はぎつかい 二話

石澤くん、東京にお帰りですか。

キヨスクのレジで、そう言われて仰天した。ペットボトルと財布しか見ていなかった。

 え、なんでここにいんの。
バイト。三十円のお返しです。

君の右手から、十円玉が僕の手のひらにそっと落とされる。4.5×3=13.5グラム。軽いのか重いのかわからない、ただあたたかい。

 あー、夏休み中に集中講義があるから、早めに戻んないとさ。

なぜか僕は言い訳している、と思った。東京へ帰る、と君は言った。一年浪人して入った希望通りの大学に向かうのは事実だけれど、君にそう言われると、さびしいような気がした。

三年なのに、大変そう。
 三年からが本番だよ。ゼミに研究室に、いろいろ。
そっか。文系とは違うね。
 そっちは。就職。卒論は。
決まった、地銀。
 すごいじゃん。
運がよかった。たまたまだよ。
 本当にこっから一歩も出ないんだな。
うん。卒論も末の松山。
 何それ。
百人一首。近くにあるんだ。
 近くってどこ。

君が答えようとするのと、おねえさーん、マルボロちょーだーい、と男性の声が小さなキヨスクの売り場に飛び込んでくるのと同時だった。はーい、と君はその声に答え、レジの脇にある棚から赤いパッケージのタバコを取り出す。

 じゃあ、行くわ。
うん、ごめんね。気をつけて。

話すのは、何年振りだったろう。なんでキヨスクに。改札を抜けて、エスカレーターに乗りながら、この前に話した時を記憶から探った。そう、文化祭の準備で遅くなった日に、たまたま帰りの電車で一緒になった。大学の話をしたから、高三の秋だ。別々の高校だったから、その時も話すのは久しぶりだった。とっぷり暮れた駅からの帰り道を、どちらからともなくゆっくり歩いて、君を家の前まで送った。

やっぱり東京の大学行くんだね。
 ここでもやれるけど、いろいろ見たいよ、建築も、人も、いろいろ。
うん、石澤くんはその方がいいよ。東京行くといい。
 文学部行って、何すんの。
萩ってね、けっこう昔からある花でね、奈良時代とかの短歌に詠まれてて。そういうの、もっと知りたい。
 てっきり、植物学とかの方向かと思ってた。
うん、違う。わたしが知りたいのは、植物としての萩じゃなくて、萩をどう見て何を感じたかっていう、人のこころっていうか、人と萩の関係っていうか。うまく言えないけど。
 わかるよ。あそこを自分なりに定義したいみたいな。
んー、定義っていうか、でもそうかもね。あそこが自分にとってなんなのか、自分なりにわかりたい。
 いまでも行くの。

夜空を見上げて君は、すうっと息を吸って、そして、はあっと吐きだした。

ほんとにたまにね。行けなくなってるんだ。強く願っても、なかなか行けない。たぶん、大人になったら行けなくなるんだ。そんな気がする。

君があそこに行けなくなるなんて、それだけは絶対にあっちゃいけないことだと、僕の方が動揺した。そのあと何を話したかは覚えていない。きっとあの時、僕は君より絶望していた。

就職先とか、卒論とか、本当はどうでもよかった。君が今でもあそこに行けるのか、尋ねたかった。レジにいるのが君だとわかった瞬間から、訊きたいことはそれだけだった。でも、訊けなかった。君から受けとったお釣りの十円玉は、まだ右手にあった。新幹線の中でも、僕はそれをずっと握りしめていた。



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