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自称天鳳サンマのアイドルである僕の物語①
自己紹介&近況
はじめまして、こんにちは、こんばんは!主に天鳳や関西サンマフリーに生息しているまめです。平成8年生まれの23歳です。そう23歳なんです!最近、会う人全員にもう少し上だと思ったと言われます。おそらく、僕から溢れ出る大人のふんいきってやつがそう思わせてしまうんでしょう。隠し切れないかーっ!いうて23も25も変わらんやろと僕自身は思っていますがね。
日が経つのは早いもので2019年も残すところあと少しですね。少し気が早いかもしれませんが皆さんは2019年を振り返ってみてどうでしょうか?いやいや、楽しいクリスマスがまだあるじゃないかと!そんな人もいるかもしれませんね。僕ですか?クリスマスは特別な人と過ごす予定がありません。これをみた可愛い女の子はすぐに僕にDMください。大至急です。
失礼、話が逸れましたね。
そんな12月の今日この頃、僕は4月から新卒で入社した会社を退職しました。絶賛転職活動中です。
以下本文ですが、近況とは全く関係ありません。
僕物語
ちょっと自分語り、僕物語を聞いてください。
遡ると学生時代になります。僕は中学から大学までラグビーをしていました。小学校の時はサッカーをしていたんですけど、まぁ才能がなかったんでしょう。いつも右サイドベンチを温めていました。中学に上がるときにサッカー部に入るやつは上手いやつだけみたいな雰囲気が僕らの学校にはありました。そこで下手くそな僕はラグビーかバスケの2択で悩んでいました。そんな時、幼馴染がラグビー部に誘ってくれました。これがハマった。才能があった。ただ天才レベルではない、天才が90点だとしたら80点くらい。そんな80点の僕は大阪桐○高校に進学します。
僕物語ー高校編
黄金世代の次の代は大抵弱い。山があれば谷もあると言うことですね。僕らの世代はまさに谷の代でした。一つ上の先輩は春の全国大会で初優勝をし、冬の花園ではベスト4に輝きました。ただ、冬のベスト4という結果には衝撃でした。あんなに強い先輩が負けるのかって、それは監督も同じだったんでしょう。
翌年、つまり僕らの世代になると練習方法から試合における動き方を変えました。個人の力量に左右されるようなものから集団で動き回るやり方になりました。控えめに言ってめちゃくちゃしんどかった。入学当時から最弱の世代と呼ばれ続け、このままでは花園に出場するのは厳しいと思われていました。
大阪の高校ラグビーの強豪校は4つあって、出場枠は3つです。必然的に強豪校同士が1枠を争うことになります。その組み合わせを決める予選の大会で僕たちは他3つの強豪校以外の少し劣る学校に敗れました。結果、全国予選の決勝では強豪校と当たることになりました。監督はブチ切れてました、同時に呆れてもいました。俺たちも情けなかった。悔しかった。
その後、しばらくして全国予選の決勝の組み合わせ相手が決まりました。常○学園です。前評判は4つのなかで2番目に強いところです。来たるべく決勝に向けて僕たちは死ぬ気で練習しました。平日授業前の朝7時から朝練をしそこから授業をこなして15時から21時までグラウンド練習。家に着くのは22時。1日7食の食事トレーニング。だいたい1ヶ月で20kgの米を消費してました。ママに感謝。
決勝当日、試合前。
ロッカールームで円陣を組んだ。電気を消して真っ暗闇の中、心を一つにする為みんなで校歌を歌った。思い出されるのはこれまでの日々の積み重ね。毎日の練習、ふざけあったり喧嘩した事もあった。それでも今日負ければ終わり。
"勝ってまたこのメンバーで学校のグラウンドに帰ろう"
-勝つぞ‼︎-
この言葉を発したのは普段叫んだりしない監督だった。初めてこんな熱い気持ちのこもってる声を聞いた。
俺たちは吠えた。-アオーン-
ごめん、ふざけた。だって絶対おもろいやんって思って…
話を戻して、この前のラグビーワールドカップを見た人で試合前の国歌斉唱で泣いてる人がいて不思議に思った人もいるでしょう。
僕にはとても気持ちが分かった。まさしくこの時、僕らは試合前にもかかわらず涙を流さないものは少なくなかった。それくらい気持ちが篭っていた。
結果はラストワンプレーでペナルティゴールを決めて逆転勝利と言う劇的なものでした。
僕らは応援してくれた観客席に笑顔で向かいました。
そんなこんなで、全国大会出場を決めた僕たちはベスト16で敗退、ラストワンプレーで再逆転負けと言うものでした。ちゃんちゃん。いや、甘くねーよ。優勝なんてできんて。
大会が終わってみれば1月です。そう大学受験ですね。生憎僕はスポーツ推薦の時期に怪我をしていたので大学は一般で入ることになりました。しかしながら、自称秀才の僕に抜かりはありません。定期考査で毎回クラス1位を取っていたので内申点4.9以上でした。僕は指定校推薦でマグロ大学に入学しました。いや、あの高校の時って大学の事なんかしらなくて、とりあえず有名なところ!って感じで決めました。まぁ、家から近いしええかって感じでした。
僕物語-大学編
大学に一般で入った僕は当然体育会ラグビー部に入りました。一般で入ったのに入学前の2月からグラウンド練習に参加して、入学前から合宿に参加…
いや、待てと。おかしくね?俺一般生やぞ!?
