【舞浜戦記・第2章】岩周りの攻防:スプラッシュ・マウンテン045
ディズニーのパークは日々進化している。
現在のパークもまた、時代に合わせて変化を遂げている。地面には間隔を空ける黄色い線が無数に引かれているし、それまでの常識ではあり得なかったキャストのマスク姿も当たり前になった。
逆に変化しない部分もたくさんある。
最も変化しにくいものの一つに、「自然の形状」がある。
パークは、人工物と自然物を織り交ぜて作られている。中でも自然に形作られたもの、たとえば樹木や地形、花壇などはイベントや商品に左右されないため、不変の存在だ。イベントに合わせて装飾されても、形を変えることはない。
それでも、僕が去ってからの十数年間に、誰も気づかないほどの些細な変化が加えられているのに気づいた。
それが、クリッターカントリーの入口にあった「岩」である。
いや、あったはずが、今はなくなっている。
Googleマップで見ても、僕の記憶と異なる形状で、昔より大きく削られている。
ストリートビューの写真でも、岩の花壇でしかない。
角度を変えた写真でも、この通り。
僕の記憶では、写真より1メートル近く、張り出していたはずだ。
白線でかたどったくらい前に飛び出ていて、高さが1.3〜1.4メートルくらい、天面が平らで、大人一人が寝転がれるくらいの広さがあった。
クリッターカントリーがここからはじまるという、モニュメントとしては立派な岩だったが。
通称「岩周り」と呼ばれたこの箇所こそ、代々スプラッシュマウンテンのキャスト達、いやウエスタンランド周辺のキャスト達がさんざん苦しめられた、大迷惑な岩だった。
クリッターカントリー入口に立ちはだかる岩
オープンから数年経った頃。
90年代中盤は当初の熱狂よりやや落ち着き、列の長さもウエスタンランドへ時々張り出す程度にまで減っていた。と言っても、土日祝日であれば相変わらずの混雑ぶりだ。
ある日。
外浮きを担当することになり、僕がリーダーとして采配することになった。
特にリーダー役を決めていたわけではないが、3人ほどいる担当の中で、僕に裁量権を与えてくれたのだ。
よし、やるか。
朝礼を終えて配置につく。外に出ると、快晴の一日の始まりだ。
朝一の入場を終えて混乱が鎮まる頃には、午前はほぼ終わりに近づいていた。
次の大仕事は午後の山場、パレード前後の大波を越えることだ。
昼のパレードはパークの大きなイベントの一つで、パレードが通る付近の施設は大きな影響を受ける。大波が浜辺の砂を洗うように人々は去り、そして再び波が寄せ返すように戻ってくる。
スプラッシュマウンテンはパレードの通り道から離れた場所にある。が、列が伸びてウエスタンランドまで張り出すと、その影響を受けずにはいられない。
前回説明した通り、パレードルートのすぐ横まで列が張り出し、列を維持することは、すなわちパレードルート付近のコントロールを意味した。
★
パークは大勢の来園者であふれ、午後を回る頃には、スプラッシュ・マウンテンの列もウエスタンランドへ張り出していた。
今日も最高に近い混雑ぶりだ。
待ち時間がピークに達するのはまず午前11時を過ぎた頃。そして次のピークが午後2時前後にやって来る。
僕は最後尾を観察する。
この後、待ち時間は少しずつ減っていき、パレード中は70分ほどまで下がるだろうか。アウターキューはG区画をかろうじて残している。
Y字型の変形キューエリア
その日の外浮きが集まり、作戦会議を行う。
「今日も入れ込みはG1で行こう」
「そうだね」
「(ゲストは)パレード後に戻ってくるかな」
「増えたらまた張ればいいよ」
こんな会話を交わす。いつものメンバーなので比較的楽だ。
割と気楽に考えていた。
この時代、僕らは広大なG区画を全部使わず、半分かライン1本のみを使用する日が多くなった。
最も多いケースが内側の1本のみを設置する方法だ。ここは変形したY字型で、リバー鉄道の橋の下を一往復するだけの、地形に合わせた変形キューエリアだった。
図にするとこんな形だ。
入口から入ったゲストは、植え込みとロープで形作られた道を進み、ウエスタンリバー鉄道の橋の下を折り返し、岩を回り込んでクリッターカントリーの坂道を登っていく。この先ももちろん、ロープが何十本も張られており、ここからだと、75分ほど待たされる。
