストラン、TOYOTA、SONY・・?キリがない。)
あとはブランドとか世界観・ストーリーについても深く熱中する人がいる。例えばCHANELとか、GUCCIとか。最近だとBALENCIAGAとかマルジェラとかOFF-WHITEとか。映画やゲーム、ポップカルチャー。MARVEL、ハリーポッター、ポケモン、マリオ、ドラクエ、えーとFortniteとかマイクラ・・まあいいや。
ポップカルチャーはまだ実体が浮かびやすいかもしれない。もっと曖昧なものだとなんだろう。イメージ。評判とか、人気とか。ネガティブなものだとレッテルとか。「あいつはメンヘラだよね」とか。「きもいね」とか。
怖いのは人間って、この概念(国や宗教)のために戦争をしてしまうという事実がある。そして、受験に落ちたり、就活に失敗した、それによって周りからのイメージ(期待値)と乖離した、ということで命を絶ってしまった人もいる。
見えない何かの価値
何かのブランドや世界観から発信される商品にどんどんお金を使う人がいる(というか、自分もそうなんだけど)。自分が好きなブランド、ストーリー、世界観にふれたいからその商品を買う、という人はきっと多いと思う。
自分がゲームをつくっていたときにすごく不思議に思い、知的好奇心がくすぐられた問いは「なぜ、レアカードというpng画像に数万円払うんだろう?」ということだった。
pngは0円でコピーできる。またゲームのキャプチャをとれば究極、画像は手に入る。だけどキャプチャでは全く価値がない。この価値はどこから生まれるんだろう?それはこのレアカードに付随する実体のない「情報」(例えばゲームプレイヤー間で認識されてるカードの「希少性」やゲーム内での「能力」など)が関係してくることはゲームやる人ならわかると思う。
また、アートの価値についてもそう。アートの価値は製造原価から算出しようとすると大幅に乖離する。例えば絵の具の量や、サイズ(ただ、同アーティストの同時期の作品だった場合はサイズ差が価値反映されるみたいだけど、本質ではない)などによって大幅に価値が変動するわけでは全くない。
どちらかというとバンクシーが描いたとか、ゴッホの晩年の作品だ、とかGagosianにフィーチャーされた、とか、情報(意味付け、歴史的価値)という「見えない何か」が経済的価値にダイレクトに反映される。
まとめ
ということで、こんな風に人の命や財を揺るがしてしまう「見えない何か」。
今はまだ頭の中も散らかってるけど、なんとなく整理をはじめれそうな気もしているので、これからボチボチと考えを記録していきたい。
そして、こんな不思議な文章を読んで面白がってくれる人がいるのなら、そういう人たちともぜひ語り合いながら研究をすすめていきたい。