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毒親カウンセリング記録①~カウンセリングの前に~
前回の記事で、トラウマ専門のカウンセリングを受ける旨とその理由を記した。
今回はそのカウンセリングに入る前の導入に当たる部分について触れていきたいと思う。
●ヒアリング
はじめて病院に足を運んだ日。
まずカウンセリングを受けるにあたって、事前にヒアリングが行われた。
・本当に当病院でのカウンセリングが必要であるか
・必要ならばどのような処置が必要か
おおよそこのようなことを見極めるためのヒアリングだったように思う。
担当してくれたのは現在僕のケアをしてくれている心理士とは別の人だったが、彼が「医師」なのか「心理士」なのか、はたまた別の専門家なのかは不明だ。
いつも受付にいる人のような気もするし、そうでないような気もする。
このように、人の顔を見ている余裕すらないほど、僕は緊張していたし怯えていた。
ともかく「処置室」と書かれた院内の一室に通され、僕はその男性に主に母親との間の記憶について話すこととなった。
●「随分激しいお母様ですね」
母や他の家族から受けた様々な嫌だったこと、それが現在にどのように影響しているかということ、僕はつぶさに話した。
何を、どのような順番で話したのかということは、必死過ぎたため覚えていない。
ただひとつ明確に覚えているのは、母の行動を話したときの彼の発言だった。
たしか、「どんなお母様だったのですか」と聞かれて、母のヒステリーや癇癪について話していたときだ。僕はこのような話を彼に伝えた。
・僕たちきょうだいが気に入らないと包丁を持って暴れた
・あまりの剣幕に怯えて自室に逃げたら「開けろ!開けろ!」と物凄い声で怒鳴りながら、ドアを叩いたり蹴ったりして暴れた
→近所の人が警察に通報する騒ぎになる
彼は一呼吸どころか二呼吸ほど置いて、選ぶ言葉が見つからないというままにこう言った。
「……随分と……激しい、お母様だったんですね。」
僕は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
僕にとってはこれが幼少~思春期の常からの光景であって、「親というものはこういう生き物である」と思っていたからだ。
(前に何かで知ったが、こうでない親も現実に存在するらしい。)
もし、親を好いている人であれば、自身の親をこのように言われるのは腹立たしいことだろう。
しかし僕にとっては、僕の傷を認められたような、救いの言葉となって落ちていった。
●カウンセリングを受けることが決まる
彼との対話を終えて待合室に戻ると、またしばらくして院長らしき先生と面談をすることとなった。
先程よりも広い部屋に通されると、院長と思しき男性は「◯◯クリニックの院長の〇〇です。よろしく。」と、軽く自己紹介をした。なんだか少しほっとした。
院長は自己紹介を終えると、紹介状と先刻のヒアリングについて確認に入った。
淡々と、僕に質問するように一つ一つ確認をしていく。淡泊な印象は受けたが、高圧的ではないし、適当という風でもなかった。
一通り確認を終えると、
「ではカウンセリングの日程を決めましょう。」
とすぐさま言われたので、少し驚いた。
もう少し日にちを空けて、カウンセリングが必要かどうかの判断が下されると思っていたからだ。
驚きはしたが、体の力がふっと抜けていった。
ああ、これで楽になれるのだ、と。
その後は軽くカウンセリングの説明を受けたのだが、説明する中でかけられた言葉が真摯で、このクリニックを頼って良いのだと思わせてくれた。
「合う治療法は人それぞれだから、もしかしたら悪化してしまうこともある。だから何かあったら我慢しないで、すぐに心理士に伝えてください。合わないことを続けても良くならないからね。」
患者を思いやる言葉が、思い切って一歩踏み出してみて良かったと感じさせてくれた。
こうして僕はこのクリニックに通院することが決まり、EMDRを用いた治療を進めていくこととなった。
●おわりに
始めは正直、早くカウンセリングに入って欲しいという気持ちが強かった。
しかし考えてみれば、事前にヒアリングも無しに下手をすれば悪化するような特殊な治療を行うことはできないのだろう。
言葉にしてみて改めて、信用してみて良かったのだと思えた。
また本格的なEMDRを用いた治療をする前に、現在僕の治療を担当する心理士からもヒアリングが行われるのだが、その旨も次回書いていくつもりだ。
それでは今日はここまで。