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夢幻のごとくなり
人間五十年 下天のうちをくらぶれば
ゆめまぼろしのごとくなり
信長が敦盛を口ずさむ。
いつの頃からか、確かにそやなーと想うようになっている。
信長が世を去った歳を、気づけば自分は超えていて、そして出来ることが増えるプロセスから、出来ないことが増えるプロセスへの移行を感じている。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理りをあらわす
人は必ず死ぬ、
でもいつ死ねるかはわからない。
人の身体は衰える、
でもいつ死ねるかはわからない。
メシを食べなきゃ死んでしまう、
でも糧を得るために生きているわけじゃない。
人の身体は衰える、
そして衰えたなりに生き続ける術が必要。
いつ死んでも悔いのないように生きたいと願いつつ、死に向かって追いやられることをとても恐れている。
いつ死んでも悔いのないように生きたいと願いつつ、死なないことを目的とした行動だけで時間が埋め尽くされてしまう。
そんなつもりは無いのに、けっしてそんな状態は望んでいないのに、毎日の反射的反応的行動の連続につい身を委ねてしまう自分が確かにいる。その楽さに居着いてしまいたい自分が確かにいる。
いつ終わるかわからない、明日終わってしまうかもしれない。未来のことなんて考えるだけ無駄な気すらしてしまう中で、それでも未来を想うことってなんなのか?
ヒトは比較の対象がなければ自分を確かめられない。
つまりきっと、未来の姿を想うことは、
いまの自分を確かめる一つの手段。
反応的行動になりそうな瞬間に、暫時の保留を促すコーチ。
比較の対象を他者に求めず、ただ一人、象のように歩むためのよすが。
そう思い究めると、想った未来が成るか成らないかが重要なのではなく、想うことそのものが大切なのであり、想うことそのものが自分であり自己実現なのだと気づく。
人間、夢幻のごとくなり。
それそのものを楽しむために、赤穂にサンクチュアリを育てている自分をイメージして、これからの10年を過ごしてみようと決めました。
赤穂御崎に出会った素晴らしい場所、
「赤穂サンクチュアリ」と名付けます。