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病気の一枚 64

2024年9月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していた。しかし再発治療による副作用のため、現在再び休職している。でも諸事情により、そろそろ動こうかと。どう動くかは分からないが。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年11ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、1年8ヶ月。

造影剤も飲み薬にしてほしい

いきなり要望で始まったが、今月は定期検査でCT検査が入った。いや、入るのは何の問題もないのだが、造影剤を使うので、ここでまた私の注射嫌いがむくりと顔を出すのである。

相変わらず血管が細いので、看護師さんの手をいつも煩わせることに・・・。
それでも、造影剤注入のためのルートを確保するために、今までは処置室でなんとか入れてもらっていたのが、今回は「ベテランの看護師に変わりますね」と言われて、別室でベッドに横たわって、無事ルート確保。でも、ただでさえ下がっているテンションがさらに下がっていく。

造影剤を使った検査をしたことある方はお分かりだろうが、造影剤が身体に入ってくると、身体の中が、かーっと熱くなるのである。その間にCTを1枚撮るのだが、今回はこのあと熱さがひいて、ものすごく寒くなってきたのである。今までにない寒暖差に「なんで?」と思っていたら、
「んー・・・鼻がむずむずします」
私のこの一言で、アレルギーが出たんじゃないかと大騒ぎに。そのあとくしゃみも出て、長めの経過観察となったが、やがてそれも治まり、主治医の先生の診察後、やっと帰路へ。検査結果は次回診察時に。

今月の好中球

ベージニオ服用の副作用(骨髄抑制)で、好中球の数値が乱高下を繰り返している。今のところ、ボーダーラインを余裕で越えたり、ギリギリで下回ってベージニオ休薬ね、と月替わりで動いている。

そして、今月はたぶんボーダーラインを下回る月だよな・・・また休薬かな・・・と思って採血を受けて結果を待っていた。

すると今月は1140と、約1000ぐらい先月から減っているものの、ボーダーライン(1000)ギリギリで、無事にベージニオ継続。もちろんフェソロデックスも受けた。でも来月がどうなるかは分からない。

撮った。

先日、長崎旅に出た時に、ノープランで行ったにもかかわらず、偶然たどり着いた雲仙温泉街にある「温泉神社」。そう、島原鉄道に乗りたいと、諫早駅からある野望を達成して、雲仙駅へ。どこから島原電鉄バスに乗り、たどり着いたのは雲仙温泉街。

バスを降ると、目の前に温泉神社へ続く階段が現れて、その階段に旗が3本立っており、そのうちの1本に「癌切り不動尊」の文字を発見。
そういえば、ガンが発症して以来、手術の時に癌切りのお守りをいくつか友人からもらったことはあったが、自分でそういうお守りを買ったり、そういう場所に行くことはなかった。行こうとも思わなかったのだが。

詳しくは分からないが、でも、今回こうしてこの神社にたどり着いたのは、何かのご縁かもしれないと、お詣りすることにした。
本殿をお詣りして、横を見ると、絵馬が置いてあった。その絵馬の中心に「癌」という文字が書かれており、よく見るとその「癌」をくり抜いて、「封」と書かれた箱に丸い「癌」がたくさん入っている。

どうしよう?と迷ったが、次の乗り換えのバスの出発時間が迫っている。じっくり迷ってる暇はない。えーい!これも何かのご縁だー!と、そこからは怒涛の勢いで絵馬を奉納し、不動尊の横にあった鐘をゴーンと鳴らし、少し早歩きで階段を駆け下りた。出発まであと5分。間に合った。

願わくば、その時がくるまでは、少しでも
穏やかに過ごすことができたらいいなと。



追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら63もご覧ください。


いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。


記事を書くための栄養源にします(^^;)