なんで播州赤穂?「絶景・温泉・海から森へ 静かな時間」

おてんとさん

おてんとさんは、ずっと空から僕らを眺めながらどんな時間を過ごしてきましたか?どんな瞬間を心地よく感じ、どんな瞬間に残念な思いを抱きますか?

僕自身が僕自身の過ごしてきた時間と、その時々の感じ方を振り返るといかに自分自身が色々で混乱しているか、おもしろいなーと思います。

多様性が語られることの多い昨今ですが、十人十色どころか、一人が十色だということを自分自身を通じて痛感します。だから、僕は僕の人生の時代ごとに自分の感じ方が変化することに応じて、というか変化の予感に備えて、どこでどんな風に時間を過ごすのか?に、今、関心があります。

20数年前、京都から東京に移って仕事を始めた時、会う人に「京都っていいよねー」とよく言われました。「そうですねー」と言いながら、でも僕自身はこれっぽっちも京都がいいと思っていませんでした。そんなことより、東京で、仕事で、生まれたばかりの風太や草介と、のりと一緒に、仕事仲間と一緒に、必死で成長したり真剣にチャレンジしたり、我慢したり見栄はったり、成長したり変化したり達成したりといった、刺激満載アドレナリン出まくりの時間が僕にとって「生きてる」時間でした。だから、東京に来てから長い間、僕の意識の中に京都はなく、ゆっくりした時間に身を置きたいなんて思ったこともなかったんです。

でも、かなり時間が経ってから久しぶりに実家に帰ったら、「あれ、京都ってええ時間が流れてるなー」って。素の自分が顔を出すことを感じて。

もしかしたら、「必死でなきゃ」「成長しなきゃ」「価値を出さなきゃ」といった「なきゃなきゃ」を一杯抱えて、だから緩い自分なんて見たくも気づきたくもなかったのかもしれません。僕にとっての一番の仕事は、大切な大切な子供たちが自らの力で自らの人生を歩いていけるように機会を創り続けることだと思ってきました。僕のお父さん・お母さんが僕にそうしてくれたように。

そして、子供たちが自分の力で歩いていける実感が手応えが増せば増すほど、意識が自分の「次の時間」に向いてきた気がします。そんな感じ方の流れの中で、赤穂御崎に、伊和都比売神社から眺める海と時間にたどり着いたんです。

伊和都比売神社5

伊和都比売神社の周りには、赤穂温泉があります。絶景露天風呂を備えた旅館が点在しています。お風呂だけ入ることもOK。しばしば赤穂を訪れるようになり、僕も何度か露天風呂に入りました。

銀波荘温泉

呑海楼 温泉

「気持ちいい~」ふわ~っと意識が開きます(^^)瀬戸内の穏やかな海が穏やかな時間を与えてくれます。情報でパンパンになった頭をグニャッと緩めてくれます。

温泉から出ると、海辺の遊歩道を歩き始めます。

福浦海岸遊歩道①

海沿いにグニャグニャと道が続きます。時々の光、風、空気を感じながら歩くと、頭の中を色々な言葉が通り過ぎていきます。釣り人と少し言葉を交わしたりします。

福浦海岸遊歩道②

海沿いをしばらく歩くと森があります。ここは海と森が近いのです。自然に足が森に向きます。

東御崎公園

この岬の丘、桜の木がたくさんあります。桜の季節は山が桜色に染まるそう。僕はまだその季節過ごしてないけど。うちの家から海と岬がまるっと視界に入るので、その時が来るのが楽しみです。集まる人たちの過ごす時間を眺めるのが楽しみです。

勢いがある時は、そのまま小山に登ります。

坂越 宝珠山から生島

おてんとさんが降りてくるような。そんな空気を感じます。静かに自分と対話する時間が流れます。僕はこれが好き。

ここで僕が時間を過ごすとしたら、何かを育てるとしたら、どんな時間を創りたいだろう?どんなことができるだろう?どうすればイメージとリアルを調和・成立させられるだろう?

そんなことを考え始めたのでした。


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