病気の一枚 45
2023年2月の私です。
2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。
2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながらの勤務。今は本格的に仕事復帰している。
2023年1月に再発。右肺の胸膜に転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。仕事を続けながら、べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。
告知されて、3年4ヶ月。
手術して、3年3ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、2年9ヶ月。
再発治療が始まって、1ヶ月。
今月も長いです。
まずは先月の結果から…。
半年に一回受診している婦人科の検査の結果が送られてきた。子宮体がん検診の結果、今回も異常なし。婦人科の検査も痛いのだが、今月はもっと痛いのが待ち受けていた。
その前に・・・べージニオとの闘い。
分子標的薬「べージニオ」を飲み始めて、実は5日間ほど休薬をしていた。飲み始めて初期の下痢症状がしんどくて、あまりのしんどさに、薬剤師さんに相談したら、話を主治医の先生につないでくださって、いったん休みましょうという話になった。
「休薬」。それは「再発」と同じぐらい不安になる単語だ。
薬剤師さんからその言葉が出た時に、「え?それだとガンが増えるやん」とものすごく不安になったが、先生から「少し止めても問題ないよ。一度身体を休ませた方がいいと思う。今度の診察日にまた話をしましょう」と言われて、少しホッとして休薬を決めたのであった。
そして、休薬後の診察日。この日は旦那にも、ついてきてもらっていた。
診察室に入るなり、この先どうするかの話が始まった。というより、説得が始まったというのが正しかったかもしれない。
「うーん、下痢できついとは思うけど、あなたには効果のある薬だと思うから、減薬も考えたけど、もう一度150mg(標準)でやってみようか」
うーん・・・やってみますか。
このあと、旦那にCT画像を見せながら、あらためて私の今の癌の状態を説明してもらった。私の胸膜にべっとりと付いているしこりは、大きさが約1cmぐらい。よくもまあ、こんなに、と思ったが、とにかく今はできる治療をするしかないんやねと家に帰ってから話していた。
さて、この日の夜から再びべージニオ服用が始まった。1日2回。副作用の下痢はすぐやってきた。でも、ここで下痢止めを飲むと、下痢を越える便秘がやってきて、それもしんどい。でも先生は言っていた。できることなら、止めるより出した方がいいと。
よし。
出せるだけ下痢で出そう。そして、しんどくてどうしようもない時、外にいて止めた方がいい時だけ飲むようにしよう。1回ぐらいの下痢なら・・・そう思って下痢と向き合った結果、私は「下痢に振り回されし者」から「下痢をコントロールする者」へと変わっていった。
今では、3,4回の下痢ぐらいでは、下痢止めを飲まなくても大丈夫なぐらいこの副作用に慣れた。下痢の後は、ポカリスエットやお茶でとにかくひたすら水分補給。それと同時にお腹を温める。するとお腹がすうっと治まっていく。それでも下痢は毎日やってくる。なんなら、毎朝下痢に起こされる。
「下痢に起こされし者」だ。・・・なんて言ってる場合じゃないけど、こうでもして下痢と闘うしかない。
やってきました、筋肉注射。
べージニオを飲み始めて1ヶ月経った頃、べージニオにも慣れたということで、前回予告されていた筋肉注射「フェソロデックス」というホルモン薬を打つ日がやってきた。左右のお尻の筋肉に1本ずつ。お尻の、と言っても、正確にはお尻の横の「中臀筋」に打つのだそうだ。具体的にどの辺になるかはネットで参照を。
まず注射を受ける前に、血液検査で今の身体の状態を確認する。この血液検査すらも注射嫌いの私は避けて通りたいのに、お尻に注射、しかも2本も・・・。とテンションが下がりながら、検査の結果を聞きに診察室へ。
「こんにちは!」
先生のテンションが高い。ん?なぜだ???
