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病気の一枚 68

2025年1月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していた。しかし再発治療による副作用のため、現在再び休職している。でも諸事情により、そろそろ動こうかと動きはじめたところ。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、5年3ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、2年。

今月はどーした!?

今月は3ヶ月に1回のCT検査から始まった。ここ数ヶ月ほど、血液検査の数値が安定しているとのことで、造影剤なしの単純撮影となった。もう造影剤なしというのが、注射嫌いの私にとって、どれだけ嬉しいことか・・・やったね!
単純撮影だと所要時間も早い。15分ぐらいで終わった。やったね!

数日後の診察。
診察室に入るなり、主治医の先生がCT画像を見ながら言う。
「どこにもしこりが見当たらないよ」
「マジですか?」
「うん、まあ目に見える範囲ではね。細胞レベルは分からないよ」
「・・・ですよねえ」
まあ、がん細胞はもう全身にいると言われているから、そりゃそうだよなと思うしかない。しゃーないね。

そして、今月は血液検査の数値が奇跡的だったのである。いや、なんなら診察前の酸素飽和度測定から、奇跡が始まっていたのだ。
診察前の酸素飽和度測定では、だいたい96~97%ぐらいを記録していた私。しかし、この日は「100」の表示が出た。え?100?マジで?なんで?私、健康?機械が壊れてる?いや、機械は正常じゃね?とたくさんの「?」を頭の中に浮かべながら、診察を待つのであった。

血液絶好調!?

こうして、診察室に呼ばれて、先ほどのCT画像の話になるのであるが、そのあと、血液検査の結果を見ながら、先生といつものように主な数値を確認していくのである。

腫瘍マーカーの値は基準値内で問題ない。
白血球数も基準値内。
ヘモグロビンも11.0で問題ない。
分葉核球も少し低いけど問題ない。
好中球も1410と上がってる。

「すごっ!でも、なんで?・・・ですか???」
数値を見終わった私の感想がそれだった。だって、あれだけ低かった白血球数の数値が正常値の下限値とぴったり一緒なのである。
心当たりが何もなければ、特にこれといって体調の変化も感じない。むしろ最近散歩不足で圧倒的に運動量が足りてないなと思っていて・・・。
一瞬健康に戻ったのか!?と勘違いするぐらい優秀な値に小躍りしそうになったが、違う。今の薬の効果が出ているだけなのだ。ただそれだけのことなのだが、それで十分。副作用の下痢や吐き気をコントロールできれば、何事もなく生きていけるのだから。感謝。

撮った。

今年の初詣の時に、熊本城天守閣の隣にある「加藤神社」へ行った。その時に一緒に行ってた姪っ子が見つけて、
「これ買おうよ!買った方がいいって!」
と、ぐいぐい私に勧めてきたのだ。

お守りは、確か最初の全摘出手術をする時に友達からもらったぐらいで、もともと自分ではこういうお守りの類は進んで買うことはなかった。よほど「かわいい」とか惹かれる何かがなければ、ほぼ買うことはない。っていうか、「かわいい」基準でお守り買うなよって話なんですけどね。

でもこの日は何故か姪っ子がぐいぐい勧めてくる。まあ、一年ぐらい持っておくかと、姪っ子の押しに負けて購入。うわの空さんの「KUSURI」ポーチの中にそっと入れた。
ちなみに、この後、同じぐらいのテンションで出店屋台のリンゴ飴が欲しいとぐいぐい攻められたのは言うまでもない。

薬の効果が少しでも長く続きますように。


追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら先月分もご覧ください。

いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。