短期的にはオードリー、中長期的にはユヴァルの通りになるだろう。
歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリとプログラマー政治家オードリー・タンの対談記事を見かけた。
歴史は繰り返す
全文を読み感じることは、ユヴァルは基本的に人類は愚かであると考えている。逆にオードリーは情報に触れるほど人類は賢くなれると考えている。
歴史を振り返ると優秀な人物が良い統治をおこなう者の、後継に引き継がれる頃から徐々に悪い統治になってきた。その後、統治の限界値を超えると統治される側に優秀な人物が現れ、統治機構が一新されてきたと考える。
すると、オードリーが政治家や類する社会的な地位と権力を維持する期間は発言のように上手く統治が回ると考えられる。しかし、地位と権力を失ったとき前述の通り悪い方向へ転がり、ユヴァルの懸念する社会になるのではないか。
AIと教育;一定量の詰め込み教育は必要
幼少期から第二次性徴期までは興味の有無に関係なく一定量の知識の吸収が必要と考える。いわゆる詰め込み教育であるが、明確に覚えている必要はなく1度でも触れることが重要であり、そのような記憶はノイズ程度でも脳に残るだろう。それが発想の転換や飛躍を生み出す基となると考える。
あまりに早い時期から興味を基準に学習を取捨選択を行うと偏りが強くなり周囲との隔絶がいっそう深まると考える。義務教育等の共通教育を受けることは周囲の人物の大多数は概ね同じ教育を受けて調整されていると安心材料と活動基盤となる。
オードリーは「周囲にはおらず世界で見れば多くいた」と発言があるが、現実に生活する基盤は周囲であるから一定量の周囲との社会基盤を等しくすることは重要と考える。