
目的と余白時間
目的があったとしても、その時々の余白時間って大事と思った話。
先週宝塚で開催されているゾロリ展を見に行きました。
駅の掲示板のチラシを息子が見つけたのがきっかけ。息子が行きたい!と珍しく言うので、これ実現したい!
ということで早速行ってきました。
車にも電車にも酔う息子、どっちで行く?の質問に、即答で車!
雨の中車を走らせ駐車場に到着、なかなか車から出ようとしません。着いたよ?!
息子は持ってきた漫画に夢中。
さてどうしよう?
あなたが行きたいと言ってたゾロリ展に着いたよ??
助手席で無言で漫画に夢中の息子。
大きな声で声かけて急かす?
ほんとに行きたいの?と問い詰める?
どうしよう。
私は落ち着いて、運転席で待つことにしました。
前の自分ならセカセカ目的のために、だけに、動こうとしていただろうな。。と思う。
20分くらい待ちました。
気が済んだ様子で、行こうー!と自分から動き出しました。なんだかホッとしました。良かった。
でもその時に、行かない、と、もしなったとしてもまあいいや、ぐらいに思う広い気持ちを持とうと思いました。息子とドライブできた!と思えばいいよね。
ゾロリ展は予想通りにさらさらーっと素早く見て周り、外でやってたゾロリのアニメに夢中、さらに隣で展示していた別の作品展で興味のある展示を見て周り、お土産にゾロリの本を買って夢中で読んでいて、私は可愛い手作り帽子を試着して、それにも付き合ってくれました。
目的はゾロリ展、でもその周りのたくさんの興味に一緒に触れ、沢山おしゃべりして、同じ時間を過ごせた事が大事だなって思いました。