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天津飯と終戦の日

佐賀から、風とたねの山口家ご家族が
郡上に遊びにきてくれた。

風とたねさんとは3年前からのお付き合いで、
ゲーム会をやらせてもらいに、
定期的に佐賀に足を運んでいる。

今回は、徹夜踊りに合わせて、
郡上まで来てくれた。

いつもお世話になっている人が、
地元に来てくれる。
なんだか不思議で、少し照れくさく、
でも、とってもうれしい。
新鮮な気持ちだ。

夜は、ぼくの家で宿泊。
翌朝、朝ごはんを、隣接する母家に、
みなさんを招いた。

母家に入るとみなさん、
立派な家だ、と驚かれた。

かっちゃん(山口家の旦那さん)は大工さんで、
母家の造りをみて、とても感心くださった。

柱の太さ。
建具の機密さ。
庭の灯篭。

母家は、おじいちゃんが、
人生をかけてつくった家だ。

感心くださった箇所と、
おじいちゃんがこだわった箇所が
リンクする。

かっちゃんが話すたび、
おじいちゃんが喜んでいるのがわかる。

そして、その場にいた父が
誰よりもうれしそうだった。

・・・

山口家のみなさんと白川郷へ。
その帰り道に、中華料理屋に入った。

それぞれ好きなものを選ぶなか、
ぼくはめったに注文しない
天津飯を選んだ。

自分でもよくわらないが、
なんだか今日は、無性に食べたくなった。

そして、半分ぐらい食べ終えたところで、
おじいちゃんが、天津飯が好きだったことを
突然思い出した。

家族で餃子の王将に行ったときは、
おじいちゃんはきまって、天津飯を注文した。

「うんまい、うんまい」と、
おいしそうに食べるおじいちゃんの表情が
目の前に浮かぶ。

・・・

今日は終戦の日。
小学生のころ、
おじいちゃんが戦争の話を聞かせてくれた。

今でも覚えているのは、
「おれは、広島の飛行場へ行って、
神風特攻隊にあと一歩のところで
選ばれるところやった」
と、自信満々に話しをしたこと。

当時ぼくは、へぇーすごいなぁ。
と、感心して聞いていたが、
大学生になり、友人にその話しをしたところ、

「その話し、ぼくのおじいちゃんもしてたよ。
おじいちゃんはみんな、その話しをするんだよ」
と、笑いながら返された。

思わずぼくは、
「えっ、そうなの!?」と、声が出た。

確かに冷静に考えると、信憑性に欠け、
ぼくのおじいちゃんが、
いかにも話を大きくし、語りそうな内容だ。

友人からその言葉を聞かなかったら、
今でも信じていたと思う。

今となったら笑い話だが、
おじいちゃんはじめ、
当時の人々は、戦争から
逃れられない生活を送っていたことは
想像できる。

話しが大きくなって、
いかにも自分が
戦場の最前線に立っていることを
想像したのかもしれない。

ウソか本当か、
シリアスか笑い話か、
いずれにせよ、
いま、確実にいえることは、

おじいちゃんは戦争を生き抜いたこと。

そして、父親世代から
ぼくの世代へ、命が繋がった。


終戦の日は、
いま自分が生かせてもらえていることを
確認できる日だ。

もうぼくの周りで、戦争のことを
すすんで語ってくれる人はない。 
ぼくが娘に戦争を語ったところで、
説得力もない。

ならば、ぼくができる、
次世代へのバトンはなんだろう。

それは、
今を力強く生きること。

先人たちは生き抜いた。
だからぼくも、生きていく。


やわらかい天津飯を
ぐっと噛みしめた、
8月15日。

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