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反対するなら代案を出さんかいオラオラ~

何かの政策を決定するというときに、為政者の側が案を出してくる。その案がすんなりみんなにハッピーであることはほとんどなくて、大抵どこかに改悪される箇所がある。それをものすごくいろんなオブラートに包んで、「改善」という形で提示してくる。


郵政民営化のときには、当時の総理大臣は「民営化したらサービスがよくなる」というようなことを言っていた。サービスがよくなるというのは、窓口で愛想がよくなるということとほぼ同義であったように覚えているが、郵便局は愛想が良かろうが悪かろうが、とにかく郵便が確実に届けば良い。そのために民営化するべきか否かという議論ではなかったように思う。

首相官邸のメールマガジンにも郵政民営化とはサービスがよくなることと明記されている。愛想が良くなることと引き換えに、我々が失ったものは何だったのか、あれから14年経ったいま、検証してみる必要はあるだろう。


→この部分、なんで入ってるんやろ?

【追記】当時、竹中平蔵氏が以下の記事にあるようなことを言っていたのを覚えていたのですな。多分。

「2004 郵政民営化に関して、竹中大臣が面白いことを言った。「政府が原案を出しているのに、対案が出てこないから話が進まない」という。」

【追記終わり】


国レベルでも市町村レベルでも、この「代案出さんかい」というのはよく聞かれるが、評判はよろしくない。会社でも同じことをされて、「今かい」と思ったので、なぜ評判がよくないか、というか腹立つか、考えてみることにした。ネットでも様々に言われていることだろう。

とか、

noteにも書いてる方がいらっしゃる。途中までしか読んでませんが。無料で読めるところまででも十分おもしろいです。


要するに、これらの「先行研究」(?)をまとめると、「代案を出せ」というのは、

・その案を是が非でも通したい人の強弁であり、

・それは批判する人に対する言論弾圧である。

というようにまとめられる。

その通りだと思う。今回僕が考えたのはもう少し感情的な観点からである。


なぜ腹が立つのか?

一言で言うと、為政者側(会社でいうと執行部)が「エラそう」だということに尽きる。決まりを変えたいと言っている側の人間が、反対するならそれなりの理由を述べよというところまでは分かるが、変えてほしいと思ってもいなかったものを変えると言われ、あまつさえ反対するならそれに代案を出してこなければ、発言する権利を与えないというような物の言い方は、「お願いしている側が命令してくる」というねじれた構造を持っているのだ。


文句を言うのに、いちいち代案を持っていなければならないなどという馬鹿げた話はない。


寿司屋に行って、「まずい」と言った客に、「ならてめーで握りやがれ!」という職人とか、

ヨド○シ行って「高いよ~」という客に、「では、どうすれば安くなるか、提案して見せてください」なんていう店員とか、そういうところを想像してみればいい。


どう考えても馬鹿げてるのに、なぜか政策決定という場においては、この論理がまかり通ってしまう。


学会で発表者に、「ご提案に承服しかねます」とか、「ご主張の○○の点の理路について瑕疵があるのでは」と言ったら、発表者が「そんなに言うなら私の主張に対する代案を持ってこい」というのも同じ構図か。


消費者としてクレームをつけることはある。

学問を志すものとして、その研究のさらなる発展を意図して、その研究の遂行者自身のさらなる発展のために、批判的なコメントをすることはある。

同じように、組織の構成員として、その政策案に対して改善を要求したり、異議を唱えたりすることはある。それは権利である。


その権利の執行のために、代案を出すことを義務として課すというのは、やっぱりおかしいし、エラそうだと思うのだ。


まあしかし、代案がなかったのでそのようになってしまうのだろう。いろいろおかしなことが起こるようになってきたもんだぜい。





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