玄人受けするトシちゃん
トシちゃんが古巣をも慮る優しい人なので、被害者の方々を救済した上、旧ジャニーズ事務所にも立ち直って欲しい。だが、これからも混迷を極めることが想像され、何だか悲しくなる。
30年も前にジャニーズ事務所を辞めているトシちゃんの応援団としては、世の汚れた側面から意図的に距離を置き、トシちゃんの清廉な芸の世界を、何があろうとも守りたい気持ちだ。辞めて早々に、今のような潮目が来るよりは、自分の実力だけで、あらゆる圧力や忖度を排して復活した今だったことは、とにもかくにも、誇りに思える。今後、何も知らなかった人々に、トシちゃんの気骨ある歩みが、驚きをもって伝わると信じたい。
トシちゃんは伝説になるスター。計算してこうなるようなスター街道ではない。紆余曲折あったけれど、元々持っている運と、たゆまぬ努力と、時代の空気等々、さまざまな要素が重なって、これまでの道筋が出来ている。そう思うと、今までの全てが、伝説となるための必然だったのかもしれない。
東京ドームシティホールでのライブに、今年度ツアー2度目の参戦が叶った。(後で、ちょっとだけネタバレあり。)眠れないようなウキウキ感で臨んだ今回。流れを把握していた分、落ち着いて凝視できた。全ての瞬間が見せ場になっている、圧巻のパフォーマンス。完成度の高さ、思いの込め方の深さ、進行の安定感などのあらゆる点で、あっさりと最高を更新した。
ジャニーズ事務所のレッスンに通っていた頃、練習生の最後列から、数ヶ月でセンターになったと、以前話していた。センターになるために生まれてきた人だと思う。トシちゃんのダンスには、他の人には無い何かがある。指先まで神経の行き届いた、無駄の一切ない美しい動き。どうしようもなく目を奪われる。センターにいない時でも、確実に目を引く動きをしている。言葉で表すのは本当に難しいことだが、トシちゃんの「俺を見ろ!」という精神と、歌って踊れる喜びが、自然と強い磁場となっているのだろうか。
最近、過去の歌謡大賞や芸能人運動会での忖度、他事務所タレントへの圧力等について、あれこれ言う人がいる。昔のこと過ぎて、誇張、勘違い、誤りも含まれる。レッツゴーヤング時代、ジャニーズ事務所の圧力で、トシちゃん以外が消されていった的な発言を見かけたけれど、断固否定する。
当時、少しずつ人気が出てきていたかもしれないが、まだ事務所にそこまで強い力があったと思えない。また、あの頃のトシちゃんは、今のような実力はなかったけれど、圧倒的な華があり、断トツ人気だった。他の歌手が歌っている最中でも、端っこにトシちゃんが現れただけで歓声が上がり、歌が聞こえなくなるほど。いつも人を引きつけるパフォーマンスをして、ファンを喜ばせていた。
例えば、シルクハットを被り、男女それぞれ5人のサンデーズ全員で歌って踊る時、カーテンコールで、シルクハットを手前にクルリと一回転させリズミカルに被る仕草をひとりだけするなど。まだ新人なのに、堂々たる主役っぷり。最近になって見返してみても、リズム感が断トツにいい。身体の線や手の仕草が美しく、心から楽しそうに踊るトシちゃんが、瞬く間にスター街道を駆け上がり、すぐにサブ司会へ昇格したのに何の不思議もない。
そして今、トシちゃんの長年の努力が実り、他の追随を許さない、完璧な華として君臨。当時の私達に、玄人並みの見る目があったことを、実証してくれた。最近、世の中も、やっと、トシちゃんの真価に気づき始めている。私が応援を始めた2019年3月頃より、明らかに注目度が増している。小学館のトシちゃんプロジェクトしかり、文筆家によるライブレポートしかり。トシちゃんについて、リスペクトをもって正当に評価する言論が増えたと実感している。
昔から、トシちゃんは玄人受けしてきたとも思う。古いトシちゃん情報をTwitterにあげてくださるファミリーの方がいらして、いろいろな雑誌記事を、最近読んだ。モデルの山口小夜子さん、マンガ家の竹宮惠子さんなど、有名どころがファンを公言してくださっていた。阿久悠氏は、トシちゃんを気に入って、自分の原作映画で主役に抜擢した。萩原健一さんがトシちゃんとの共演を望んで追っかけてきた話も、ファミリーには有名。加賀まりこさんが夜ヒットで、「上岡龍太郎さんが褒めてたわよ」と言っていたことも覚えている。実力より人気が先行していた時期でも、玄人の眼力は、トシちゃんの優れた資質を見抜いていたのだろう。
マイケル・ジャクソンの振付師のアシスタントを務めたことがあるTony Tee(七類誠一郎)という有名なダンサーの方が、トシちゃんのライブプロデュースをしてくれた際、とびきりの賛辞を送ってくれている。その言葉に、「これだ!」と、膝を打つ思いだった。引用させていただきたい。
TOSHIのダンスには心がある。魂がある。ダンサーというのは、どうしてもテクニックに走ってしまい、もっとも大切な"心"を忘れてしまう。彼が第一線の黒人と並んで踊っても引けを取らない秘密は、この"心"だ。
