希死念慮
「希死念慮」私はいつも死にたい気持ちと戦っている。
命を粗末にするな。生きたくても生きられない人もいる。
それはわかっています。
私も大好きな人を何人も失ったから…。
そんな時「何故私じゃなかったのだろう?」「あげられるなら私の命あげたい」そう考えてしまうのです。
遺された人の気持ちだってわかります。私も遺された人間なので。
私の体は傷だらけです。所謂自傷行為によるもの。
人を傷つけたり、人に傷つけられたり、心が痛かった時にその痛みを体の痛みに置き換えるため、そして人を傷つけたことに対する戒めのために血を流してきました。
自殺未遂も何度もあります。薬の大量摂取は数え切れないほど。余程運良く?ないと死ねないのはわかりました。
首吊りもあります。大抵は場所が悪く嗚咽で失敗しました。
ある日私はいい方法を見つけました。
方法は書きません。でも絞める場所のポイントさえ掴めば確実だと思います。
その方法も実は何度か失敗しています。
苦しさに耐えきれなくなってやめたり、何十分経っても意識がなくなることがない様子で「こりゃ失敗だ」と。
何故そんなことをするのか?
それは根本にうつ病という病気があります。
良くなったり、悪くなったり。一日のうちでも変動があり、自分でも正直疲れます。
普段の私を知っている方なら「本当にうつ病なの?」と思うでしょうし、ましてまさか自殺未遂なんてと思うでしょう。
私は元気な自分を演じているのです。周りに合わせて。
毎日が闇に包まれているわけではありません。楽しいことだってもちろんあります。
でもそんな楽しいことのあとのちょっとした出来事で糸が切れたかのようにプツリと「あ、死にたい」と思ってしまうのです。
そういう時は大抵は寝逃げします。強制的にシャットダウンです。
それでも時には逃げきれずに衝動的に…
OTO-1の2周年イベント。行きたかった。でもどうしても行けない事由がありました。本当に些細なことなのに。
そしてあの日私は死にました。
あの日は衝動的というよりは初めて遺書とも遺言とも言えない手紙を書き、眠剤を少し多めに飲み、いつものように首を絞め…
最初はやはり場所が悪かったのか仕切り直し。
そして再度チャレンジ。苦しいのに、意識が飛ぶわけでもなく。
結局いつも通りの死に損ないなのです。ダサっ。
顔はパンパンに腫れ上がり、目は完全に開かないほど浮腫んでいました。
そして今も首には赤い線がくっきりと…
誰にでも大なり小なり悩みはあるでしょう。
恋のこと。金銭的なこと。仕事のこと。病気のこと。交友関係のこと。過去にあったトラウマシーン。
私は考えすぎるとしまい込んでいたものが雪崩のように一気に流れ出すのです。
それから私は人に対して共感力が強く、人の悩みも自分が背負い込んでしまう節があり、その人の痛みも自分の痛みになってしまうのです。
自分のことすらまともにできない人間が何言ってるんだ(笑)って感じですが。
普通の人から見たら「甘え」「逃げ」でしかないのかも知れません。
でも私にとってはとても生きづらいのです。もっと気楽に生きられたら…
自分を傷つけちゃいけない。薬を飲みすぎてはいけない。
そう言われたりしますが、逃げ道がないとダメなのです。
それは別な方法を見つけてしまうから。
それが「自殺」なのです。
なんでこんなことを書いたのか?
自分が楽になりたかったからなのか、次に進むための心の整理なのか…何故かはよく分かりません。なんとなく思うままを綴ってみました。
「死ぬな。生きていれば必ずいいことはある。」
そういったメッセージはいつも音楽から頂いています。
「人にどう思われたっていい。自分は自分。」
それも分かっているんです。
でもちょっとした脳のエラーでこんなことをしてしまう人もいるということを心の片隅に置いておいて頂けたら…
最後に私から一つだけ言わせてください。
「いのちだいじに」
説得力ゼロですね。でもかけがえのない命なのです。
長文読んでくださってありがとうございました。