【舞浜戦記第2章】お祭り男が僕を呼んだ理由【後編】スプラッシュ・マウンテン053
前回のお話。
トレーナーは、必ずトレーナークラスという研修を受ける。
これは現場のトレーニングではなく、オリエンタルランドの本社で受講する研修だ。
その中で、トレーナーという役職がなぜ誕生したのかを教えてくれる。
昔々、本国のディズニーランドでは、新人キャストが入ると業務内容を教えるのは責任者の役割だった。
責任者であるリードは、自分の仕事の合間に教えるわけだが、空いた時間で教えるので、しょっちゅうトレーニングが中断してしまう。
そこで、トレーニングに特化した役職を作った。
それがトレーナーというわけだ。
だったら当然の如く、彼らは優秀であるべきだ。
だが、しかし…
★
「あっくんさんはまだトレーナーにならないんですか?」
これは毎度の質問だ。
ヌマさんは僕に会うたびに、この質問をしてくる。
僕の返しも毎度同じだ。
「いやー、無理でしょう」
(うちのリードは僕を信頼していないから無理ですね)
そう言いたくなるが、我慢。
ヌマさんの次の返しもいつもどおり。
「立候補すればいいじゃないですか。S田さんも自分で志願したんだし。なれますよ」
「うーん、そうですね」
「スプラッシュに来てから何年ですか」
「もう4年ですかね」
「じゃあ、もういい加減なってもいいでしょう」
ヌマさんはにこやかに言った。
僕と同じく、マークトウェイン号からスプラッシュに異動してきたS田さんは、自分からトレーナーになりたいと立候補して昇格した。
トレーナーは自分から志願し、リード達が認めればなれるのだ。
しかし僕は、自分から立候補する気にはなれなかった。もしすればなおさら責任は重い。自ら志望してプレッシャーに耐えられる自信がなかったからだと思う。
僕は、トレーナーのような役職は、周りが認めたからなるものだと考えていた。
自分が自分が、じゃなくて周りがあの人なら任せてもいいよね、と言うような存在。
そうでなきゃ、周りだって言う事を聞いてはくれないだろうし、後をついていこうとも思わないだろう。
そんな風に考えていた。
スプラッシュ・マウンテンが始まってから当初の、ほぼ社員で構成されたトレーナー陣は例外としても、その後に続くトレーナーの面々は、正直お手本にしたい人はほとんどいなかった。
キャストとしての適性やリーダーシップ、周囲からの信頼度、勤務態度。
あらゆる面から、尊敬できる人はいなかった。
「いい人」は多い。
「面白い人」もいる。
「古い人」も少なくない。
だが実態は、ほとんどが「リードと仲がいい」人だ。
スプラッシュに来る以前からリードとなかよしだった人。一緒に旅行に行くほど仲がよかった人が、後からやって来てトレーナーになる。
トレーナーになる人って、リードのお気に入りってことか。
この実態に気づいてしまってからは、トレーナーなんてどうでもよくなっていたのだ。
僕はリードと仲良くはなれないだろう。努力したことはないが。
もし今「トレーナーになりたい」なんて言ったら、それはリードとなかよしになりたいと言っているのと同義なのだ。
「(今度の新トレーナーの)〇〇さんって、リードのKさんと仲良いよね」
「AさんとかKさんでしょ。あの辺は前のロケーションから一緒だったからね」
スプラッシュに来る前に同じアトラクションで勤務していたリードとトレーナーの仲良しグループがいた。
「今度あの人達、一緒にスキー行くらしいよ」
「やっぱね。それであの人が(トレーナーに)選ばれたんじゃないの」
「だよね」
そんな噂がキャスト間で飛び交う。
ああ、アホらしい。
そんな連中と同列になりたいだなんて。
だから僕は、ヌマさんの毎度の質問にも、ちゃんと答えられなかったのだ。
使えない僕に別れを告げた日
1996年。
季節は春を過ぎた、ある日。
シゲ坊は遅番の朝礼で、ウケを狙ってボケをかます。
「今日は激混み、7万人予想です。スプラッシュは現在3日待ち。これから来園する方には帰ってもらって下さい」
みんなの笑いを誘う。
手順変更や本日の注意点を伝え、それから今日の外浮きの布陣について。
「今日は使えない奴で組んだんでよろしく!」
僕、かな。いや、こんな混雑日はないだろう。
彼は、超混雑日には僕を外浮きにはしない。もっと信頼しているメンツで固めるはずだ。
ローテーションシートを見ると、なんと僕の名前があった。
珍しいな。
普段シゲ坊がローテーションを組む時は、僕はほぼ確実に外浮きから外される。
リードにはそれぞれお気に入りのキャストがいる。このリードがポジションを決めると、この人とこの人が組まされる、といったパターンがある。
僕は彼の決める布陣からはほぼ外されていた。たまに僕を外浮きにする時は、他に誰も適任者がいない時だ。
もちろん記録を取ったわけではないので単なる感覚ではあるが、毎日やっていれば何となくの傾向は分かるものだ。