俺は大学生活はラグビーはほどほどにして可愛い女の子と遊びまくるんだ!ってきめてたんだが!?
そんなこんなで入学後密かに、ラグビーをサボることを決めていた僕は一般生である事を盾に部活の練習時間に授業を入れまくりました。平日は金曜日に試合前の合わせに参加して土曜日に試合に出て活躍。結果、週末ヒロインと言う異名をいただいた。この時期はマジで楽しかった。授業で部活の練習を休んで、その授業を休んでパチ屋に行ったりしていた。
そんな生活はすぐに終わりを告げた。
スポーツ振興課かなんかしらんがそんなのが新しくできて、部活動の成績如何によっては大学の応援対象から外れると言うものができたのだ。これができたのが僕が1年の後期からだった。
え?え??ナニコレ?
これまで練習1時間とかで終わってたものが2部連は当たり前、1時間前行動とか言う謎ルール。練習欠席者には代替え練習も実施する徹底。
強度が0からいきなり100になったのだ。当然サボっていた僕は順応できるはずもなく、よく怒られた。
なーにが関西リーグ制覇だって内心思ってた。そもそも関西リーグ制覇を目標にしてるやつはこの大学に来ねーよ。ラグビー本気でやるなら関東にいくわ!
就活で有利だと言う理由の為に辞めるわけにもいかず、一般生でありながら、スポーツ生と変わらない生活が始まった。
そんな時に天鳳の段位戦にハマった。天鳳自体は元々ニコ生で個室放送によく顔を出していた。
当時の僕の雀力は筋と牌効率と言う言葉も知らないけれどなんやかんやで六段には上がれるくらいだった。
天鳳ID"まめ"の純正垢を取れた事をきっかけにTwitterを始めた。当時の天鳳サンマ界はSkypeでの牌譜検討が頻繁に行われていて、僕にとってはとても良い環境だった。
そんなこんなでメキメキ腕を上げた僕は三鳳入りを果たした。
はじめての三鳳が楽しすぎて授業そっちのけで天鳳を打ち続け、半月で750戦くらい打ちこのまま打てば記録的な打数が出ると思われた。しかし、そのあとチャオってやる気が萎えてしまったので850戦くらいしか打たなかった。今でも覚えている。2月14日のバレンタインの11連ラスを。チャオ戦は数え役満を上るもののおーいお茶さんにとどめを刺された事を。
当然、授業に出ずに天鳳をしていたので1年後期の単位は22単位中5単位しかとれなかった。天鳳ゆるすまじ。遺憾の意。
三鳳民は本当にいい奴多いし、個性的な人が多いけれど段位に関してはマジで陰湿だ。奴らはTwitter上で不調の選手を見つけるとスナイプをするのだ。いまではのどっちの不調ランキングもあるのでより陰湿差が極まっている事だろう。
晴て立派な天鳳民になった俺は部活には結婚式だと伝えて休み、初めてのオフ会と天鳳リアトラ@大阪に参加するのであった。