ならてぃぶすたいる ~第3回:ストーリーナラティブ~

ストーリーナラティブ

 今回は前回のアクションナラティブに対して、ストーリーナラティブである。前回の説明からわかる通り、これは展開に影響を与えるナラティブである。そして、このナラティブの中でも強いナラティブが、よくナラティブなTRPGに関する話題で出てくるようなナラティブである。
 そのため、ナラティブなTRPG、ナラティブなセッションというような話題で語られているものをそのまま使えるのは、この段階を少し進んでからだと考えるとよい。

■ストーリーナラティブと展開の決定

 展開に影響を与えるナラティブといってもわかりづらいため整理して考える。ならてぃぶすたいるではナラティブを「参加者全員が語るTRPG」としている。しかし、GMが展開を語るのはもとよりのため、PLが展開を語るという言い換えも可能である。
 その上で、TRPGでの語るという行為では、「語る内容を決定してそれを周囲に伝える」ため、「この先どうなるかをGMだけでなくPLも決定する」という形になる。これは、通常は、シナリオの先を知っているのがGMだけのため、展開をPLが語ることはできないというのを踏まえたものである。
 これを言い換えると、「参加者全員で展開の決定を行う」という言い方が可能となる。
 この中で重要なのは演出や描写、その場面で終わることや次に続かないことではなく、次へと続く展開を参加者全員で語るということである。これは、その場面で終わることはアクションナラティブとして分類としているからである。中には、アクションナラティブが結果としてストーリーナラティブになるようなこともあるが、ならてぃぶすたいるではアクションナラティブとストーリーナラティブは区別しておく。
 PLがどこまで語ることができるのか、どこまで語ることを推奨するのか、どのようにして語らせるのかでナラティブの強さが変化してくる。ここで、展開に影響を与えさせないもの、ちょっとした描写だけにとどまるものとなると、それは弱いナラティブとなり、いわゆるナラティブなTRPGとしては扱われないことが多くなる。逆に、展開に影響を与えることができる場合は、いわゆるナラティブなTRPGに含まれるようになってくる。これが、弱いナラティブはナラティブと呼ばれないということであり、ストーリーナラティブは強いナラティブであることが多いということである。
(なお、アクションナラティブ中心でもナラティブなTRPGと言われる作品は存在している)

●アクションナラティブとストーリーナラティブは曖昧

 アクションナラティブの結果がストーリーナラティブとなるのは当然あり得ることである。本来ならばそこで消えるはずだった敵対者が、その場の演出によって生き残り、後のシーンに登場するなら、それはアクションナラティブの結果がストーリーナラティブになったということである。
 これがアクションナラティブとストーリーナラティブの曖昧な部分である。
 このような部分があるのは、アクションナラティブとストーリーナラティブが解説を行うために便宜上の用語、区分として設定したものであり、正確なものではないからである。

●ストーリーナラティブとシナリオ

 当然ながら、参加者全員で展開を決定すると「シナリオで用意された物語の通りに進まないのではないか?」という疑問は生じるだろう。それに関しては、「当然である」と言うほかない。現在書かれているシナリオの多く(特に物語型のもの)は(購入などの手段も含めて)GMが用意したGMのみが知る筋書きである。当然、ストーリーナラティブを重視するセッションでは、PLはシナリオで用意されている筋書きを知らないため、PLが語るとシナリオから逸れる可能性があるどころか、そうなることが多いだろう。
 つまり、ストーリーナラティブで物語型のシナリオ書こうとするならば、その書き方から見直す必要があるのである。その結果、物語型以外のシナリオに辿り着くことも決しておかしなことではないし、ストーリー型のシナリオ以外でも独特な書き方をすることもあるかもしれない。

●ストーリーナラティブでのシナリオの考え方の一例

 ストーリーナラティブを想定したシナリオに関する一例を挙げる。ここで挙げる方法は、シナリオを固定された物語として考えるのではなく、移動する通過点として考えることである。移動可能な通過点が参加者たちの語った物語を追いかけ、物語の展開と合わさることで条件を満たすと考えることが重要となる。
 例えば、敵対者を倒すのに伝説の剣が必要だとして、剣を手に入れる手段や剣を手に入れるまでの展開は変化しても、伝説の剣を手に入れることは変わらない。洞窟の奥で見つかるのも、海底神殿で見つかるのも、どちらも伝説の剣なのである。この場合、移動する通過点は伝説の剣の入手である。
 このような移動する通過点をいくつか用意し、それをたどらせるという構造にすることで、ストーリーナラティブのシナリオを作成することができる。なお、物語を語るには設定が必要となることもある。それをあらかじめ考えておくといういうのがいわゆる箱庭型だが、いわゆるナラティブなTRPGの中には、この設定を参加者で相談して決めるものもある。そう考えると、箱庭をその場で作る箱庭型シナリオという認識も可能かもしれない。

●ストーリーナラティブと分岐

 分岐ではPLがどちらへ向かうかを決定する。この際、何を基準に決定し、どのような前提条件があるだろうか? 例えば、キャラクターの設定を考えれば危険を顧みずNPCを助けにいかなければならない場合でも、それによるリスクや不利を考えてゲーム的に助けないという選択をとることは十分に考えられることである。
 ここで、GMが助けに行く場合には不利を補うのに十分なリソースやボーナスを得られるとした場合(これ自体も誘導になるため、そのちょうどいい調整は難しいが)、PLはキャラクターの設定や自分がどんな物語を語りたいかによって、これからの展開に影響する分岐を選択することができる。ここにも強いものではないが、ストーリーナラティブは存在している。
 なお、ここで決定を行うPL以外の参加者たちが進んで欲しい方向にリソースを置くことができるならば、それも参加者全員で語るストーリーナラティブである。これは、ならてぃぶすたいるで語るならてぃぶでは、参加者全員で物語を語ることを目的とし、その手段として、参加者たちで相談することを重視するからである。リソースを置くというのは、それぞれの参加者がどちらの物語を見たいかという意志表現である。
 ちなみに、分岐にゲーム的な要素を持たせないということに違和感を覚える人は正しい。しかし、それがどのようなセッションスタイルを指向するかによるものであるかを理解することができた人はさらに正しい。あくまで、自由な語りを重視するならば、選択はゲーム的な誘導であるべきではないというだけであり、通常ならばゲーム的な誘導は当然の技術なのである。目的に合わせて技術を選ぶことは技術論の語られざる初歩である。

●参加者からファンへ

 当然、参加者たちが望む展開を繰り返せば、そのキャラクターはより参加者にとって好ましいものとなり、セッションを重ねるごとに参加者たちはそのキャラクターに惹かれていく。つまり、ファンになるのである。最初からファンになることが難しいとしても、物語を通してファンになることはもっと簡単かもしれない。そういうときは、可能な範囲でこういう活躍がみたいというのを提案してみるといいだろう。

■愛すべき希有な人たちへ

 昔のTRPG風にこの項目を入れているがそろそろいろいろきつい。ならてぃぶすたいるで語っているならてぃぶにおいて重要なのは、ある意味ではTRPG以外の趣味である。とくに、マンガ、アニメ、ゲームなど、全員の好みの尊重が求められる。ときには、TRPGをするのではなくそれぞれの好みについて語り合うのもいいだろう。
 あなたが望む物語はそこで整理され、共有され、やがてセッションに取り入れられるのである。

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