桃を年間100個食べる女〜あの日の勘違い〜
私は桃農家に生まれ、物心ついた時から年間100個の桃を食べて育ってきた。
ジブリ映画「もののけ姫」が公開された年は、あの地域の農家の娘は「桃の毛姫」と呼ばれたが、私も御多分に漏れずその道を歩んできた1人だ。
自宅の道向こうには、私が生まれた年に植えられた桃の木もあった。
ある年突然、父がその木を切ったと事後報告をしてきた時は大変ショックだったのを覚えている。
記念樹ってそんな扱いを受けるものなのか。
父は私を溺愛していると確信していたから余計びっくりした。
桃は私の1番身近なデザートであり、大の好物であり、兄弟であり、我が子みたいな存在だった。
硬い桃も柔らかい桃もそれぞれ愛しているし、畑では桃の花を摘んだり(そのような作業工程がある)、これから育つ実に一つずつ袋掛けをしたり、それを収穫したり、オフシーズンには枝を拾ったり。
桃と共に成長し、桃のお世話を手伝い、桃の美味しさを存分に味わってきた。
そんな桃との関係があったから、まさに兄弟だと感じていたあの木が切られたショックは大きかった。
そんなことがあった後、私は大学へ進み一人暮らしを始めた。
さすがに夏休みとお正月しか帰らない私は、その間どんなに畑に出向こうと、とてもじゃないが農家の戦力とは呼べない存在となった。
ただただ桃を年間100個食べる女と化したのだった。
おいしい。やはり美味しい。
実家の父が作る桃は日本一だ。
父が丹精込めて作った桃を目利きをして選んでくれるもんだから、最高に決まっている。温くてもとても美味しい。
幸いフルーツというのは、食べすぎても女子大生を肥やすような存在ではなく、それどころか私の肌が丈夫なのは桃のおかげかもしれない、なんて思いながら私は桃を食べ続けた。
そんなある年の夏休み、私は例の木を切った理由をついに父に尋ねた。
父は時を超えてこの質問が来たことに若干気まずそうに答えた。
「桃は…毎年植えるからな。」
ちょっと濃縮還元具合が凄まじくて意味がわからない。
さらに詳細を聞くと、どうやら父は桃の木を毎年のように植えており、あれは私の生まれた記念に植えた木なのではなく、私が生まれた年にたまたま植えられた木だったということだ。
私は大きな勘違いをしていた。
その昔父は「この木はアキアキの生まれた年に植えた木だぞ〜」と嬉しそうに話してくれた。
それを聞いて喜ぶ私に、弟2人の時もそれぞれ植えたものがあるんだぞとも言っていた。
父は私が喜んでいる姿を見て、ちょっと調子に乗り、記念樹ということで話を盛っていたのだ。それは父なりの愛情表現だった。
桃の木というのは様々なビジネス的な都合で切られる場合がある。
その木も例外ではなかった。
父はこの木はおしまいにしようと自ら鋸を手に取り、その木はあっさり切り株となったのだった。
ついでに私は、弟たちが生まれた年に植えたものを聞いてみた。こうなったら聞かずにはいられない。
弟その1はリンゴ。これは記念樹としてあり得るだろう。今も残っている。
だが弟その2は…トウモロコシだった。
その年は桃もリンゴも植えられることはなく、たまたま植えられたのが大量のトウモロコシ。
思えばそんな年もあった。その年のうちに綺麗に刈られていた。そんな記念樹あるわけがない。
父の愛をめいいっぱい受けて育った私は、どこかで美談を期待し、父はなんとかそれに応えようとしてくれた。
しかし結局はゆさゆさと揺れるトウモロコシたちがそれを笑い話として覆い尽くし、あの日の美談に思えたエピソードはトウモロコシの髭に埋もれていった。
現在私は親元を離れ、自分の家庭を持っている。
娘がこんなふうに美談を期待して質問してくることもある。
そんな時私の脳内にはだだっ広いトウモロコシ畑が延々と広がり、ゆさゆさと音を立てて揺れるのであった。