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gemini6rabbit
答えは外側には無いですよ
お昼に何を食べたいか、と聞かれて「なんでもいい」と答える
「なんでもいい」と言っていても、本当に言葉通り思っている人はあんまりいません。じゃぁ中華にしようかと言えば「中華はイヤだ」と言い、それならパスタにするか?と聞けば「麵は食べたくない」と言ったりするんです。
「なんでもいい」の本音は「食べたくないもの以外ならなんでもいい」。その「食べたくないもの」が何かは、ご本人にしかわかりません。
同じ経験をしても感じ方は十人十色
仮に、まったく同じ条件で同じ体験をした人がいたとして(同じ年頃に同じ本を読む、同じ絵画や音楽に触れる、同じ部活で同じ経験をするetc.)、それついてどう感じるのか、どういう記憶なのか、人それぞれ違います。その体験自体が、よい思い出なのかよくない思い出なのかも異なります。
それまでの人生経験や、育った環境、体質、得手不得手、性別や年齢なども感じ方に大きく影響することでしょう。
内側で感じていること、それが自分にとっての正解
だれが何と言おうと、自分が感じていることが自分にとっての正解です。だから、自分の内側はどう感じているのだろう、と自分に問いかけてみます。
お昼に何を食べたいの? ーわからない
じゃあ、中華はどう? ーヤダ
パスタは? ー麵は食べたくない
そう、じゃあご飯かパンはどちらがいいの? ーごはんかな
なら、定食屋さんに行くかい? ー洋食がいい
この手のやりとりなら、実は日常的に自分の内側で起きています。決め手は「なにが食べたいか」なので、ごはんで洋食までたどり着けば、答えは相当に絞られます。
自分の内側に問いかけるときに、タロットを使うんです。
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