見たくないものを見ない世界
デジタルマーケティングでは、特定の個人をターゲティングし、彼らに最適な広告を配信しようとする。未来で目にする広告は、自分に合ったものしかないだろう。同じことは、情報にも言える。技術進歩に伴い、自分に適した情報だけが見えるようになっている。
私は、こうした状況が進むと、人々が見たくないものを見なくなり、他者を許容できなくなるのではないか、という危惧を持っている。
現在、情報発信が一般のものとなり、様々な背景を持った人たちの存在が認知され始めている。そんな時代では、自分とは異なる人たちを許すことが求められる。そうしないと、争いが起きてしまうからだ。
見たくないものを見ないことに慣れた人間は、果たして他者を許すことができるのだろうか。すべてが最適化された世界では、自分にとっては最適ではないものを、意図的に経験することが大切だと思う。