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脱未読スルー宣言

Z世代の人々、つまり、いま現在ワタクシが学校で毎日対峙している人々のLINEの返事の仕方には、とにかく、「見たらすぐ返す。それまでは既読にしない」という暗黙のルールがある。

ある、と断言できるのは、ここ数週間、いろんな学生に聞いて回ったからである(とはいえ、そういう考えの人ばかりではないみたい。後述)。とにかく、既読スルーにしたら即返事。読んだ=返事。

じゃあ、もうものすごく速く(早く)返事返ってくるじゃんと思うじゃん?
さにあらず。

彼らのLINEの仕方は、読むまでが長いのである。早くて1時間、遅いと一週間くらいの間があく。けれど、ルールは共通している。読んだらすぐに返事。

おわかりだろうか。つまり、返事が返ってこない数時間から数日間は、読んでいない、あるいは、「読んでいない体」なのである。つまりは未読スルーの状態である。

既読にしてしまうと、すぐに返事をしなければならないという強迫観念めいたものが彼らにはある。既読スルーは悪であり、既読スルーをするというのは無言の縁切り宣言なのだとも言う。

いまざっとLINEを見てみると、いまのところ返事が来ていない人の既読スルー/未読スルーの割合は次のようになっている。

Z世代 未読7(7/20=35%) 既読リアクションあり5 既読8(40%)
平成組 未読2(2/20=10%) 既読リアクションあり1 既読13(65%)
昭和組 未読4(4/23=17%) 既読リアクションあり2 既読17(74%)

自分のタイムライン調べるだけでもそこそこおもしろい。これ、レポートとかにさせてもいいかもしれない。めんどくさいからもうやらないけれど、条件をいろいろと整えないといけない。たとえば、「本当にまだ読んでいない人」を除くとか。とりあえず、1日以上あいた人というような条件をつけるべきだったかもしれない。

その上で、全体的に言えることは、既読スルー、そんなに少なくない。若い学生たちも、僕に対してそこそこ既読スルーをしている。これは全く知らない学生ではないこと、ほんとに用事をお願いするようなメッセージであったことから、極めて事務的な話のあとはずばっとコミュニケーションを切ってもいいと判断しているのだろうか。

一方、「未読」の割合はZ世代に多くなる。
とにかく彼らは、「読んだらすぐ返す」にとりつかれている。
これの延長が、多分、「メールの返事が早い人は仕事が出来る」なんだろうと思う。これとて、1週間メール見てませんでした。読んですぐ返したんです、とでも言ってしまえば、誰しも即返事する仕事が出来る人になるわけであるが。

この考え方、あまり好きになれない。
「読んでいないことにする」というのは、体の良いごまかしである。
嘘つく人は大嫌いとか言いながら、「読んでませんよ」と嘘をついてはいないだろうか?

質が悪いのは、iPhone用のLINEアプリには「未読のまま中身が読めちゃう」機能がついていることである。そんなもんが付いていたら、そら、使いたくなるのが人情というものである。結果、嘘だらけのうわべのコミュニケーションが氾濫する。忙しくてLINE見てなかったと、ほんまか嘘かの分水嶺に紛れてしまうような言い訳も可能にしてしまう。

そういうコミュニケーションで成立する世代はそれでいいのかもしれないね。
けれど、それを我々の世代に期待しないでね。
Androidにはその機能は付いてないし、むしろ僕は個人的には、既読スルーのほうが、「読んでから返事を考えている人」みたいに見えて好感がもてたりする。

……とか考えていて、今週頭に、学生たちと飲んでいたら、そこにいた学生たちは「私は既読のほうがいいです」派だった。
世の中いろんな考えの人がいる。そして、いろんな考えを受け入れて認めて、返事を待つのは、とてもエネルギーのいることである。「読んだよ」というのは一つの反応であり、「読んでいない」とは、コミュニケーションのステップが一歩違う。

読んだ上で返事をしないというのと、
読んでいないから返事をしていない

というのは、大きく違う。
前者は、コミュニケーションの謝絶を伝えるだろう。
後者は、それが曖昧になる。読まれれば返事が来るのかも、みたいな淡い期待を抱いてしまう。それって、生殺しだと思うのだ。


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