病気の一枚 23
2021年5月の私です。
本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。
私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、このごろ少し思うようになってきました。
特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。
2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法も始まった。
そして、2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしており、腕を休ませながらの勤務。今は本格的に仕事復帰している。
仕事は本格的に復帰して、約半年。どうにかこうにか、毎日乗り越えている感じである。
右腕のお話。
右脇の下のリンパ節切除をしたので、軽いリンパ浮腫を起こしている。そう、右腕が左腕よりも浮腫んでいるのである。ほんのわずかだが・・・。その、ほんのわずか、といっても、しんどい、つらい。
まだ感覚麻痺しているうえに、ちょっと調子に乗って、腕をたくさん使うと腕のつけ根辺りが太いゴムバンドでぎゅっと締めつけられる感覚に襲われる。最近は二の腕部分が重たく感じることもある。
腕を休めるのが一番の薬らしいので、職場では腕枕を机の上に置いて、休めながら作業をしている。心臓より少し高い位置で休ませた方がいいらしい。家で寝る時も、腕枕をして、腕を少し高めに置いて休ませている。
いま、リンパ浮腫で困っていること。重たい荷物が持てないのも困っているが、鉛筆で字をずっと書き続けるという動作がきつい。いや、でも、それは浮腫だけでなく、指先のしびれもまだ残っているからかなあ・・・。指先のしびれは抗がん剤の影響なんだとか。パソコンで文字を打っている方がまだいいのである。うん、厄介な腕になったもんだ。
手術痕のお話
私は右胸を全摘出したので、右の脇の下から胸の中心に向かって、手術痕がある。そう、刀傷とは、このことを言うのだろうか?と思うような手術痕だ。
そういえば入院中に出会ったある乳がん仲間が話していた。この手術痕は「勲章」だと。その方は、乳がんで全摘出すると分かってから、ある目標を決めたのだそう。
「治療が終わったら、この身体で温泉の大浴場に入る!」
「え?傷大きいよ?他の人にとっては衝撃映像だよ~」
「ううん。だって『勲章』みたいでかっこいいじゃないっすか!」
そっか・・・。まあ、治療を乗り越えた証ではあるし・・・。
そう言う私は、乳がん用のバスタイムカバーを買っちゃったけど・・・。
そして、その手術痕の辺りや右脇の下は、感覚麻痺していたのだが、最近ちょっと感覚が戻ってきているのか、手でそっと触っても、触っている感覚が少し分かるようになった。とは言っても、まだほんのわずかな感覚だが。
撮った!
5月に入って、久しぶりに会った人や初めて会う人から、
「天パ?」
と聞かれることが増えてきた。いや、元の髪はストレートで、最後の抗がん剤治療が終わって5月で丸一年経ったら、こんな髪が生えてきた。
ちなみに、抗がん剤治療が終わって2ヶ月後の頭はこちら。
この上の写真と、この記事のヘッダー写真を見比べてほしい。髪の毛はこんなに生えてくるのだ。髪の毛だけではなく、まつ毛も眉毛も鼻毛も腕の毛も下の毛も・・・。
生え方は、以前より薄かったり、髪の毛みたいにくるんくるんのくせ毛だったりする。髪の毛なんて、鳥の巣みたいになってきていて、毎朝鏡を見ては、つばめの巣じゃなくて、すずめの巣だな、これは・・・なんて思っている。でも、それでもいい。坊主時代も好きだったが、この鳥の巣時代も悪くないかな。
抗がん剤治療が終わって、丸一年経ちました。
追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったら22もご覧ください。
いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、現在に至ります。
記事を書くための栄養源にします(^^;)