TOSHIは、世阿弥でいう"華"を持ってるね。生まれ持ったものか後天的なものかはわからないけれど、彼がステージに立ちマイクを持った瞬間に、周りの空気が確かに変わる。そして、一種独特の彼の世界を作ってしまう。
(DOUBLE T ・90年ツアーのプログラムより)
私の言いたかったこと全てが、明確に表現されていた。やはり、玄人には、トシちゃんの唯一無二の魅力が、しっかり理解されていたのだ。そして今も、トシちゃんは、その魅力を守り続けている。今回のライブに、編曲家の船山基紀さん、作詞家の松井五郎さん、作曲家の都志見隆さんが勢揃い。玄人である大御所の面々に、今も支持されていることがわかる。坂本冬美さんと石原詢子さんがライブに駆けつけてくださっていたことからも、歌の上手い演歌界の玄人に認められる大スターと、確認できた。
私はクラシックも好きで、さまざまな演奏家や指揮者のコンサートに足を運んでいた。有名で素晴らしい芸術家はたくさんいたけれど、クラシック業界から離れて、個人的に活動していた、孤高の存在感を放つ芸術家にも出会った。宇宿允人(うすきまさと)。実力ある指揮者だったが、芸にこだわるあまり、音楽界から離れた時期があった。請われて再び指揮棒を持ってからは、他の団体に所属しながらも宇宿を慕って集まる演奏者達とともに、宇宿ならではの音を表現するためだけの厳しい直前リハーサルをして、「宇宿允人の世界」という演奏会を実現させる、独自のスタイルを貫いた。
宇宿氏のタクトによれば、全ての楽曲がなぜか違ったものになり、いつも必ず鳥肌が立ち、涙が出た。理由は、はっきりわからなかった。クラシック界の主流ではなかったが、本物の芸術家だった。大勢のファンに支えられ、利潤を求めず、手弁当でタクトを振り続けておられた。全ては、真の芸術のため。演奏直後の晴れやかで柔和な笑顔に、毎回、神さまを見るような気がしたものだった。ウルトラマンのような風貌の、不思議なカリスマだった。(残念ながら、既に他界されている。)
どのような芸術界にも、たいてい主流となる団体があり、権威を持っている。その権威という支えがあるからこそ成り立つ芸術もある。そこから離れ、心から応援されて活動を続けられるような芸術家はひと握りだし、後世になってやっと評価されるケースも多々ある。目の肥えた玄人が、パトロンとなって支えなければ、優れた芸術は存続できない。
トシちゃんの再評価が高まって、また第一線で活躍して欲しい気持ちもあるけれど、今のまま、コアなファンに支えられる温かなライブ環境で、思う存分に力を発揮してもらえるのが、最も幸せな道なのかもしれない。個人的には、主演ミュージカル映画だったら、今からでもやって欲しい。世界中をハッピーにするような、永遠に残る作品が、日本発信で出来そうな。
私が今回のライブで、自然と涙が頬を伝った楽曲が2つあった。ひとつは、「哀愁ダイアリー」。このB面ナンバーをヘッドホンで聞きながら、トシちゃんへの叶わない恋心を持て余していた、懐かしい思い出が蘇ったから。もうひとつは、「Cordially」。トシちゃんが上京して夢を叶え、さらに努力して歌い踊り続けている姿が重なったから。ギターの江口さんがライブ中、絶賛してくださったように、音をのばすバラードの歌唱は、さらに魅力が深まっている。
トシちゃんの歌は、心に響く。トシちゃんという存在の全てに、心があり、魂があり、華がある。代わりは誰にもできない。このような孤高の芸術家は、存在すること自体が難しい。だが、今のようなライブ活動が可能な限り、コアな玄人ファンは、ずっとついていくだろう。
長生きしている親の介護に疲れた時、自分はそこそこでいいと思っていたが、最近、トシちゃんを観ながら、楽しく長生きしたくなってきた。トシちゃんも、「ずっとステージに立っていたい。だから、僕より先に死なないで。」と話していた。私からは、トシちゃんの健康な心と身体を祈るばかりだ。
今回のライブに、夫も再び参戦。誘ったらすぐにOKしたところを見ると、ハマってきているのではないだろうか。前回ほど多くを語らなかったが、ひとことつぶやいた「本当にトシちゃん、元気だなぁ。」に、敬意が含まれていた。以前よりも、私の熱い思いを嫌がらずに聞く姿勢があるので、いい傾向であることは間違いない。ライブ直後、拡散祭りのYouTubeだけでなく、ライブの裏側を見せる「田原トシちゃんねる!」も一緒に観てくれた。夫が、玄人集団であるファミリーに加わる日は近い。
「104 THE NIGHT生放送配信スペシャル」での最後のトシちゃんからのメッセージ。日々それなりに奮闘している今の心境をわかってくれていて、私ひとりだけに、直接、目を見て話しているかのように感じて、泣けた。トシちゃんの言葉の威力たるや!存在自体が尊い。