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バーのマスターに素朴な質問をしてみた(前編)

 JR中央線立川駅北口から歩いて3分のところにある「ショットバー ザネリ」。きっかけはFacebook のフィードで流れてきた投稿で知りましたが、ショットバーなのにフードメニューが充実しており、会社帰りのちょっと一杯というよりも、残業あとのお食事処として行っているお店です。
 バーのマスターである大沼さんにバーテンダーになろうと思ったきっかけや、なぜバーなのにフードを出すようになったのか、素朴な疑問を伺ってみました。

1.バーテンダーになろうと思ったきっかけ

―素朴な疑問として、なぜバーテンダーになろうと思ったのかというところからなんですが。

大沼 誰もがきっとどこかで、バーテンダーっていう職業を認知するんだと思うんですよ。例えば映画や小説だったり、そういったものによく出てくる職業なので。僕もご多分にもれず、そういうのが頭の片隅にあったわけですよ。大学生のころに居酒屋でバイトをしたんですけど、そのときの先輩がバーへ連れてってくれて、「へー、こういうところもあるんだなぁ」っていうのが最初のきっかけなんですね。

 で、あるときふっと思ったんですよ。いずれ就職をすると自分の性格がわりと長続きするタイプなので、たぶん最初の就職先にずっといることになるだろうと。でも、世の中には面白そうな仕事っていうのがあまたあって、かじるだけかじってみたい事はいろいろあるなと。だから大学在学中に自分がなんとなくやってみたいと思った仕事を片っ端からバイトでやってみよう思ったんですね。例えばビルの窓拭きとかやってみたいなーとかで、面接受けてみたりとか。大学卒業と同時に就職しますっていうのがいちばん後腐れなくバイトを辞められると思っていて、そういうなんというか軽い気持ちでいましたね。
 ところが最初に決まるまで面接でけっこう落とされたんですよ。それまでのバイト面接は百戦百勝だったんですけど。
当時は夜間大学に通っていたので、営業開始時間から入れません、しかも未経験という、そんな人を誰が雇うのかと(笑)。あとになって、まずお客さんとして足を運んでから、ここで働かせてもらえませんか、というアプローチがおそらく一般的であることを知るんですが、そういう方法すら知らないから、求人誌で調べて、片っ端から受けて落ちまくってました。幸いにして受かったところで始めたのが最初ですね。

―アルバイト先のお店は立川だったんですか?

大沼 そこは荻窪でした。その会社自体は中野、阿佐ヶ谷、荻窪に店舗を持っている会社だったので、未経験のアルバイトを雇える余裕があったんでしょうね。

ーそしてバイト初日がやってくるわけですね。

大沼 はい、大学終わったあと、22時から入りますっていって、もちろんお店は営業開始して何時間か経っている状態で、バイトがスタートするわけです。着替えて、お客様もけっこういる中で、何をしていいかわからない。まず、そこの洗い物洗っておくれといわれてグラスとか洗いだすんですけど、そのお店は横長のカウンターで、片隅にシンクがあって、一番端のカウンターに座っているお客様が目の前にいるんですね。けれど目の前のお客様に話しかけていいのか、話しかけちゃいけないのか、話しかけるべきなのかもわからない。
 お店もピークタイムだから、例えば、お客様が少ない時間だったら、店長が「新しく入ったバイトなんですよー」と、つなぎをつけてくれるとかあるんですけど、そんな余裕もない時間帯だったんですね。その目の前のお客さんがたまたま同業者ということもあって、気を遣っていろいろと話しかけてくれるんですけど、初日なので「お前、無駄話してんじゃねーよ」って言われるのも怖いじゃないですか。だから、話しかけてくることに対して、どこまで応えていいのかもわからない、ほんとうに右も左もわからない状況から始まりました。今でもそのお客様の名前を覚えてますね。

ーそのあと他のお店で働いたりということは?

大沼 その会社は荻窪、阿佐ヶ谷、中野にお店があって、定休日がないお店だったんですよ。だから店長は必ず週に一回休まなければいけないっていうんで、店長がお休みの日に、代わりに行って入るとか。
 大きい店も小さい店もあるんですが、ひとりでやっているお店は店長がいないと必然、僕が一人で代わりに入ったりとか。まあそういうのを任せてもらうようになったのが、どのくらいだったかなあ、2年目から3年目ぐらいになるとそういった日も出てきましたね。実質その会社で4店舗をそんなかたちで渡り歩いてて、それぞれのお店でちょっとずつスタイルが違ったから、まあいろいろ見られてって感じでしたね、そうやっていくうちに、もうアルバイトのうちに辞めて、昼間の仕事に就職してやろうという気持ちはとんと失せました。

2.フードを出すようになったわけ

大沼 事前に質問をいただいたときに、ああ、ここ繋がるよなあと思ったのが、食べ物を出すきっかけは? って項目があったじゃないですか。もともと僕が働いていた荻窪の店が、そもそもがフードを出すお店で。

ーバーなのに。

大沼 そうですね、ピザ生地をその場で伸ばして焼いたりとか、スパゲッティも作りましたし。ザネリのメニューの「大葉とトマトのペペロンチーノ」は、その荻窪のお店で出していたメニューなんですよ。自分が働いたバーが最初そうだったんで、食べ物を出すっていうのが、ある程度一般的な自分の中でのバーのスタイルだったんですね。

ー最初から、もともと勤めていたお店の影響で、もう食事は出すものって感じだったんですね。

大沼 そうなんですよね、騙されました。

ー騙された(笑)。

大沼 ここで店をやりはじめてから、それこそもういろんなお客さんに言われましたもん。「バーなのにフードあるねぇ、珍しいねー」って言われるんですよ(笑)。

ー私もずいぶん言った記憶があります(笑)。

大沼 あれ? って思って。僕の思っていた反応と違うと。

ーバーの食べ物って、ナッツとかちょっとしたものしかないイメージだったので、パスタに手作りソーセージ、ショコラ(これも手作り)まで出てくるので驚きました。

時計回りに、シラスと大葉のスパゲッティ、イサキのポワレ ベジポタソース、豚タンとキャベツのスープ煮、ショコラ(手作り)。※イサキと豚タンは期間限定メニュー

大沼 もしかしてフードなくてもよかったのでは?  そのぶん、なにか別に注力するところが、もしかしたらあったんじゃないかなと思ったり(笑)。でも思い返してみても、僕が働いていたお店だけではなく、飲みに行ったりして仲良くさせてもらっていたお店も半分ぐらいは何かしらフードを出していた気がするんですよね。20歳前半ってなにかと腹減るじゃないですか、だからお酒1杯とフードを1品って、なんか無茶苦茶なオーダーをしていた覚えがあるんですよ。なんだかんだでバーで食べていた気がするんですけど、自分が勤めていたあの界隈の文化なのかどうかはわからないですけどねー。

後編はなぜ立川にお店を出そうとしたのか、今の場所にお店が決まるまでのいきさつについて伺っていきます。



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