銀杏の祝福
秋晴れの金曜日。
S駅の改札前にてメンターと待ち合わせ。
数年ぶりにリアルでのセッション。
メンターご贔屓の御苑のなかで、という運び。
S駅改札前のひらけた広場から、通りに並ぶ銀杏を仰ぎ見る。
パッキリとした、どこまでも黄色く紅葉した姿が青空を際立たせる。
今年、ようやく紅葉を見た気がする。
銀杏の葉はクリーニング作用を持つ、とはホ・オポノポノを広めたヒューレン博士が色々なところで言っていたことだが、その堂々たる黄色の発色に瞬時に精神が高揚し(紅葉だけに)浄化がなされていく感じがした。浄化し、書き換えの今日となるかもしれない。
と、メンターの声が視野の外から聴こえてくる。
zoomでは毎月お会いしているが、3次元では四年ぶりくらいのことになるね、などと再会に盛り上がりキャーキャー言いあう。
この方とはもう何年のご縁になるのか。
10年…は経つ気がしている。
そのまま御苑へ。
道すがらしきりにメンターからカッコいいカッコいいと褒められる。オーラごとお褒めに預かり自信をとりもどす。まだ私は他者からの賞賛に助けられている。照れつつもありがたい。
銀杏の黄色も相まってどんどん気分も良くなっていく。
初めて使う門から入る。
御苑は今年の桜の時期に参加した、とあるスピリチュアルワークショップのワーク時に入って以来だ。
本当であればここにはもっと足繁く通う筈であったなぁ、などと春先までの状況を懐かしく思い出すものの、胸の痛みはさほど疼かず。
当たり前か。
もはや出がらしも出なくなるほど、何度も何度も寄せてくる悲しみを悲しみきった今年一年だったから。
しかし未消化な領域もちゃんと残っていて、過去形にならない言葉の端々にハートとあたまの言い分の違いを感じるこの頃。
時間というものが機能しない部分を知る。
そこには時間経過がない、という感覚。
だから変化が訪れない。
以前と違うのは感情の領域の深みを知るようになったこと。
これだけ味わったのならばそのドラマも終わるだろう、とあたまが予測しているものを易々と裏切っていく。
外部の価値観で推し量っているところがあるのかもしれない?
そして、こればかりはOSが同じ人たちとも共有不可能、つまり私の核は完全に自己だけが知ることの出来る領域だということ。
外側の賢者たちもここを見ることは出来ず、触れることも出来ない。
いま、私がいるのはそんな領域だということ。
外用薬が効かない世界。
自分で自分を癒す場所。
自分で自分を創る場所。
つまり、ゼロポイント。自立のポイント。
そんな場所に出会うためにうっかり自分からハイヤーセルフにオーダーを出してしまったことに、あとになってから気付くという間抜けな(少なくとも顕在意識からすると間抜けに感じる)幾何学を描いている今年だ。
甘やかで心地の良い、大切な存在というものを外側に創り出すと、ゼロポイントからズレたままに生きていた私は「私になれない」ままに生を終えることになるところだった。
強制終了を言い渡されたとき、ハイヤーセルフはロウワーセルフが相当に苦しむことを承知の上でその駒を置いたらしい。
そして、この存在(つまり私)の青写真にはそうした苛烈さを受けて立つ意気地が描かれているのも見越されていたらしい。
そのことに何度も、何度でもロウワーセルフはムッとする。気が済むまでムッとしつつ異論を唱えると思う。
ロウワーセルフの私はそれでもなお、甘やかな日々を送りたいだけだったから。
「物分かりよくなんかなるもんか」とさえ思っている。
物分かりよい自分というのはこれまで随分やってきた。
外側に対してではあるけれど。
だからこそ、今は「自分になる」過程ではあれ、性急に物分かり良くなったりするまい、と思っている。時間を余計に使ってしまうことはこの際仕方ない。ここから私は死に至るまで、自分になるための幾何学を描くだけだから。
メンターと御苑のなかを歩きながら、ひと息に「冥王星水瓶座移行・風の時代本格始動」についての確信の感覚を聞いてもらう。
大きなカエデの木を紹介されてご挨拶。
見事な木。
樹齢100年には満たないはずだけれどこんなに大きいのは、地の調整が丁寧に行われているからだよ、などと教わる。
木という存在は地上において他の何よりも私には繋がりやすく愛を感じやすいエレメントだと改めて思う。
私は木であったこともある筈だ。
懐かしい。
いつでも懐かしい存在たち。
園内を横切ってプラタナスが美しく立ち並ぶエリアへ。
ほどよいベンチに陣取ると、メンターが私の調整をしていく。
周りのひとが奇異の目で見ているさまが可笑しく、振り返って見てくる人の顔をわざわざニッと笑って見つめ返して見たりなど。
風の時代になっちゃったからねぇ…
こういうのはそろそろ物珍しいものでもなんでもなくなるから今すこしだけ面白がって見ていてごらん、などと思う。
しかし一生懸命エネルギー調整をしてくれているメンターの姿は客観的に見ると私も可笑しく感じる。この人のなかでは一体何が行われているんだろう?
微かに感じる身体感覚に時々アテンションを向けるよう指示され、その都度感覚を拾いあげて意識の中で繋げていく。
生命力の低下、枯渇。
第一・第二・第三チャクラ。
元気な上位チャクラと生気のない下位チャクラを相互リンクさせていけるようにしよう。
下位(現象界)での萎縮をほどいていくこと。
肩から後頭部にかけての緊張をメンタルレベルから見ていく。
メンタルレベルからアストラル、エーテル、そして肉体に降りてきていることを再確認。
潜在意識。そして過去世。先祖。集合意識。星。
すべてが繋がっていることをメンターの言葉の端々から気付かされていく。
この人は哲学やヌーソロジーといった話題にも本質的に触れていける人なので無節操な私の水星領域を無調整で出せる相手なのだ。
ベンチに深く腰掛け、向こうのエリアで輝いている4本の銀杏の黄色いシルエットを眺めながらメンターの調整を受けている。
私が銀杏になる。
ゼロポイントにつながる。
うっとりと黄色い木に同調していると不意にメンターが話しかけてくる。
寒くなったら羽織りもの羽織ってね
気にしなくていいからね
相変わらず一生懸命に手を動かしながら2メートルほど離れて私の周りを衛星のように周回している。
申し訳ないけれど、本当に彼のなかで何がどうなってるのかは私にはさっぱり分からない。
けれど、私も多分、同じような領域に触れていくような気がしている。
ほかの誰にもわからないのだけれど、私のなかで確かなるもの。
そのことにつながっていく。
そしてきっと、そのことを伝えていく。
私も、伝令チーム。
チームメンバーを風のなかにさがす者。