ここからも、彼が僕を信頼していないのは明らかだ。まあそんなものだろう。
彼は普段からかなり皮肉っぽい冗談を好んでぶちかます。
上司をおちょくったツッコミや、ゲストをネタにしたきわどいトークが十八番だ。
それがキャストのみんなには大ウケした。
それは聞き慣れない者には過激に聞こえるだろう(もちろん彼の性格を知らない人がいる場面では言わない。ここらへんの人と場を選ぶところは抜群にうまい)。
まあいつもの冗談だよな、と言うくらいで誰も気にしていなかっただろう。
「使えねえな、お前はよぉ!」
僕に対してはいつもの定番ネタだ。
なにかと言うと使えないな!と突っ込んでくる。
やれやれ。
ため息をつきながら、僕は外に出ていった。
正直、僕は彼をうとましく思っていた。
あんな奴、どうでもいい。リードだから、上司だから従っているだけで。
そうじゃなかったら、相手にもしないだろう。
「キンちゃんは大丈夫だから」
前編の冒頭に話を戻す。
そんなだから、僕はてっきり何かやらかしたかな、とちょっと心配になりつつも彼について行った。
グランマサラのキッチンを通り過ぎ、坂を下っていく。
ゲストが行き交うクリッターカントリーの入口近くまで来ると、少しひらけた場所があった。そこで立ち話。
ニコニコするシゲ坊が口を開く。
「決まったからさ、よろしくな」
ん?
「何?」
僕はまるで分からない。
「決まったから」
「だから何が?」
「分かるだろ」
話が全然見えない。
「トレーナーだよ」
「は?」
「お前さん、トレーナーだよ。やってもらうから。いいだろ?」
「なんで?」
「もう決まりだから。俺はさ、キンちゃんなら全然大丈夫だと思ってるから。全然心配してないよ」
「……」
僕はボケっとしたまま突っ立っているだけだった。
「コージとタカと3人一緒にトレーナートレーニングやるからさ。トレーニングするのはバナナさん(♀)だ」
どんどん話は進む。
「あいつらがちょっと心配だから、2人を引っ張って行って欲しいんだ」
僕は…
ただ黙って、聞いていた。
「よろしくな」
そう言うと、彼は去っていった。
★
それから2〜3日後。
やはり僕が外にいた時。
バナナさんがやって来た。
「あっくんさんはさ、もういい歳だしそのうち就職するんじゃないかと思って、今まであえて(トレーナーに)上げてなかったのよ。でも今回はリード全員賛成で決まったからね」
「…はあ」
「頑張ってね!」
「はい」
「トレーニングは厳しいから!覚悟しといてね」
でしょうね。
そう言いたかったが我慢した。
彼女はそう言うと颯爽と去って行った。
ことあるごとに僕を罵倒していた彼。
「ったく、お前はつかえねえなぁ!」
あれは何だったんだ。
そんなに使えないなら、僕をトレーナーになんかすべきじゃないだろ。
僕はリードのためにキャストをやっているんじゃない。
ゲストのためにやっているんだ。
評価されるとかされないとかで、やる気になったりだらけたりするものじゃない。
それがここ3年ほどで自分が出した結論だった。
少したって僕は、漠然と怒りに近い感情が湧いて来た。
ゲストが目の前でどんどん列に並んでいく。
また少しして、戸惑いが戻って来た。
さらに少しすると、焦りを感じた。
ゲストの流れる目の前の様子が、いつもと同じなのに新鮮に感じられた。
トレーナー。
また少しして、さっきのシゲ坊の表情を思い返していた。
彼はスプラッシュ・マウンテンに来てからいつも、気を張り詰めたような顔をしていた。
冗談を言ってはいても、決して油断できないような態度と表情。
マークトウェイン号にいたときのような、リラックスしたところをほとんど見たことがなかった。
でもさっきの彼は、マークトウェイン号に戻ったかのような柔和な表情に戻っていた。
「キンちゃんなら大丈夫だと思ってるからさ」
そう言ったときの顔が、まさにそれだ。
そうか。
あれが本来の彼の表情だったんだ。
それを今さら思い返してふと、思った。
なんで今まで気づかなかったんだ。
いつも僕に悪態をついていた彼は、本来の彼じゃなかった。
「まったくお前は使えねえな」
その通り。
こんな簡単なことに気付けなかった僕は、やっぱり使えないやつだったんだ。
まさに、その通り。
悔しさが、自分の中を駆け抜けていった。
今さら、トレーナー。
ようやく、トレーナー。
今さら、か。
ようやく、か。
いよいよ、か。
わけがわからないまま、僕はぼーっとゲストの流れる道を、眺めていた。
今日もクリッターカントリーは大盛況だ。
スプラッシュ・マウンテンは元気に水しぶきを上げている。
★
数カ月後、シゲ坊はスプラッシュ・マウンテンを去っていった。
(修行編:終わり)
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