「下痢はどう?」
「うーん、まあ、なんとか慣れてきたかなって感じです。1,2回の下痢ぐらいでは下痢止めを飲まないようにしました」
「慣れてきたね。この治療をやっている人は、3,4回ぐらいに一度ぐらいで下痢止めを飲む人が多いのよ」
え?それ、その情報、もっと早く欲しかった・・・。
「今日の血液検査の結果だけど、ちょっとタンパク質が少ないかな。」
「タンパク質??」
「そう。肉や魚をもっと食べてね。肉は脂っこいから食べづらかったんだろうけど・・・」
うぐっ・・・図星だ。脂っこいものを食べたら、その後の下痢がひどいから、あんまり食べないようにしていたのだ。
「でも先生、下痢がしんどいっす」
「うん・・・まあ、しんどいし、きついと思うけど、効果は出てきよるとよ」
撮った!
いや、家で「撮った!」やけどね。まあ、そんなことより。
「ほら、腫瘍マーカーの数値が10も下がったよ!」
「え!?マジで!?」
「下痢がきつかったけど、効果は出てるから!やったね!」
「毎朝、下痢で起こされている甲斐がありました!」
先生と二人で、テンション高くなったが、それも束の間。
「じゃあ、今日から注射やね」
「う~・・・先生、やっぱり注射は嫌なんやけど・・・」
診察室を出る間際まで抵抗を試みたが、先生に笑顔で見送られた。
注射を打つ部屋へと向かう。足取りが重い。
名前を呼ばれて、注射を打たれるベッドへ。スタンバイしている注射器を横目に荷物を置き、ズボンを少しだけ緩めてうつ伏せになる。
ちょっと待って。一回トイレ。下痢だ。
トイレから戻って、またうつ伏せになる。看護師さんが注射を打つ場所、中臀筋を探る。場所を決める。
「はい、いきますよー。つま先を内側に向けて、力を抜いてリラックスー」
「どわっ!・・・・・・いたっ!!!」
250mgの薬剤を2分かけてゆっくり体内に注入していく。深呼吸して息を整えながら、左側の注射が終わる。一気に疲れが出る。いや、あともう一本ある。
「半分終わりましたね。あと半分、いきますよ」
「は、はい・・・・・・・・・・痛いっ!痛いってば!」
右側は途中で注入スピードがほんの少し早くなったので、激痛が走った。そこからスピードを落として残りの薬剤を注入された。
「はい、終わりましたよー。大丈夫ですか?」
「・・・大丈夫じゃないです・・・なんかフラフラする」
そう、注射が終わってホッとしたのか、軽いめまいをおこして、しばらく処置室で寝かせてもらった。時々、血圧を測りにくる。
「ゆっくり休んでいいですよ」
そのお言葉に甘えて、結局2時間もそこで休ませてもらった。
その間、私と同じ注射治療を受けていた人が4人ぐらいはいたように思う。カーテン越しにいろんな会話が聞こえてきたが、この日一番印象に残ったセリフは患者さんが言い放った自信たっぷりの「ばっちこーい!」だった。
すげー!
2時間の休養後、起き上がったが、なんだか右足が痛い。これがもしやフェソロデックスの副作用、筋肉痛か?そんなことを思いながら、またトイレへ。下痢だ。
とにかく痛い足を引きずるように歩き、会計を済ませ、薬局で薬をもらい、車を運転して無事に帰宅した。
痛いんやけど・・・。
注射の翌朝。下痢と吐き気と足の痛みで目が覚めた。足の痛みが昨日より増している。たぶん床に座って立ち上がろうものなら、痛くて立ち上がれないような気がする。階段も一段一段踏みしめるように降りていく。上りはもう痛くてしょうがない。
それでも、いちおう、炊事洗濯掃除買い物はなんとかその日の午前中に行くことができたが、その後は立ち上がりやすいよう、おとなしく椅子に座ってテレビを見たり、ネットを見たり、noteを見たり、座ったままうたた寝したりして過ごした。
強い痛みはその後2日ぐらい続き、その後3日ぐらい弱い痛みが続いて痛みは消えた。幸い最初の2日は仕事休みだったので、仕事に影響することはなかった。
そして、何より、以前受けた抗がん剤治療を受けた時よりも副作用がこれぐらいで済んでいることが、とてもラクだったように思う。
治療も副作用も個人差があるが、今の私にはこの治療が合うようだ。
でも、今回の再発治療を受けて思ったことがある。
これは「ガンとの闘い」ではなく、「副作用との闘い」だ。
追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら44もご覧ください。
いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。