なぜこんな奇妙な形をしているのか。
★
この状態で、これから始まるパレードを乗り切るつもりだ。
予想している待ち時間の変化は、
パレード開始前:100→90分
パレード中:85→70分
終了後:70→110分
ぐらいだろうか。
問題は、Y字型のG1ラインをどうするかだ。
残しておくと周辺のモニタが必要になる。ロープはくぐり抜けが起こるため常に監視していないといけない。
撤去すると一見簡素になり、列の調整も行いやすい。しかし。
最大の問題は、スプラッシュの入口が「岩」のすぐ横になることだ。
岩のすぐ横が、入口になる。
ここは、ちょうどパレードを見る人々が集中する場所であり、人が集まると同時に通行する人がどっと押し寄せる位置でもある。
見物客が増えることで道は狭くなり、通ることすら困難になる。
これほど人が集中する場所にスプラッシュの入口があると、何が起きるのか。
乗りたい人と通行人とパレードを見たい人が、この狭い場所でぶつかり流れが混じり合う。通るだけの人が入口を入ってしまい、スプラッシュに乗りたい人が入口を見失う。
その混乱の中で乗りたい人へ適切な案内ができるのか。目的を果たせずにいるゲストはウロウロするばかりで、ますます周辺は混雑に拍車をかけるだろう。その状態でパレードが終了すると、どっと人が押し寄せる。
混乱の極みが、この場所に発生する。その中で、きちんと列を形成できるのか。四方八方から押し寄せるゲストへ、ここが入口ですよと案内し混乱なく誘導できるのか。
ここに入口を設けるのがいかに危険なことか。
せめて、入口だけでも別の場所に移動できたら。
ここは極力避けるのが無難だ。
それが、Y字型のG1が存在する、最大の理由だった。
そんな危険な場所の中央にドンと居座るのが、この岩だったのだ。
★
このY字型のキューエリアを後で再設置するか、残しておいてパレード終了を待ち受けるか。
僕は考えた。
逡巡と決断
Y字型ロープを外してパレードに臨むなら、入口前の混乱をコントロールしないといけない。
残そうか。
岩を取り巻くロープの内側と、外側の人の流れをコントロールすることになる。
コの字型の部分には、常に人が並んでいる状態をキープする。加えて、通行人がスムーズに通れるよう、案内を続ける。
列が大きく動いた時、ここが空っぽにならないよう注意を払わないといけない。列内が空っぽになると、そこへ侵入する人が出てくるからだ。
いったん侵入しはじめる人が出てくると、次々他の人も同じ行動をするので、ロープが危険な障害物となってしまう。
常に人が並んでいる状態をキープする。
これが案外難しい。列が常に一定の速度で動くなら簡単だが、そうはいかないのが集団行動の複雑さだ。
どうする?
手前のキューを立てた状態で臨み、パレード後の混乱を抑えられるか。予想より入場者が多かった場合は有効だ。また岩周りに列ができていれば、自然と入口がその先にあることが一目瞭然で、これから並ぶ人がすぐ入口を見つけられる。
逆に、パレード後に戻って来るゲストが少なかった場合は?
パレードを見終わった人々が並んだ状態でも、このY字型部分が埋まらないこともありえる。キューエリアを撤去しなくてはならず、作業に人手を取られる。
岩周りのロープを撤去するか。
それなら、列が引いても岩周りの監視が不要になり、自由に動けるキャストが確保できるので、様々なイレギュラー事象に対応可能だ。
ただしパレード後に想定以上のゲストが戻ってきた場合は?
列はぐんぐん伸びるためキューエリアを再び設置しなければならず、その作業が待っている。
大勢のゲストでごった返す状態でその作業に振り向ける人数をどこで出すか? できたとしても遅れることは確実だ。しばらく列を放置するしかない…。それなら最初から撤去はしない方が賢明だ。
「どうしようか」
同じ外浮きポジションの1人が言った。
僕は、すぐそばに立ちはだかる大きな岩に手を置いた。
岩の表面は、陽の光を浴びて熱くなっていた。ずっと触っていられないほどだ。
パレード終了の際に、固定ポジションにつくキャストは誰だろう?
