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隣の芝が青すぎる

10年以上伸ばしていた髪をばっさりと切り落とした。
自分の意思でこんなに短くしたのは、覚えている限り初めてだ。
髪を縛っていないのに首をそよそよと撫でる風にはまだ違和感を感じるし、芸術的で縦横無尽な寝ぐせには当分飽きそうにない。


胸くらいまである髪をもてあまし「もう耐えられない!!」と頭に血が上ってすぐに美容室を予約した。
あんなに長い髪を保つことに必死になっていたくせに、案外あっさりと信念を捨てた自分に驚く。

ずいぶんすっきりして、肩まで軽くなった。なんだか新しい自分に出会ったようなきもち。


髪を切ろうと思ったのは、骨折がきっかけだ。
片手だから髪を乾かすのに毎日30分以上かかってしまうし、片手では髪も結べない。
くせ毛のうねりと、ブリーチのせいで傷みきった髪をごまかすために毎日髪を巻いて結んでいた。
涙ぐましい努力である。

それでも、ほとんど意地みたいにロングヘアにこだわっていた。
しがみついていたと言ってもいい。それも、ストレートに対して強い執着をもっていた。

なぜこんなにもストレートロングにこだわっていたのか。
それは、「自分の持っていないものへの憧れ」に他ならない。
くせ毛がいやでいやで仕方なかった。
ほとんど同じ遺伝子を持っているはずの姉の髪がストレートで、比較対象が毎日目に入ってくるぶん、よりみじめな気持ちになった。
ストレートパーマをかけ、縮毛矯正をし、何の意味もないヘアアイロンを毎日必死にかける。湿気で膨らむので雨がきらいだった。
まっすぐな髪を持っていないなら無駄なこだわりを捨てればいいのに、隣の芝の、目も絡むような青さがどうしても欲しかったのだ。
毎日嫌でも目に入ってくる10年以上のコンプレックスはどんどん膨れ上がり、自分でも気付かないうちに、手放すことすらできなくなってしまっていたようだった。歯石みたいだ。

そんな中、骨折というきっかけで、意固地になっていたものを案外あっさりと手放した。
くせ毛を活かすようにカットしてもらい、なんだか小慣れたおしゃれヘアに様変わりした。
自分で言うのもなんだけど、ロングよりも似合っている。
アレンジはロングよりもショートの方がかわいい。持っている服にも合う。背が低いから、ショートの方全体のがバランスがいい。なにより朝の準備時間が格段に短くなった。
ショートカットのデメリットが、今のところひとつもないことに驚く。


髪を切ったことで、やっかいな自意識も同時にカットできた。
自分でも知らず知らずのうちに蓄積されてきたものから、解放されたのだ。

そして、苦しくなるくらい悩んでいるコンプレックスも、深刻に気にしているのは自分だけだよなぁというしごく当たり前のことに、実感を持って理解した。

この「実感をもって理解する」ということの積み重ねが、生きやすくなるってことなのかもしれない。
ふしぎと、今までよりたくさんの空気が肺に入るような感覚がしている。

かつてバンジージャンプをしても人生観が全く変わらなかったわたしは、たかが「髪を切る」ことだけで、「生きやすさ」だとか「自意識から解放されて自由になる」ことだとかに気づいていく。
なんともコスパがいい人生である。


以上、もっと早くショートにすればよかったなぁ、というのをもっともらしく長々と書いただけでした。

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