空色雪天
自分で本が読めるようになると、本を開く前に表紙をとくと眺めて、これはどんなお話だろう、と題名から連想するのが好きだった。抜群のタイトルは、そういう夢想を誘う。あまんきみこ『車のいろは空のいろ』も、想像の膨らむタイトル。
けれど、子どものわたしには飲み込むのが難しかった。車のいろは、まで読んで車をイメージする。でも次の、空のいろ、を読んで、車そっちのけで、喜び勇んで空をイメージする。真っ青で大きい空。ああ、きれいだな、なんて思って、そこでやっと、車が空色なのだと思い至り、イメージしていた空を切り取って、車に貼り付けてみる。うまくいかなかった。わたしのイメージした空には、雲があったり、光があったりしたから、それがそのまま車の色になるのは、ちょっと想像できなかったのだ。それから表紙の水色の車の絵を見て、でも空と言ってもいろんな色があるのに、と思った。水色じゃない日もあるのに、と。空色と一般的に言う時は、だいたい水色なのだと知る前のことだ。
読む前に、わたしはこの車は空を飛ぶのじゃないかと思っていた。何しろ空の色なのだから。でも、全然そんなことはなかった。松井さんという男の人が運転するタクシーの話だ。ただ、乗客は少し不思議な人ばかり。人ばかりでなく、くまも乗ってくる。一番印象に残っているのは、そのくまの話で、くまの集会みたいなものが開かれる話だ。くま以外の動物もいたかもしれない。でも、松井さんが乗せたのはくまで、会場に着いて松井さんもその集まりに参加させてもらうのだ。そこでマイクのテストが行われて、「本日は晴天なり」と司会が言う。今日は雪が降っているのだから、晴天じゃないよ、と誰かが言って、司会は言い直す、「本日は雪天なり」。
これを読んだときに、晴天の意味を知った。「本日は晴天なり」というマイクテストの常套句に、意味があるとは思っていなかったのだった。雨天決行というときの雨天や、曇天ということも、初めて理解した。そしてわたしは長い間、雪天は、くまの造語だと思っていた。くまが思いつきで言ったように思えたから。ちゃんとした言葉じゃないかもしれないと考えたのだ。調べたら雪の降りそうな空とのことで、雪天はりっぱな日本語だった。
いろんな思い違いや、勘違いをしながら読んだ『車のいろは空のいろ』。子どもの頃に好きだった物語について書こうと思ったときには、ピックアップしていなかった。「まっくら森の歌」もそうで、なぜだか降ってわいたように思い出したのだった。この二つの作品は、わたしの中ではつながりがある。まっくら森を歌う谷山浩子さんが、『車のいろは空のいろ』の曲も作っている。それを知って聴いたときのことは、また別のお話だ。
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