今の入口ポジションにいる子に尋ねる。
「次に押されて来るのは誰?」
「〇〇ちゃんですよ」
その子は入って間もない新人さんで、周りの評判ではスクリーニング作業に難がある子だった。一人で入口を任せるのは厳しい。となると、誰かが近くで見てあげる必要がある。
べったりではないにしても、すぐフォローできる位置に、自分かまたは他の誰かがいないと危険だ。
これを考慮すると、再設置の手間をかける撤去は選択できない。
「残そうか」
僕は答えた。
「了解」
自然と決まった。
今入口についているのは比較的慣れたキャストなので、彼女には入れ込み時にも入口についてヘルプしてもらう。
「次に押されたら入口のヘルプをお願いね」
「はい」
次は、キュー調整だ。
並ぶ人が減るということは、最後尾が引いていくことだ。今まで折り畳んでいた一往復の列を短くする。さらに引いたら他の区画をカットする。
すると、一時的に最後尾が飛び出てくる。
最後尾が中に吸い込まれていると、並ぶ場所が分かりにくい。いくら看板を立てても、声を張り上げて案内しても、パッと見た目でどこに並べばいいか、分からない。
ガラガラになったキューエリアは途端に危険な放置物になり、通行人にとって邪魔な存在となる。
入口が一見して分からないアトラクションは、ゲストが混乱に陥りプチ暴徒に変貌する。普段ならありえない無茶な行動を始め、ロープが何本も張られた中をしゃがみ込んだりまたいで入っていこうとする。秩序の崩壊だ。
でも列の最後尾が見えていると一目瞭然。あそこに並べばいいんだ、と一発で分かる。
ゲストに非常識な行動をさせてしまうとしたら、それはキャストの運営手法の誤りなのだから。
そう、決してゲストを迷わせてはいけないのだ。
パレード中の急変に気づけず、最後尾が消え失せる
パレードが始まった。
僕はクリッターの斜面を見上げる。
折り重なる列のうねりが、少し早まったように見えた。
奥の方で止まっていた列が急速に動き出したのかもしれない。一定時間ボートが止まっていて列も止まり、その後動き出すと、列の進みが急に加速することがある。それを見逃すと、恐ろしいほど速く列が進み、最後尾が一瞬で引いて行ってしまう。
パレードの大音響を背後に聞きながら、スプラッシュ山の方を観察する。
どうやら気のせいだったみたいだ。
だから、列の動きから目を離すわけにはいかない。僕は頻繁に目配りする。
そんな中、ゲストから声をかけられる。
質問に答えながらも、周囲をめざとく一瞥する。
慌てて指示を出すまでもなく、他の外浮きが山に近い位置まで戻ってくれていた。ほっと一安心。
山に近い区画の列をストレートにすると、最後尾が伸びてきて入口をひたひたに埋めるくらいまで戻る。
後はパレードが終わるのを待つだけだ。
★
ほぼ列の進みは停止し、最後尾が伸びるに任せる。
岩周りのロープの中をゲスト達が進み、外側を通行人が通る。
外側は恐ろしく狭い。人一人が通れるほどの狭さまで立見客が迫っている。列の動きを眺めつつ、最後尾がロープの中に入ってしまわないよう調整する。一往復をカットする。
さらに一往復カット。
二度三度これを繰り返し、パレードを乗り切る。
急変が起こった。
通行ゲストから道を聞かれて質問に答えて、後ろを振り返ると、もう最後尾はどこにも見当たらなかった。
いつの間に!
ありえないほど列が早く進んでいる。
ちょっと目を離した隙に、列が空っぽになってしまった。せっかく伸ばした最後尾も吸い込まれるように消えていく。
山の方を見る。
列がまばらになり、どんどんゲストが進んでいる。このペースで行くとまもなく入口付近も一気に進み、あっという間にガラガラになってしまうだろう。
いくら入口でここからお入り下さいと案内しても、ゲストは見た目で判断し勝手に途中のスカスカの列へ、ロープをくぐって入り込む。僕らが入口で行っているスクリーニングもできず、乗れない人に入られてしまう。
やるべきことは二つ。
キューエリア調整を行い列を短くする、また入口のスピールを強化し他の場所から入り込まないよう、気を配るしかない。
僕ら外浮きは、急いで最善手を尽くすべく各所へ散る。
だが、瞬く間に最後尾が吸い込まれていった。
最後尾が岩周りを抜けて引いていくと、その場に残したロープ群が途端に邪魔な存在と化す。狭い道の真ん中に置き去りにされた「邪魔な物体」であり、通行の障害物でしかなかった。
スプラッシュマウンテンに乗りたい人々は、どこから並べばいいか分からなくなっている。
一人、二人と、ロープをくぐって入る人が現れる。
まずい…!
岩周りをキープするどころではない。何とかしないと入場動線が維持できず、入場ルートが崩壊する。
「何やってんだ、撤去しろ!」
リードがやって来て状況を把握し、指示を飛ばす。
僕らは慌てて、コの字ロープを外し始める。
くそっ。
痛恨の判断ミスだ。
列の流れを見極めるのをほんの少しだけ見逃したせいだ。
撤去作業をしながら、パレードは終了して通過していく。
その傍らで、ロープの撤去に追われる僕らは滑稽なほど、ぶざまだ。
やって来る大勢の人々。
★
悔しさを噛み締めながら、僕は例の大きな岩に手を置いた。
岩はたっぷりと日を浴びたせいか、熱く火照っていた。
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