眼鏡の一枚
苦い思い出はいつまでも心に残るわけであって。
まだ、私が小学校中学年だった頃。
ちょうど夏休みでおじいちゃんちに帰省していた。今は「帰省」と書いて「はたらく」と読む、なんて説いて回っているが、当時は「帰省」と書いて「あそぶ」だった。
帰省している間は、父がいろんなところに連れて行ってくれた。おじいちゃんちは、熊本だったので、天草の海を堪能したり、阿蘇の雄大な自然を堪能したり、いろんな経験をさせてくれた。また、食にこだわる父は行った先々で、最高に美味しいモノはもちろん、今まで食べたことがないモノも「経験」と称して食べさせてくれた。
そんなある日、父が、私と、私と歳が少し離れた妹を連れて、熊本市内にある江津湖へ車を走らせた。この湖は熊本市街地から少し離れたところにあり、湖の隣には、熊本市動植物園がある。大人も子供も癒される場所だ。
「ボート、乗るか?」
父が湖に向かう車の中で、私たち姉妹にそう投げかけた。普段口数が少ない父が子供に遊びを投げかける時は、機嫌がいい。そしてその言葉の裏には、「絶対楽しいこと間違いないから行ってこい」という余計な圧も含まれている。いや、お父さんは楽しいかもしれんよ?私にとっては楽しくないかもしうれんよ?でも、ここは黙って「うん、行く」と言うしかないのである。
ボート乗り場に着くと、もうすでに何槽かのボートが湖に浮かんでいた。白鳥の形をした足漕ぎボート、手で漕ぐシンプルなボート、いろんなボートが湖に浮かんでいる。
駐車場に車を停めて、ボート乗り場へと向かう。少々人見知りの妹は、私と手をつないでいる。
早足で先に着いた父が、ボート乗り場で何やら乗り場のおじさんと話している。だが、ちょっと穏やかではない。どうしたどうした?事件?事故?いや、この場合、事故はないか。
「おい、あのな、足漕ぎはな、ぜんぶ出払っとうって」
汗を拭きながら、父は話を続ける。
「やけん、手漕ぎしかないけど、どうすっか?」
「じゃあ、それに乗る」
「乗る、やね。じゃあ、手漕ぎに子供二人で」
ここで、乗らないという選択肢はなかった。「やらない、できない、は、言わせない」が父の方針。嫌なこともたくさんあったが、大人になった今、役に立っていることは山ほどある。
父から、ボート代を受け取ったボート乗り場のおじさんは「手漕ぎに子供二人で」と言われて、私たち姉妹を見下ろす。
「漕ぎ方分からんかったら、おじさんに習いなっせ」
いや、それはもちろんなのだが。
「じゃあ、こっちにおいで」
おじさんが私たち二人をボート乗り場へと連れて行く。妹が振り返って父に声をかける。
「いってくるねー」
「気をつけれよー。俺は終わった頃に迎えにくるからな」
出た!待ち時間の父のコーヒータイム!父は私たち二人を送り出し、車でどこかへ行ってしまった。
さて、放り出された私たち姉妹は、ボート乗り場のおじさんに、手漕ぎボートの漕ぎ方を習って、いざ湖へ。
ひと漕ぎ。ふた漕ぎ。さん漕・・・・・・。
あっ!!!
手漕ぎボートのオールの先がガツンと顔に当たり、その次の瞬間、かけていた眼鏡が空を舞った。
ぽちゃ。
眼鏡が落ちた。湖に落ちた。手を伸ばしたけど、届かなかった。落ちた眼鏡はあっという間に見えなくなってしまった。
「お姉ちゃん、めがね・・・」
分かっとる。眼鏡が落ちた。湖に落ちた。手を伸ばしたけど、届かなかった。落ちた眼鏡はあっという間に見えなくなってしまった。
「お、おねえちゃん・・・?」
妹が心配そうな顔をする。そりゃ当然だ。でもその時の私は、動揺を妹に見せまいと、強気な態度を見せた。
「眼鏡はあとで乗り場のおじさんに見てもらおう。とりあえず行こ」
いま考えたら、時間を置かずに、おじさんに知らせて現場を見てもらえばよかったのかもしれないなと思った。まあ、それでも湖が深いので救出できなかったとは思うが。
でも、そこまで頭が回らなかった。
目の前には「心配」の2文字が顔に全面に出ている妹がいる。まず妹の不安をなくさないと泣きそうだ。とにかくその不安を拭うのに必死だった。必死にボートを漕いで、そのうち妹の表情も晴れて、ボートは楽しいものだと感じるようになってくれたであろう頃、終了時間がやってきた。
ボートをなんとか乗り場に付けて、ボートから降りた。父の車はまだ駐車場にはない。おじさんに事の経緯を急いで説明する。
「眼鏡ねぇ・・・湖の水を抜くわけにいかんもんなぁ・・・」
おじさんは、そう言いながらもいちおう湖の底まで届きそうな長い棒を手にした。
そこへ父が現れた。妹が父の元へ駆け寄ってこう言った。
「お父さん!お姉ちゃんの眼鏡が落ちた!」
「落ちた!?どこに?」
「あのへん!」
そう言って妹が指さした先に、バツが悪そうに立っている私と、長い棒を持っているおじさんの姿があった。
「お前、眼鏡ば落としたとか?」
「うん」
「どこに落としたとか?」
「あの辺。ボートに乗って3回ぐらい漕いだら、漕いでる棒が顔にぶつかって眼鏡が外れて落ちた」
「なんで、早よ、おじさんに言わんかったとか!?」
「・・・・・・ごめんなさい」
父は湖の「あの辺」を見た。どう考えても、おじさんが持っている棒でも救出は難しい。何かを悟った父はこう言った。
「今から眼鏡買いに行くぞ」
「ごめんなさい」
「落ちてしまったもんは仕方んなか」
私たち親子は乗り場のおじさんに挨拶をして、眼鏡を買いに街へと繰り出したのであった。
撮った。
数十年ぶりに、現場を訪れた。
結局あの後、街で合流した母にさんざん怒られ、なんでもっと早くおじさんに言わなかったのとか、あんたのボートの漕ぎ方が悪いとか、オールを動かすのに、力いっぱい漕いだっちゃないと?そげん力ば入れんでもボートは動くとたいとか、さんざん言われた。いろいろ反論したかったが、視力が0.1しかなかった私に最速で眼鏡を買ってもらった手前、結局何も言えず、自分も湖の底に沈んでいっていた。
すっかり長くなりましたが、そんな眼鏡の思い出話、でした。
苦い思い出はいつまでも心に残るわけであって。