パイセン
全身オレンジの人と全身レッドの人が一緒にいた、帰りの電車の中に。まぶしかった。
本番のない毎日だし、毎日が本番みたいなもんだ。そういういつもの3倍くらい気合いを入れた服で生きるのも潔くていいな、と思った私は今日も全身の6割が黒かった。
さて先日、宇多田ヒカルさんのインスタライブでの番組「ヒカルパイセンに聞け!」があった。
私は、ライブ配信を途中から、残りはアーカイブを観た。
これは時々開催してくれる企画で、事前にファンから集めた質問に対して答えてくれる、というシンプルな内容。
質問は日常的なことから、作品について、人生観にまで多岐にわたるが、どの質問に対しても同じ熱量で、しかもほとんどを日本語と英語とで答えてくれる。
私は小学生の頃から彼女の歌が好きで、彼女に憧れている。
だから「パイセン」なんて呼べないのが本心であるが、ここは企画に則り「パイセン」とお呼びさせていただく。
パイセンはいつだってみずみずしい。で、かわいい。
そして、
私はパイセンを10代の頃から見ているのに、私にとっての、宇多田ヒカル、という根本的なイメージがいつ見ても何も変わらない。
活動拠点が変わっても、"人間活動"に専念するための活動休止期間を経ても、新しい家族ができても。
海外での生活が長いのに、いつも丁寧に言葉を選びながら、的確な日本語を話す(と私は感じている。言語についてはインスタライブの中でも語られていたのでそちらをご覧ください)。
さて、パイセンの今回の最後のお話は、寄せられた質問に関連した「生きることの意味」についてだった。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を引き合いに出しながら話していた。
これについて私はあれからずっと考えていて頭が爆発しそうだったので一度文字に起こすことにした。(noteの使い方をちょっと誤っているかもしれない。)
言うまでもなく、パイセンの考えも大勢の人の中の一つであるし、受け手の感想もそれぞれ違うことは忘れてはいけない。
パイセンが話したのはこんなこと。
生まれてから死ぬまで人にできることは、自分に問うこと。それに自分がどう答えていくか。自分に対して責任と愛を持って。
私は、その通りだ!と思った。
愛、というのは新鮮だったけれども。
ちなみにこの話の30秒後、まだ続きがあったはずなのに、パイセンのインスタライブは劇的に終わった(この日2回目。そういうところも好き!チャーミング!)。
誰かが叶えてくれる夢もあると思う。
何か違うかもしれないけど、『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル』が私はとても好きだ。
でも、自分の思いに気付いて応えられるのは本来自分自身のはずだ。
思いを発する自分を認識すること。その自分の思いに応えようとすることは、とても自分を大切にしているということだ。自分で自分を認めてあげているということだ。
難しいことじゃない。
今日蕎麦が食べたい、と思ったら蕎麦を食べる、ということだ。
今日はカツ丼が食べたい、と思ったけど自分の身体のことを考えておろし蕎麦を食べる、ということだ。
祝日だし贅沢してもいいんじゃない、と考えてどっちも食べるということもそうだ。
そういうことを積み重ねていくこと。
時間がかかっても。
私自身は、
やりたいことを絶対やる、ということを自分に課し続けてきて、自分を苦しめているだけなのではというようなこともあるけど、それってちゃんと自分自身を大事にしているということなのかもしれない、ちゃんと生きているのかもしれない、それは自信を持っていいことなのかもしれない、という気がした。
それで見落とす何かもあるのだけど、自分を見落とすよりはましだろう。
何かから逃げたことも多々あるけど、それは逃げるという選択をしたい自分から逃げなかったということ。とも言えるかもしれない。そういう自分を褒めてもいい。なるほど愛ってそういうことかも。
少し気持ちが楽になった。
そういうわけで、遅くなりましたが今日(5月4日)のお昼ご飯です。