トシちゃんという芸術
オフィシャルモバイルの会員向けに、2024年になって動画配信された新年の挨拶を見て、安心した。最近、メディアでの取り上げられ方が良い方向に変わってきて、慢心してもおかしくないのが人間。そんな時期、「いつも通りが大切なんです。この普通の日々が送れる幸せ。」と発信するトシちゃんの心持ちが、当たり前に嬉しかった。変わった方がいいところと、変わらない方がいいところを、しっかり区別できているんだなぁと、改めて尊敬する。
優れた芸術は、人からどう評価されるかに関わらず、自分の目標を掲げて、いつまでも高めて行こうとする魂にあると思う。トシちゃんのライブでは、闘って動いている瞬間瞬間の全てが、大げさでなく、芸術そのものだと感じる。観客を飽きさせないよう、常に変化を求め、肉体の限界をかけ、さまざまな工夫を凝らして、ステージを向上させている。だから、トシちゃんの最新パフォーマンスを観る度に、最高の芸術に出会えているような感覚がある。また、今もまだ結果ではなく、あくまでも過程である。
転じて、作品として最終完成形のある映画の場合はどうだろう。例えば、宮崎駿監督の作品。日本を代表する、世界に誇るべき名監督である。全作品を観ている訳ではないのだが、かなり観た作品中、私が最も好きな作品は、『千と千尋の神隠し』でも『ハウルの動く城』でもなく、初期の『ルパン三世カリオストロの城』。このことに共感を得られないかもしれないが、個人的な見解では、莫大な予算があり、大きく話題になった作品よりも、たくさんの思いが詰め込まれ、必死に丁寧に作成され、ぎゅっと中身が凝縮している作品に、最も心を動かされる。この理論は、黒澤明監督にも当てはまる。まだ観ていない『君たちはどう生きるか』が、今年度のゴールデングローブ賞アニメ映画賞を受賞したとのこと。監督の最終段階に来て、最高傑作を生み出した可能性はあるが。とにかく、形のある芸術は、結果が全てであり、周辺環境が整っていることよりも、深い思想や強い情熱を込めた制作者の魂が、作品の細部まで行き届くかどうかにかかっていると思う。
監督の芸術魂は、たぶん、時期によって変わっていないのだろうけれど、周りが変わるので、自然とその影響を受けざるを得ない。誰だって、お金をかけられればそれに越したことはないし、1度名声を得てしまうと、内容に関係なく、周りが持ち上げたりもする。大御所の作品なら間違いないと、いつの間にか、バイアスをかけた見方をしているかもしれない。そういうことを、トシちゃんにおいて、私は恐れているのだ。いつの間にか、トシちゃんの「死ぬ気」の精神が薄れないだろうか。周りのスタッフが慣れ過ぎてしまわないだろうか。私たちファミリーが何でもOKと甘やかしてしまわないだろうか。
しかし、新年のトシちゃんのコメントを見る限り、私の心配は杞憂だった。昨年末や新年のTV番組の新しい映像では、さらに進化しているトシちゃんに会えた。少しも手を抜かない切れ味でいて、自信に満ちた、余裕と貫禄のパフォーマンス。終わった後の笑顔には、純粋な達成感が表れていた。自然災害や事故・事件で、落ち込みがちだった時、明るい気持ちにしてくれた。
新年第1弾の「田原トシちゃんねる!」では、ディナーショーの裏側と、ショーのごく一部を見ることもできた。まだ行ったことのない、憧れのDS。そこでも、トシちゃんは、新鮮さを保っていた。35年超も続けているDSなのに、今も最高の瞬間を作ろうと努力している姿が映り込む。誰かを頼ることなく、演出を含めた空間作りを、自身でコントロール。最高のステージを作ろうとするエネルギーが枯渇しないこと自体、本当に凄いと思う。
前にもブログに登場させたことのある宇宿允人という指揮者について、没後のYouTube動画を観て、改めて感じたこと。芸術は、その人の人生が全て乗っかって、さらなる高みへと導かれる。だから、宇宿氏の場合、体力的にはキツい晩年に行けば行くほど、充実した演奏会になっている。集まっている演奏者の技術力や、本人の体力に関わらず、魂の込め方の問題なのではないかと思う。膵臓がんに冒され、「今回が最後の演奏会になるかもしれない。」と言いながら続けていた芸術空間は、集う演奏者と観客のエネルギーもまとい、最期にきて最高潮となった。予定していたコンサート直前に亡くなり、開催されなかったサントリーホールでの「宇宿允人の世界」第187回の代表演目は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。生への挑戦となる激しい楽曲だったことが、宇宿の飽くなき魂を物語る。
トシちゃんが、今の情熱を持ち続けてくれる限り、どんなに体力が衰えても、その芸術は、高まり続けるのだろう。トシちゃんの生き様が巷に浸透してきたと感じる今日この頃、最後の願いは、後世まで語り継がれるような、形ある作品を残してもらうことだ。
トシちゃんの年間スケジュールは、ずっと決まっているようである。まず、2月にバースデイイベント。4,5月頃のファンとの旅行、6月の新曲発売イベント。その前後の新曲宣伝活動。夏から冬にかけて全国ツアー。10月4日のTOSHIの日イベント。12月のディナーショー。トシちゃんが新年早々語った通り、今までのルーティンをしっかりこなしていくことこそ重要なことはわかる。しかしながら、私は何だかもったいないと感じている。ファミリーだけのトシちゃんに留まらず、世の中全体に幸せを与えるぐらい、強力なパワーあるエンターテイナーだと、思っているからだ。
また、トシちゃんの芸術は動く過程なので、最高値を更新している今こそ、ひとつの作品として、結果も残せたら最高だ。より広いオーディエンスに目を向けた最高級の芸術作品にするために適したジャンルは、ミュージカル映画ではないだろうか。「Shall we ダンス?」以外、日本発信でミュージカル映画の傑作は生まれていないような。突然踊り出すシュチュエーションが、日本人には馴染まないのかもしれない。そんな中、いつも歌って踊ってきた、スター感のあるトシちゃんなら、全く違和感なく、ミュージカルの世界に観客を誘うことができる。一世を風靡したスターが落ちぶれて、また復活を遂げるというような題材(アカデミー賞を受賞した映画「アーティスト」のような)なら、トシちゃんの生き様が重なって、ますます感情移入できるかもしれない。若い頃のパワフルな映像がたくさん残っているから、権利関係は不明だが、過去シーンに使えそうだ。スターの復活劇は、何かと落ち込みがちな今の世の中を、元気づけることができるだろう。
トシちゃんのような独立しているタレントを、ミュージカル映画の主役に据えるのは、ハードルが高いのかもしれない。だが、もし万が一、このnoteを読んでくれた制作関係者や、バックアップできる企業関係者の方がいらしたなら、考え直して欲しい。トシちゃんを全く知らない世代がYouTubeの過去動画を確認したら、その人気の凄まじさに驚くだろう。トシちゃんは元々、旧ジャニーズ事務所のトップアイドルとして、主演ドラマや主演映画、主演ミュージカルをヒットさせた実績がある。座長としての責任感や度胸があり、スタッフを巻き込んでいいものを作ろうとするエネルギーがある。さまざまな忖度・圧力で目立ってこなかったが、長年、観客を魅了し続けてきた実力もある。もっともっと、表に出るべき大スターなのだ。
トシちゃんという芸術の道のりは、死ぬまで続いていくに違いない。ますます影響力が増している足跡を、形に残して欲しいと願う。数年前までは、闇雲に思われた私の思いが、最近は、実現する気しかない。トシちゃん自身が語っていた通り、勝負はこれからだ。