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One day in La Havana 2

1時間半ほど経った頃にマタンサスに着いた。
駅に降り立つと来た方向から照らされる夕焼けに、ハバナから100kmなのになんだかとんでもなく遠くに来てしまったような気がしていつになく寂しさと不安を感じた。



マタンサスに着くころには日は傾き17:30をまわっていた。帰りのバスは予約してない。19:00発のviazulを取るつもりで1時間だけ早歩きでマタンサスを回った。ハバナよりも排気ガスと食べ物が腐ったような臭いはしない。人々はここでもハバナと同じように皆道に出てボーッと通行人を見つめていた。地元のフェスっぽいものもあった。

街はチリ人の友人から聞いていたほどでもないなと思ったが、尊敬するゲバラのペイントを見れたのは良かった。
というのもキューバ人は革命についてあまり語らない。他の社会主義国家のように、革命の指導者の銅像はほとんど無く、独特の建築もない(これはカストロが偶像崇拝されることを嫌ったからと言われている)

キューバ革命がエリート弁護士のカストロとアルゼンチンから来た医学生のゲバラという青年によって成し遂げられた、ある種理想主義的な伝説として外国から認知されてきたのに対してあまりに不自然に感じた。
革命は光と陰をもたらしたと後からデイジーから聞いた。土地はすべて国有化され、格差是正の施策がされたそうだ。
(カストロは裕福な家の生まれだが革命の信念から実家の土地も国有化したので、実母に絶縁されたそうである。また、ラム酒の世界最大のメーカーであるバカルディ社はキューバ初の多国籍企業であったが革命による資産の差押えを恐れてキューバから撤退したことを、キューバ政府を批判するような広告でアピールしていたのを見たこともある。)

早足でviazulに18:35についた。受付のおばさんは多分空きがあるから座れるぞとは言ったものの、結局終バスが来ると、ごちゃごちゃと運転手に文句をつけてさっさと自分がバスに乗って帰ってしまった。
タクシーは夜遅いし他にハバナに行く人もいないから50cucだと言った。約6000円は貧乏旅には流石に高すぎる。

他に方法もないので夜をマタンサスのバスステーションで明かし、翌朝のバスか電車でハバナに帰るつもりだ。チェックアウトの時間とビニャーレス行きのバスの時間もあるので避けたいがしょうがない。
とりあえずどこに行くか周りの人に話しかけてみてハバナの人がいれば一緒に帰るのもアリだと思った。食べ物は行きの電車で20ペソ払ったバーガーと水だけ。正直きつい。
さらにキューバは南国とはいえ12月。夜は冷えるし、そもそも寒いのは苦手なので真冬の日本から離れて遠くこの国にいるのである。こういう時の行動力というか思考には自分でも驚く。

一人だけバス停に残っている黒人の男性に話しかけることにした。名はリチャールと言った。顔つきは怖く身体も大きい。アジア人とはつくりの違う戦士の身体である。
日本から来たと言うと空手をやっているといった。普通に喧嘩したらまず勝てないなと思いつつそんな人に話しかけることができたのも、この国の不思議だろうか。。

ロサンゼルスでは若い層は違えど、やはり黒人は黒人のコミュニティ、ラテンアメリカ人は彼らのコミュニティ、アジア人はアジア人のコミュニティがあり、それは明確に見えた。
キューバでは男も女も、黒人も白人もラテンアメリカ人も皆が皆なんの違和感なく暮らしている。黒人の女性と白人男性のカップルも普通だし、ラテンアメリカ人と黒人のお爺さんが道で麻雀やってたりする。金髪のお姉さんとラテンアメリカ人の子供が手を繋いでたりする。

彼は外見こそ強面だが、非常に穏やかで優しい人間だった。その証拠にアジア人でスペイン語が全く分からず話せない自分に、ニコニコしながら一言一言答えてくれた。単語がわからないのでジェスチャーを交えてお互いの意思疎通をした。正直分からない単語もたくさんあったが、それでも時間をかけて分かろうとしてくれた。

彼は恋人と子供に会うためにサンティアゴから来たと言った。サンティアゴとは昼に乗ってきた電車の最終目的地である、600kmも離れたサンティアゴ・デ・クーバである。

彼はわざわざ遠距離を何日もかけて通うほどの男である。おそらく安賃金で裕福になろうなどとは思っていない。ただそれでも家族を愛する心だけは絶対に忘れることはないのだろう。彼はまた、自分の親の話もした。自分には両親がいないと言った。そしてまた自分は父になったと。彼のことは何も知らないけど、彼の生い立ちを聞いて、その真っ直ぐさや正直さ、見ず知らずのアジア人におそらく最もプライベートな部分をさらけ出してくれたことがとても嬉しく、信頼できると思った。

日本は確かに豊かな国である。モノや情報に困ることはないし、常に最新のモノをいつでもどこでも手に入れられる。しかし日々仕事に追われ、生きる意味を見失いながら消費し続けるくらしでもある。
キューバは確かに豊かではない。モノは古いし不便なことも多々ある。決して豊かではないけど、皆が皆自分のくらしを持っていて生きる意味を感じている気がする。嫌なことがあっても、お金がなく駅で野宿することになっても、家族がいれば充分なのかもしれない。

タバコを貰った。普段は断るはずのタバコも彼のものなら貰うべきだと思った。21になってはじめての煙は香ばしい香りと懐かしい味がした。忘れかけていた何かを思い出したような、そんな気がした。
21:00ごろになってバスが一台来た。ハバナ行きだ。外国人とみるや20cucと言われたが、翌朝のハバナ発ビニャーレス行きのバスのチケットを買っていたので、仕方なく払ってハバナに帰ることした。
彼を一人にさせてしまった罪悪感が残るが、それでもこのバスに乗る運命なのだと思った。

行きの電車でもらったまずいバーガーと10cucをリチャールに渡した。彼は最後まで運転手に話をつけてくれ、また手を振ってくれた。adios amigo! サンティアゴには必ずまたいつの日か行こう。

タバコの味と匂いがいまでも残る。帰りのバスはひどく寒かった。


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