親が乗り越えることって
普段、私の心掛けていることは「子供の話をよく聞く」ことである。
読めない暗号のような連絡帳より、よっぽど確かな情報が得られる。
でも、ある時子供の話が必ずしも事実ではないことに衝撃を受けることになった。
担任の先生から自宅に帰って母に伝えるように、と頼まれた伝言を捏造していたのである。
真実がわかり、怒りに震える私に子供が付け加える。
だってさ、そのまま言ったらお母さん傷つくじゃん。
お母さん、そういうつもりじゃないこと、よく知ってるし。
事実ではない、と書いたことはある種毒を吐いたに近い。事実なのだが、私を庇ってやんわりと伝えてくれていたのである。
そんな大人みたいなことが、出来るのである。どこで習ったかは謎だが、これが出来るなら今すぐ社会に出ても大丈夫なのではないか。
それは否だが。
我が子が猛烈な勢いで成長していることを、手をあげて喜べなかった。すごく遠くに行ってしまった気がして、寂しかった。手をかけて手をかけて、大変すぎる毎日がまだまだ続くと思っていた。
そして、何でも言葉を正面から聞いて全部やってあげることが、正しい訳ではないと痛感させられた。
言葉には、側面も裏側もあり、チクチクしたりやんわりしたりするものなのだ。
学校、先生、子供達!私のことも育ててくれてありがとう。
子供が〇〇が出来ない、とか一丁前に悩んでいたかもしれないけど、それは私が親として乗り越えなければならないものだった。
上手くできないけど、一生忘れられない時間になっている。
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